[ロシア革命とショスタコーヴィチ + フィンランド] 交響曲第11番「1905年」と第12番「1917年」を聴く

投稿のタイトルが支離滅裂ですが。。。この記事は、ロシア革命にちなんだショスタコーヴィチの交響曲について書いているうちに、隣国フィンランドにまでテーマが拡散してしまったものです。

今後も随時加筆修正を加えて首尾一貫した投稿になれば。。。と思います。

1. ロシア革命

ロシアの近代史のなかで、ロシア革命について以前から興味があったので、「ロシア革命 - 破局の8か月」という本を図書館から借りて、少し調べてみました。



ロシア革命とは、具体的には1917年の二月革命(帝政ロシアの終焉)と、十月革命(レーニン率いる社会主義政権の樹立)の両方を指します。

ロシア革命は、第1次世界大戦の真っ只中に発生しました。

平たく言ってしまえば、帝政ロシアの専制君主制に対して、民衆の抑圧された不満が爆発し、新しく生まれた自由主義政権の臨時政府が、民衆の支持を得ることができず、社会主義政権が実権を握ったというものです。

フランス革命や日本の明治維新にも共通する、国家の将来を決定付けた一大事でした。

「ロシア革命 - 破局の8か月」では、タイトル通り、1917年の二月革命から十月革命の八か月間に焦点を当てていますが、革命の伏線となったのは、1905年の「血の日曜日事件」と、同年に終結した日露戦争の敗戦でした。

その当時のロシアの皇帝はロマノフ王朝最後の皇帝となったニコライ二世です。

ニコライ二世(Wikiより)

ニコライ2世は、日露戦争や第一次世界大戦の時期にロシアで指導的な役割を果たしたロマノフ王朝最後の皇帝です。

戦前は日本にも来賓して、長崎や京都なども訪れたのですが、訪日中に暴漢にサーベルで襲われて右耳上部を負傷した(大津事件)事件をきっかけに、半日感情を募らせてやがて日露戦争に突入してしまったと言われています。

1917年の二月革命で帝政ロシアが崩壊し、ボリシェヴィキによる十月革命後に、レーニンによってロマノフ一族全員の殺害命令が下され、非業の最期を遂げます。

1905年は、1月に「血の日曜日事件」が発生し、また、9月にはポーツマス講和条約により日露戦争が終結した記念すべき年でした。

この「血の日曜日事件」をテーマに交響曲を作曲したのが、ロシアの作曲家ショスタコーヴィチです。

2. ショスタコーヴィチの交響曲

ショスタコーヴィチ(1905~1975)は生涯で15の交響曲を遺しています。

ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(Wikiより)

交響曲第5番「革命」は、第4楽章が特に有名で、誰もが一度は耳にしたことがある曲だと思います。

ショスタコーヴィチ 交響曲第5番ニ短調作品47《革命》 第4楽章 ショルティ

しかし、第5番が突出して有名なのに比較すると、他の交響曲は、芸術的な完成度は非常に高いにも関わらず、取っつきにくいこともあり、一般的にはあまり知られていません。

私自身、ショスタコーヴィチの交響曲は、交響曲全集のCDセットを2セットも持っているにも関わらず、未だに全曲を聴けていません。

バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団の全集は、どの曲の演奏も完成度が高く、定評のあるものです。



もう一つのヤンソンス指揮のセットは、8つのオーケストラ(ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、バイエルン放送響、フィラデルフィア管、サンクト・ペテルブルグ・フィル、ピッツバーグ響、ロンドン・フィル、オスロ・フィル)と、17年間の歳月をかけて完成させたもので、こちらも定評のあるものです。



ショスタコーヴィチの交響曲のなかでもっとも人気と知名度のあるのは、交響曲第5番なのですが、第5番以外の交響曲のなかでは、どれが好みかはまさに百人百様です。

それぞれの交響曲の聴き所は「ショスタコーヴィチの部屋」というサイトに詳しいです。

つい先日ですが、Facebookのグループ投稿で、「ショスタコーヴィチの交響曲のなかでどれが良いか」という投稿に多くの人がコメントを返していました。

まさに、個人の趣味は千差万別。。。しかしここまで人気がバラバラなのも珍しいですね。

個人的には、戦争の悲惨さを最も重厚に表現した第8番が彼の交響曲ではベストでしょうか。

3. 交響曲第11番「1905年」

ショスタコーヴィチの交響曲第11番は、The Year 1905 という副題のとおり、「血の日曜日事件」を描写した作品です。

以下の交響曲第11番の解説は、「ショスタコーヴィチの部屋」からの抜粋です。

第11交響曲「1905年」(1957)

第1楽章「宮殿前広場」

 1楽章は、アダージョで、この曲は死者を弔うためか、やたらとアダージョがある。アダージョの合間にアレグロがあると云っても良い。

 惨劇の前の陰鬱とした宮殿前広場である。陰々滅々たる、吸血鬼の結界のような、人民の血をむさぼる皇帝を吸血鬼へなぞらえたような、凄まじい霧中のプレッシャーの音楽から、11番はスタートする。劇画チックでもあり、8番のような衝撃は無いが、ちがう意味で衝撃的だ。

 と、ティンパニが不気味な音階を連打する中、後の惨劇を予告するような信号ラッパが鳴り渡る。霧の中より、悪夢の象徴であるティンパニの連打が、聴こえてくる。霧はより深くたちこめ、ティンパニの連打は、ひたすら遠くより雷鳴のように鳴り響く。

 それと対照的に、瑞々しく現れるのは、革命歌(囚人歌)「聴いてくれ!」で、フルートで奏される。とても勇気づけられる歌で、悪の象徴、ティンパニも隠れてしまうようだ。だが、広場のテーマが再度現れ、人々を苦しめる。これは、抑圧のテーマでもある。ティンパニはテンポを増す。「聴いてくれ!」が金管に受け継がれ、発展する。ティンパニよりスネアに移ったリズム動機は、悪夢のテーマが前面に出てきたことを意味する。

 次に、同じく革命歌(囚人歌)「夜は暗い」が、弦楽で清らかに歌われる。ここでの芸術的表現は、たいへんに素晴らしい。これは7番に匹敵する、いやそれどころか、純粋に7番を凌駕する「エンタメ」交響曲である。

 ティンパニがさらに低音を伴って憎々しげに革命歌をつぶしてゆく。

 音楽は、また陰鬱とした雰囲気に回帰してゆき、2楽章へと続く。

 第2楽章「1月9日」

 長いアレグロ。ついに人々は宮殿前白場に到達する。既に近衛兵が整列している。ちなみに、皇帝は夏宮という別荘宮におり、この事件のとき、午後3時ころ、優雅にお茶を飲んでいた。人々は現れるはずも無い皇帝へ向かって、命をかけて誓願する。

 2時間がたち、号令ラッパが3度鳴り渡り、その群衆へ、ついに銃火が向けられる!!

 音楽はまず、速いテンポで民衆の「おお、皇帝われらが父」を奏で、人々の哀れな願いを表す。しかし緊張感はいや増すばかりだ。あまつさえ、1楽章の信号ラッパが鳴る! 激しく行進曲調となる。金管によって「帽子をぬごう」のテーマが登場する。
 
 そこから、いったん静かになり、まだ「おお、皇帝われらが父」が弱々しく鳴る。まだ民衆は、弱き民衆は皇帝への希望を棄ててはいない。対位法的に「帽子をぬごう」も登場する。金管が入り、打楽器も盛り上がり、緊張感を増す。これは怒りの表現でもある。

 と、パッと音楽がかき消える。宮殿前のテーマが陰鬱に登場し、人々は静まり返る。ティンパニが鳴る。ラッパが鳴る。

 突如、スネアが1楽章のティンパニのリズムで鳴り響く。突撃だ。近衛兵たちが無抵抗の市民たちへ、女性へも子どもへも、老人へも、無差別に銃を撃ち、コサック騎兵はシャーシュカ(コサックのサーベル刀)を振り下ろす。阿鼻叫喚。人々は逃げまどい、帝都はパニックとなる。
 
 ここをショスタコーヴィチは鬼のようなフガートで表現する。金管が叫び声を挙げ、打楽器は容赦なく人々を撃ち殺してゆく。冬の凍てついた地面へ血が凍りつく。

 ふと気がつく、そこに人はおらず、静寂の中、死体が折り重なっているだけ。しかし最後まで悪のテーマ・ティンパニ鳴るか。

 第3楽章「永遠の記憶」

 またアダージョだが、ここはもっと祈りの感情の強い、レクィレム。ここでは革命歌「君は英雄的に倒れた」が主テーマとして使われている。冒頭より、ヴィオラによって弱々しくその歌がダイレクトに登場する。それを支えるのは、低弦のピチカートのみ。1回、まるごと現れた後は、弦楽合奏でもう一度歌われ、自由に展開されてゆく。

 それから、金管が和音を奏した後、弦楽で「こんにちは、自由を」が登場する。ここでの感動的な盛り上がりは、最高である。なぜか打楽器が惨劇を回想するのだが(笑) 「帽子をぬごう」も再現される。

 そのまま、ティンパニとトランペットが警告音を発し続け、ゆっくりと「君は英雄的に倒れた」の展開された主題に回帰してゆく。

 そして、4楽章へと到る。

 第4楽章「警鐘」

 ここは「圧政者らよ、激怒せよ」のテーマから激しく始まり、「帽子をぬごう」のテーマがまだ使われる。このテーマは全体を貫く循環テーマのように扱われている。それらのテーマが自由に扱われて、打楽器も加えて、盛り上がる。
 
 それから弦楽で「ワルシャワ労働歌」がリズミックに歌われる。これも展開はショスタコによって自由に取り扱われている。そして冒頭のテーマが重々しく鳴り響き、様々なテーマが錯綜する。1楽章のテーマも出てきて、けっこうめちゃくちゃ。絶叫で「恥辱、汚辱、圧政者らに死を!」 でドラ。

 音楽は1楽章の冒頭に戻り、またも宮殿前広場のテーマが切々と鳴り出す。

 と、まだ闘いは終わっていない。このコーダは、闘争の始まりのための音楽の終わりである。ゴーン、ゴーン、と、警鐘が鳴り響く。ホルンが「帽子をぬごう」を雄々しく吹き鳴らす。木管は狂ったように叫びまくり、革命へのたゆまぬ歩きを、闘志を、人々へ楔として打ちこむ。ここに終止形は無い。革命、今だ成らず。

 内容は濃いのだが、音楽的には、とても単純で分かり易いのが特徴で、そのためか、複雑を極めるこれまでの作品に比べて、一本調子に聴こえることは否めない。しかし、そのために劣るような扱いをされているかもしれないが、そんなことはぜんぜん無い。大衆に革命を分かり易く呈示するという名目にも合致している。これは、傑作だ。

 個人的には、ちょっと長い気がする。

(抜粋おわり)

クラシックの描写音楽としては、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」が有名ですが、ショスタコーヴィチの交響曲第11番も、「血の日曜日事件」の惨劇をそのまま音符にしたような暗い曲ですが、何度も聴いていると不思議と虜になってしまいます。

4. 交響曲第12番「1917年」

ショスタコーヴィチの交響曲第12番は、The Year 1917 という副題のとおり、「二月革命」を描写した作品です。

以下の交響曲第12番の解説は、「ショスタコーヴィチの部屋」からの抜粋です。

第12交響曲「1917年」(1961)

 11番は血の日曜日を題材にした暗いものだが、12番は逆にレーニンの偉業をからめたレーニン交響曲とも云えるもので、基本的に勇壮で明るい。。。

。。。ロシア革命は1905年の第1次革命と、1917年の第2次革命とあり、さらに1917年には帝政を打倒した2月の革命と、臨時政府を打倒した10月の革命があった。(この2月と10月はロシア歴で、西暦では3月と11月。)

 ショスタコの作品には、他に交響詩「十月革命」なんてのもあります。

 1917年、既に1905年の血の日曜日事件と、それへ続く第1次世界大戦で、皇帝より人心は離れていた。そこへ、1916年の大寒波による食料不足をきっかけに、首都で大規模なデモが発生。第一次大戦のため前線へ出ていた皇帝はその鎮圧を命令。しかし、軍隊が各所で反乱を起こし、逆にデモへ参加するという事態となった。それへ恐れをなした政府首脳がついに皇帝へ退位を勧告。皇帝はそれをのみ、300年続いたロマノフ王朝は、終わりを告げた。(2月革命)

 その後、国会(ドゥーマ)を中心に臨時政府が立ち上がったが、それぞれの社会主義者たちは革命を目指して、活動を開始。臨時政府は対ドイツ戦の継続を訴えたが、亡命先より帰還したレーニンが戦争の停止を訴える。いよいよ、10月10日にはレーニンが武装蜂起。25日には巡洋艦アヴローラが臨時政府の本拠地だった冬宮に砲撃(空砲)を開始。それを合図に本格的に革命が開始され、早くも26日には冬宮を占拠し、27日、新しい政府としてレーニンを議長とする「人民委員会議」を設立した。(10月革命)

 12番は、10月革命について詳しく描写する。11番に比べすっきりとして、実に分かり易い。また基本的に明るい(軽い)ため、聴き易い。そのため、個人的には12番のほうが好きなのだが、11番のほうが深みはあると云える。また、11番で示されなかった真のフィナーレは、12番のフィナーレで、示される。

 第1楽章「革命のペトログラード」

 ペトログラードとはサンクトペテルブルクからの改称で、後にレニングラードとなる。

 ユニゾンで悠然と、低音が序奏を鳴らす。革命を決意を表すようだ。最後のファンファーレ動機が終了すると、ドラが鳴り、アレグロへ突入する。ファゴットからへクラリネット、そしてオーケストラ全体へそれは広がり、頂点ではシンバルが激しく鳴って、金管が勇壮に鳴り渡る。ショスタコーヴィチのアレグロの中でも、これこそが最上の部類に入るものだろう。

 それが静かになると、次の主題がまた弦楽で静かに響き渡るが、これは「レーニンのテーマ」とも云える、賛歌ふうな、英雄的なものだという。確かに、徐々に低音から高音へ移って行き、最後は堂々とした光り輝くファンファーレを形作る。

 それがまた突如して、緊張感あるアレグロに引き戻される。展開部。テーマがさまざまに変形されて登場する。打楽器の活躍も目覚しい。革命歌「同志よ、勇敢に歩調をすろえよう!」のモティーフも登場し、音楽はどんどん盛り上がる。その頂点で、崩れ落ちるように静まるのもショスタコらしい。

 レーニンのテーマが静かに演奏され、それを受けてコーダになると、第1テーマ(ラスト)が吹奏される。緊張感の残るまま、1楽章は終わるが、すでにフィナーレを暗示しているという。

 第2楽章「ラズリーフ」

 ラズリーフとは、スイスよりフィンランド経由でペテルブルクへ入ったレーニンが、「4月テーゼ」発表の後、一時的に身をひそめた、ペテルブルク郊外の湖の名前。緩徐楽章。アダージョ。

 アタッカで進められる。低弦が静かに、革命を沈思するレーニンをあらわす。副主題が1楽章のレーニンのテーマから取られていることは明白。分かり易いフルートのテーマが、この12番を特徴づけている。それは弦楽に引き継がれ、別のテーマが木管に現れるがは、それは3楽章のアヴローラのテーマを暗示している。レーニンのテーマが幾度と無く登場し、この12番が大きな交響詩的なもの、あるいは循環形式のようなものを容易に知らしめる。

 またも歌うような旋律がフルートに登場し、ファゴットが受け継ぐ。クラリネットの独白も出てきて、ショスタコ得意の木管順番ソロ。最後はおののきの絃をバックにトロンボーンが(やや演歌調で)歌い上げる。

 そのまま続く。

 第3楽章「アヴローラ」

 アヴローラとは、オーロラのことであり、これは巡洋艦「オーロラ」を意味する。オーロラはかの日露戦争の日本海海戦で生き残った数少ないロシア側の軍艦で、いまでもサンクトペテルブルクで記念艦としてネヴァ川に浮かんでいる。まあ、横須賀の三笠といっしょであろう。

 短いスケルツォだが、内容は深い。ピチカートにすでに打楽器が闘争を準備する。ピチカートは次第に主テーマを形作ってゆく。ティンパニの旋律は、砲撃のテーマを暗示している。(というか、そのままだが。)
 
 巡洋艦が静かに出撃した。川面を割って、冬宮へ向かう。気取られてはならない。やがて、金管がレーニンテーマを鳴らし始める。アヴローラがついに、燦然とわれわれの前へ堂々と姿を現す。

 革命だ!!

 誰かが叫ぶ。砲撃が開始された!! 兵士たちが突撃する。

 冬宮を占拠せよ!!

 なだれ込む革命戦士たち。たちまちのうちに、臨時政府は打倒される。ちなみにじっさいに撃たれたのは空砲で、革命の合図として使われた。

 第4楽章「人類の夜明け」

 しかし、ここで云うにことかいて、「人類の夜明け」とキタw

 これが、12番の性格をもっとも端的に表している。つまり、ここでは、純粋に革命讃歌が描かれており、その点で「警鐘」で終わる11番とは一線を画す。

 輝かしく、ホルンの吹く自信に溢れた勝利のテーマ。木管と絃に引き継がれた後、トランペットがファンファーレとして登場する。

 それから勝利のアレグロとなる。レーニンテーマがまだ(そのまま)登場する。まさに循環形式だ。

 中間部的な様子を経て、再びアレグロとなって、これまでのテーマが入れ替わり立ち代りで、さすがにショスタコーヴィチの手腕と唸る。扱っているテーマこそ分かり易いものなので、なんとも聴き逃しがちだが、これは4番にも通じる、主題のめちゃくちゃごったまぜ基地外展開である。すばらしい。

 それがフォルテシシモで最高の頂点を迎えると、いよいよこのレーニン賛歌交響曲も終わりに近づく。ティンパニの連打より、コーダで、主テーマ最終部のファンファーレ主題がいよいよ真のファンファーレとなって、祝砲あり、賛歌ありの大団円となる。ここで革命は成り、11番のラストで鳴らされた警鐘は、ここに真の完結を見る。

 ちなみに、レーニンが政権を奪取した1917年よりソヴィエト連邦共和国誕生の1922年まで、ロシアは5年間の激しい内戦に突入する。社会主義者といっても一枚岩ではなく、様々な派閥が権力闘争、そして戦闘を繰り返して淘汰された。特に1924年にレーニンが死去した後、その跡を継いだスターリンは、共にソヴィエトを作り上げた仲間でさえ、反対派を徹底的に粛清し、恐るべき空前絶後規模の超独裁を確立した。

(抜粋おわり)

個人的には、第3楽章から第4楽章への導入あたりが特に気にっています。特に第3楽章のスケルツォは6分くらいで短いのですが、オーケストラの動きが緩急目まぐるしく変化するなかに、作品のエッセンスが詰め込まれているような聴き応えがあります。

一般的には(暗くてやや冗長な)11番よりこちらの12番のほうが人気があるようで、演奏される頻度も多いと思います。

私は、12番はちょっと共産党体制への賛歌が露骨過ぎるので、11番のほうが好みです。

どちらにも共通しているのが、戦時中を再現した緊張感に満ちた作風ですね。

クラシック音楽のオーケストラ作品で、近代の戦争を題材にした曲は、プロコフィエフの「戦争ソナタ」や、ブリテンの「戦争レクイエム」などが代表的ですが、ショスタコーヴィチの交響曲ほど、打楽器や管弦楽器を総動員してスペクタクルかつ戦場の悲惨さを表現した音楽は他に類を見ないと思います。

そのような血と汗にまみれた芸術作品を、ぬくぬくと自宅のリスニング環境で聴くのは果たして適切な行為なのかどうか。。。

芸術鑑賞の良いところは、誰もが思い思いの方法で(他人に迷惑をかけることなく)楽しむことができるところです。

5. フィンランド

ロシアの隣国のフィンランドについて。

ムーミン、サンタクロース、温泉、ノキア、シベリウス。。。私がフィンランドで連想するのは、そんなものくらいでしょうか。


フィンランドは、日本人にはあまり馴染みのない国かもしれません。

「物語 フィンランドの歴史」という本を図書館から借りて、フィンランドの歴史を少し調べてみました。



フィンランドは、13世紀以来500年に渡りスウェーデン王国の統治下にありました。

現在のフィンランドの公用語は、フィンランド語とスウェーデン語で、町の標識などは現在も2言語表記です(スウェーデン語系の人口はわずかに6%)。

フィンランドは、19世紀に入ってからはロシア帝国の統治下でしたが、紆余曲折を経て、現在の独立国家となりました。

隣国スウェーデンとは長いライバル関係の歴史がありますが、ロシアとの関係は、ロシアがフィンランドを厳しく統治していた短い時期を除くと、「ロシアの圧政に苦しんでいた」わけではありません。

スウェーデン統治からロシア統治への移行(1809年)は、平和的なものだったようです。

ロシアによる平和的な緩い統治は1880年代まで続きましたが、やがて、ロシアがドイツへの警戒を強めるに従い、フィンランドの統治を強めました。

ロシア化が推し進められた時代には、反ロシアの流れでシベリウスが作曲したのが、有名な「フィンランディア」です。

その後、1940年の冬戦争時には、「フィンランディア」の主旋律の「フィンランド賛歌」に歌詞が加えられ、合唱曲として歌われるようになりました。

この合唱曲は、現在、フィンランドの独立記念日である12月6日に演奏されています。

"Finlandia" by Jean Sibelius -- Cantus

母国への愛を表現したとても美しい曲です。

日本の「君が代」のような位置づけでしょうか。

厳密には、この曲はフィンランドの「第二国歌」だそうで、「第一国歌」は別にあります。

フィンランド共和国 国歌「我等の地」(Maamme)

ちなみに、この曲も偶然にFacebookの「クラシックを聴こう」グループの投稿で知りました。

フィンランドの独立記念日である12月6日とは、1917年12月6日のことです。

レーニンとボリシェヴィキがなぜフィンランドの独立を平和裏に承認した背景には、ロシアに続いてフィンランドでも革命が起こり、ともに社会主義の国家を建設するだろうというレーニンの目論見があったとされます。

しかし、ロシアからの独立後も、フィンランド国内では「持てる者」と「持たざる者」の分裂が埋まらず、国民同士が殺し合う内戦へ発展したそうです。

いつの時代にも、不平等や格差社会の問題というのは深刻な問題ですね。。。

話は逸れますが、シャイデルの「暴力と不平等の人類史」というベストセラー大著(2019年「エコノミストが選ぶ 経済図書ベスト10」第2位)は、格差是正の解決は果てしなく困難ということを認識せざるを得ない衝撃的な内容でした。



閑話休題。

フィンランドの内戦には、ドイツ人、ロシア人、スウェーデン人といった外国勢力も加わり、また、第1次世界大戦末期という状況が重なり、さまざまな思惑が絡み合う戦いになりました。

首都ヘルシンキからほど近い要塞島ヴィアポリ(のちのスオメンリンナ)に駐屯していたロシア軍兵士らが反乱をおこした「ヴィアポリの乱」が有名です。

このスオメンリンナという要塞島は、その後の国を二分した赤衛隊と白衛隊の戦いの末、敗北したロシア寄りの赤衛隊の兵士の収容所としても利用されました。

現在は一般開放されており、フィンランドの観光名所としてガイドブックに必ず載っています(1991年に世界遺産に認定)。

スオメンリンナ
(Michal Pise, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=189327による)

ロシアからの独立の翌年の1918年5月には内戦が終結し、新政権が発足しました。

1930年代には、フィンランドは民主主義の国家として安定しましたが、その背景には、ロシア統治時代の大公国としての歴史や伝統が、民主主義の基盤になったとされています。

その後の第二次世界大戦では。。。(後日追記予定)



みんなちがって、みんないい。個性を大切にするフィンランドの教育事情 | Compathy Magazine(コンパシーマガジン)
フィンランドの教育における大切なキーワードは「個性」。いかに子どもたち一人一人が持つ個を性引き出し、伸ばしていくかという点に重きを置いています、だそうです。

また、フィンランド、エストニア、ハンガリーなどには、フィン・ウゴル系民族が多いのですが、民族の特徴として、数学やコンピューターの分野にも強いイメージがあります。

ちなみに、フィンランドでは日本の評判が良いとのこと。

日本のおかげでロシアから独立できた、日露戦争とロシア革命でロシアが弱体化したと思っている人が多いからだそうです。

これはトルコも同じですね。。。学生時代にトルコに行ったときに、現地の人がみな日本人びいきだったことに驚いたことがあります。

ロシア人はどこでも嫌われ者で、ちょっと気の毒ですね。。。

6. ムーミンについて

フィンランドで私がまず連想するのがムーミンなのですが、ムーミンは実はカバではないって知りませんでした。

ムーミンはトロール(森の妖精)なんですね、カバだと間違って思っている人も結構いるのでは?

トロールというのは、日本人にはあまり馴染みのないキャラクターなのですが、ロード・オブ・ザ・リングやアナ雪、ハリー・ポッターにも登場しますよね。

アナ雪のトロール

もっとも、ハリー・ポッター(第1作 賢者の石)に登場したトロールは、ホグワーツのトイレでハーマイオニーに襲い掛かったボケて低能な怪物でしたが。

ハリー・ポッターのトロール

ムーミンは子供のころにTVで良く観ていたのですが、最近「ムーミン谷のなかまたち」というアニメになって甦っているそうです。

NHKで放映中なのですが、残念なことに、観れるのはBS4Kだけなんですよね。

去年の「大草原の小さな家」もそうだったのですが、NHKのBS4K縛りは何とかしてほしいものです。。。

以上、ロシア革命について書き始めたら、締めはムーミンで終わるというなんとも脱線だらけの投稿でした。

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