ハーフマラソン、フルマラソン、そしてウルトラマラソン

なぜ走り始め、走り続けるのか?ーー人それぞれ理由があると思いますが、私が走り始めたきっかけは、ダイエットのためでした。

その後、早朝ランニングが習慣となり、やがてフルマラソンに出場、ダイエットのためではなく、走ること自体が目的になりました。

一時期はランニングから離れてしまった時期もありましたが、トライアスロン挑戦を思い立ってから復活、その勢いでウルトラマラソンにも挑戦しました。

が、やがて再びランニングから離れましたが、体重増加で仕方なくランニングを続けるということに。。。

そうこうしているうちに、走り始めて11年間が経ちました。

11年間走り続けているのに、マラソン大会出場は7回と少ないのですが、これまでに10kmマラソン、ハーフマラソン、フルマラソン、そしてウルトラマラソンにもチャレンジしました。

以下これまで走ったマラソン大会の完走記です。

私がジョギングを始めたのは2007年10月20日のことでした。不摂生で体重が70kgの大台を突破してしまいBMI値24.9でメタボの危機でダイエットを考え始めたころ、家族が不在の連休に、なんとなく近所の公園を走ったのがきっかけでした。

Tシャツ1枚でちょっと走ってみたところ、大汗をかいてしまい、それでも何となく爽快な気分になったのを覚えています。

マラソンなんて辛いだけだし、自分に一番縁のないスポーツだと思っていたのですが、走り始めて体重がみるみるうちに減少するのが楽しくなり、いつの間にか早朝に10kmのジョギングが習慣になってしまいました。

走り始めて1か月後には、10kmを1時間切って走れるようになり、3カ月で5kgの減量にも成功しました。職場の仕事仲間にも「痩せてスッキリした」「いい感じ」と皆に褒められて一層やる気が沸きました。

走り始めて4か月後には、21.1kmのハーフの距離を公園で試走して、1時間59分21秒と2時間切りのペースで走れました。体重は62.2kgまで減量しています。

私は熱しやすく飽きやすい性格なのですが、どうせ何かやるならとことんやってしまおうと、走るからには目標を秋のフルマラソン初挑戦でサブフォー達成を目標と決めました。

1.ハーフマラソン(第26回早春ジョギング大会、2008年3月2日)1時間57分13秒


ジョギングを始めて半年で始めて出たハーフマラソン大会は、川崎市の多摩川土手沿いコースを走る「第26回早春ジョギング」でした。スタート地点が実家から徒歩圏内ということもあり、妻と幼稚園生の娘も応援に駆けつけてくれました。

初春の暖かな天気の日でした。

当時は私はマラソンに関して全くの予備知識もなく、ウェアもごく普通の綿100%のTシャツ、下はダボダボの激安ズボンというランナーとしては有り得ない恰好で出走したのです。。。


初マラソン出場の雄姿?を家族が沿道で応援。当時幼稚園生だった長女はずいぶん遠くから私の姿を見つけてくれました!


最初の10kmは順調で、折り返し地点までは走っているのが楽しいと思えるほど最高の気分でレースを満喫することができました。しかし。。。

後半はどんどん脚が辛くなってきて、最後はもうあと何キロという標識を探して必死に我慢して走る辛いだけのマラソンになってしまいました。それでも何とか途中で歩くことなく完走しました。


結果は、1時間57分13秒で完走(第26回早春ジョギング大会結果)、辛いレースでしたが何とか2時間を切ることができました。しかし、完走直後は足腰がガクガクで、身体的なダメージは相当なものでした。

Nike+iPodの記録

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ハーフマラソン後、ジョギングウェアやCW-Xタイツを購入、またコエンザイムやコンドロイチンといったサプリメントにも手を出しました。近所のマッサージにも足しげく通いました。また、CW-Xのウェアを新調、心拍管理も必要ということで、こちらは腕時計と心拍計セット(SUUNTO T3)を購入しました。

ハーフマラソン後間もない3月の中旬に、スタスタ走法で10kmを48分33秒という信じ難いハイペースで走り切ることができましたが、これは今でも不思議です。

やがて、踝の痛みは治ったものの、今度は膝の痛みに悩まされるようになってしまいました。医者からはランニングを控えるように言われ、8月が過ぎても走れない日々が断続的に続きました。

9月になってカスタムメードインソール(フランスSIDAS社のStepIN-plusという製品)を購入してみたところ、これが大ヒット!膝の痛みが治まりました。

ちなみにこの頃の体重は60.1kg、体脂肪率11.8%でした。

初フルマラソンは湘南国際マラソン大会へと決めて、エントリーをしました。ちなみに当時のエントリーは、申込用紙を事務局宛てに締切までに郵送するという、今のクリック合戦からは信じられないようなのんびりとしたものでした。

残るはスタミナの問題だけ。猛暑も収まった10月初旬、42.195kmを練習で試したところ、30kmあまりでハンガーノック状態で足が全く動かなくなってしまいました。走行中の給水やエネルギー補給が如何に大切か良い教訓になりましたが、結局フルの距離をサブフォーペースで走れる自信のないままレース当日を迎えることになりました。

さらにまずいことに、レース直前に風邪を引いてしまい。何週間も治らずレース当日まで体調が完治しませんでした。これが結局は致命的となってしまいました。

2.フルマラソン(第3回湘南国際マラソン 2008年11月16日)4時間12分29秒


年間1,000kmと走り込んで初のフルマラソンを走りました。初フルマラソンでサブフォーを狙いましたが、結果は4時間12分29秒と玉砕、おまけにゴール直後に悪寒で動けなくなり、そのまま大会事務局のバンに収容され、病院送りで点滴を受ける羽目になりました(第3回湘南国際マラソン大会結果)。以下は当時の日記からの引用です。

レース会場には8時に到着。3時間40分~4時間の枠に並びます。小雨が降り肌寒いなか周りはみな驚くほど軽装、しかも余裕の表情です。僕だけが神経質にストレッチをしたり靴ひもを何度も締め直したりして落ち着きません。そのうちにトイレに行きたくなりましたが、近くにはないので我慢するしかありませんでした。

8時40分。スタートエリアへの移動が始まりました。気がつくと沿道にラーメン屋が空いています。ダメ元でトイレが借りれるか聞いたところ親切にもオッケーということで、スタート直前にトイレに行けてこれは幸運でした。ただ心拍数がいつもより高いのが心配です。

9時スタート。1分半くらいでスタートラインを横切ります。周囲は結構早いペース。時折ランナーと肩がぶつかりますが国道は幅広いので大きな混乱や渋滞はありません。沿道では小学生の吹奏楽隊が応援してくれます。最初の給水所の仮設トイレは既に長い列ができているのが見えました。

5km地点
5分29秒ペース。サブフォーのためには5分41秒ペースが必要ですが、あまり飛ばしても後半バテてしまうので少しペースダウンすることに。心拍数が早くも165を越えており不安になります。心配していた咳やタンが絡まないのが救いです。

10km地点
ラップが54分26秒。ペースが上がってしまっています。しかも心拍数は170を越えています。
やばい。早過ぎる。意識してペースダウンします。
次の給水所で計画通りPowerBarGelを取り出し、水と一緒に飲み込みました。なんか一気に元気が出てきて嬉しくなりました。
トイレに行きたくなり、沿道の公衆トイレを見つけて入ります。待ち行列はなかったので余計なロスなし。
ミニーちゃんの衣装で走っている女性がいて、沿道からたくさん声援を受けています。余裕あるランナーが羨ましい。。。

20km地点
1時間50分37秒。いいぞ、計画通りだ。心拍数も悪くない。足の疲れも大丈夫だ。3月のハーフマラソンでラスト3kmが苦しかったのを思い出しました。成長に少し自己満足を感じます。ひょっとしてサブフォーいけるのでは、という思いがチラと頭をよぎりました。


30km地点
2時間48分49秒。練習のときに足が動かなくなった距離です。さすがにしんどくなってきました。ペースも5分56秒まで落ちました。立ち止まってしまったランナーがちらほら出てきました。

ここから先はいよいよ未知の世界です。

35km地点
3時間19分22秒。一気に足が重くなりペースが大幅に落ち込んでしまいました。前半の貯金はすべて使い果たし逆に1分遅れ。サブフォーが一気に遠のいた瞬間でした。こりゃダメだという諦めと、死んでも挽回してやるという執念が頭のなかで格闘します。

40km地点
苦しみもがきながら、激しい頭痛に襲われます。着地時の両足への衝撃はこれまで経験したことのない凄まじさです。フルマラソンを甘く考えていた自分を恨みます。ゴール地点の大磯プリンスが右手に見えてきてから、折り返し地点までは気絶しそうなほど遠く感じました。時折渾身の力で力走を試みるも長くは続きません。

残り1km地点
すでに手元の時計は無情にも4時間を超えてしまいました。あとは何を目指して走り続ければいいのだろうか。。。意識がもうろうとするなか、沿道の「がんばれー」という応援の声にはっと我に返ります。

最後の登り坂をなんとか登りきって疲労困憊でゴール。ラスト1kmは10分33秒。

最後はほとんど歩いたのと同じでした。しかし応援に来てくれているはずの妻子の姿が見えません。。。

ゴールした直後、猛烈な寒気が体を襲い、両肩が痙攣を起こして震えが止まりません。すぐにでも着換えを済ませたかったのですが、着替えを持って待っているはずの妻の姿がありません。我慢できず総合受付テントに助けを求めました。

震えが止まらない状態で体温を測ると38度7分の高熱。妻とは携帯で連絡が取れて着換えを持ってきてくれ、車椅子に乗せられてスタッフのバンで地元の病院に搬送されました。病院では血液検査を受けたあと、点滴を打ちしばらくベッドで安静に横たわりました。

下はそのときの血液検査の結果です。

フルマラソン完走直後の血液検査結果

フルマラソン後の血液検査の結果をネットで調べてみると、血液検査で重要な数値は、CPK, GOT/GPT, LDH, そしてCRPなどがあることがわかりました(参考記事:おもな血液・尿検査の基準値マラソン中の突然死)。

筋細胞の破壊度を表すCPK(クレアチンフォスキナーゼ)が496(正常値は60~250)。
肝機能を検査するGOTとGPTはそれぞれ69、125(正常値はそれぞれ40以下, 45以下)。
心筋障害や肝障害の目安となるLDH(乳酸脱水素酵素)は406(正常値は120~240)。
体内の炎症を表すCRP(C反応性蛋白)は0.24と正常範囲内(0.30以下)でした。

血液検査では特に数値に異常は発見されませんでした。

やはり風邪をこじらせたのが響いたようです。

詳しい原因はわかりませんが、風邪が長引き体力が消耗されていたのは間違いないと思います。高熱はもしかしたら脱水症状だったのかもしれません。レース中はこまめに水を飲んでいましたが、フルマラソンで3リットル以上の水分が失われるというから、まだ足りなかったのかもしれません。

5km(27'25", 5'29"/km, 162bpm)
10km(27'01", 5'24"/km, 168bpm)
15km(28'02", 5'36"/km, 165bpm)
20km(28'09", 5'38"/km, 166bpm)
25km(28'30", 5'42"/km, 167bpm)
30km(29'42", 5'56"/km, 168bpm)
35km(30'33", 6'07"/km, 165bpm)
41.195km(41'14", 6'15"/km, 161bpm)
42.195km(10'33", 10'33"/km, 130bpm)

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幸いレースの翌日には熱も下がり体調も回復しました。

サブフォー達成できなかった悔しさはあまり感じませんでした。もちろん達成感もないのですが、自分の体調調整を失敗したことでレースが始まる前に勝負はついていたのかもしれません。

初フルマラソンを走った教訓は、「練習以上の結果は決して出せない」でした。

フルマラソンを終えてから、12月になってクロスバイクを購入、自転車通勤を始めました。しかし、自転車通勤を始めてからほどなく、ハンドル操作を誤り、思いっきり腰をひねってギックリ腰をやってしまいました。

以後、ギックリ腰とは一生の付き合いになりそうなほど、慢性的に悩まされることになってしまいました。

3月から5月の3カ月間は腰痛のおかげで全く走ることができず、ジテツーのみでした。体重も63kgまで増加してしまいました。

6月になって再び朝ランを再開してからは、みるみる記録も伸びて、キロ5分を切るペースでも走れるようになりました。9月に入るとニコニコペースでも10kmをキロ5分40秒で余裕で走れるようになりました。

フルマラソンのリベンジは、11月のつくばマラソンに決めました。つくばマラソンは基本フラットの高速コースで、季節も11月と理想的なシーズンです。湘南国際を再び挑戦しようという気は全く起きませんでした。

ただし、湘南国際の壮絶な記憶が鮮烈に残っていたこともあり、サブフォー達成の自信は全くありません。

11月になると体重は59.9kg、体脂肪率も11.5%まで絞ることに成功しました。

ところが。。。つくばまであと1週間もないという直前に、咳と鼻水で大風邪になってしまいました。大ピンチです。体調不良で走ってサブフォーならずに病院で点滴となった昨年の悪夢が蘇ります。。。

家族にも心配されながらも、体調不良をおしてフルマラソン走ることを決心しました。

3.フルマラソン(第29回つくばマラソン 2009年11月22日)3時間56分06秒


湘南国際マラソンでサブフォーに失敗して挫折、その悔しさをバネに年間さらに1,000km走り込んで二度目のフルマラソンを走りました。結果は3時間56分06秒(ネット)でサブフォー達成!前回の無念をようやく果たせました。


フラットなコースで気温も10度と走るには絶好のコンディションだったこともあり、何とか目標を達成することができました。しかし残り5kmの辛さは忘れられません。以下は当時の日記からの引用です。


スタート地点は渋滞が発生してなかなか前へ進めなかったため最初の5kmは大幅にペースが遅れてしまいました。焦ってその後心拍数の上昇を無視して飛ばしたおかげでハーフでは当初の計画どおり約10分の貯金を作れました。

その後30kmまでをなんとかペースを保って走れたのが一番の勝因だと思います。30kmを超えたところで残りあと1時間20分あったので、サブフォーを確信しました。しかしその後前半飛ばしたせいで大幅にペースダウン。1000人くらいに追い抜かれた感じでした。残り3kmくらいのところで後ろからサブフォーのペースメーカー(とその一群)が来て、それにも引っ張ってもらいました。最後はおそらくキロ7分くらいまで落ち込んだので、もし前半の貯金がなかったら危ないところでした。

そして家族が見守ってくれるなか、感激のゴール!!


鼻をズルズルやりながらも無理して出場した甲斐がありました。ゴールには応援に来た家族の姿が。日頃の家族のサポートに感謝しつつ、手を振りました。


最高気温が10度とかなり寒い一日で、長袖1枚で走りましたが、給水で走りながらコップから飲もうとすると必ず水をウェアに引っ掛けてしまいその度に寒い思いをしました。準備していたPowerBarGelの容器は手がかじかんでいたせいもありまったく実用に耐えず、代わりにバナナを摂取しました。ボランティアの方々にも感謝です。結局途中のトイレはなし。前回の教訓で水は頻繁に摂取しました。

5km(28'34",5'42"/km,164bpm)
10km(25'25",5'05"/km,173bpm)
15km(25'32",5'06"/km,175bpm)
20km(25'30",5'06"/km,175bpm)
ハーフ折り返し(1:50'39")
25km(26'16",5'15"/km,177bpm)
30km(27'51",5'34"/km,176bpm)
35km(31'14",6'14"/km,171bpm)
40km(31'32",6'18"/km,168bpm)
42.195km(14'11",6'27"/km,163bpm)
トータル(3:56'06",5'35"/km,171bpm)

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家族と一緒につくば駅前の中華料理店に。冷え切った体に暖かい料理が最高でした。長女が作ってくれた金メダル(サブフォー、前回もらえなかった)と銀メダル(完走)も身につけて。

帰路は高速バスで東京へ。

ジョギングを始めて2年。その日は文句無しに続けてきて良かったと思えた一日でした。

フルマラソンでサブフォーを達成した教訓は、「走った距離は裏切らない」でした。

サブフォー達成後は、燃え尽き感もあり、また仕事が忙しくなったこともあってやがて真剣に走ることを止めてしまいました。。。

そして1年が経ったころに、体重は65.1kg、体脂肪率も16.9%まで増加して再びデブの道をまっしぐら。。。これではいかんといういことで、横浜マラソンの10kmにエントリー、久しぶりに走ることになりました。

4.10kmマラソン(第30回横浜マラソン 2010年12月5日)53分17秒


2010年12月に横浜マラソンで10kmを走りました(当時は横浜マラソンはフルマラソン大会ではありませんでした)。前半キロ4分30秒というハイペースで飛ばし過ぎて後半は大幅にペースダウン、目標は50分切りでしたが、結果は53分17秒(キロ5分19秒)という凡庸な結果に終わりました。


1km 4'30(105bpm)
2km 4'51(154bpm)
3km 5'00(154bpm)
4km 5'45(176bpm)
5km 5'36(177bpm) (25'42)
6km 5'36(184bpm)
7km 5'39(182bpm)
8km 5'30(184bpm)
9km 5'23(185bpm)
10km 5'33(184bpm)

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横浜マラソンを最後にその後は何年もマラソン大会からは遠ざかってしまいました。

しかし、ある日突然思いついたトライアスロンへの挑戦をきっかけに、2013年暮れから再び走り込みを始めました。

そして2014年には念願のトライアスロン大会(ショート)を無事に完走しました。
2014 世界トライアスロンシリーズ横浜大会(横浜トライアスロン)を完走しました こうなると再びマラソンで記録を狙ってやろうと意欲も沸き上がり、12月のマラソン大会に家族全員でエントリーしました(私は10kmの部、長女は小学生3kmの部、妻と次女は42.195mのファンラン)。

5.10kmマラソン(第10回駒沢ランナーズフェスタ 2014年12月14日)48分40秒


家族全員で参加したランナーズフェスタに、10kmマラソンの部で出場しました。家族の応援するなか、最初から飛ばしてそのままのハイペースを維持、目標の50分を切ってゴールすることができました(記録は48分40秒、キロ4分52秒)。


10kmを走ったタイムとしては、かつて練習で一度だけキロ4分44秒で10キロを走ったことがありましたが、キロ4分52秒は当時の自分としては2番目に速い記録でした。

キロ4分44秒の最速記録(2014/10/12)

しかしあまりに張り切り過ぎたのか、ゴール直後に悪寒に襲われてそのまま38度の発熱、しばらく寝込んでしまいました。

1 km 4:31
2 km 4:58
3 km 5:07
4 km 4:40
5 km 4:49
6 km 5:03
7 km 4:54
8 km 4:56
9 km 4:50
10 km 4:53

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2015年には念願のアイアンマンジャパンを完走して、その勢いでウルトラマラソンに挑戦しました。 アイアンマンジャパン北海道(2015)を完走しました ウルトラの準備として、大会1か月前の9月初旬に50kmの試走をやってみたのですが、あっけなく30kmで内足広筋の痛みでギブアップしてしまいました。

そこで以前トレランでお世話になったコーチのマンツーマンレッスンを受けて、超長距離向けのランニングフォームを教えてもらうなど、これまでのやり方を捨ててすべて新しい気持ちで準備を進めました。

6.ウルトラマラソン(第4回所沢ロードtoモーニング 2015年10月3~4日)90km/12時間00分00秒


所沢の航空公園(1周2.5km)をひたすら周回する12時間耐久走の大会でした。つまり、12時間の制限時間の間に何周できるかを競う大会ということで、厳密にはウルトラマラソン大会のように100kmにゴールがあるわけではありません。制限時間の12時間以内に公園を40周できれば100㎞完走ということになります。

ウルトラマラソンで12時間の制限時間をクリアするためには、キロ7分12秒で走る必要があります。アイアンマンジャパンの42.195kmではキロ8分47秒もかかっているため、長距離にしてはかなり早いペースで走らなければなりません。

全国のメジャーなウルトラマラソン大会の制限時間は13時間(サロマ湖)、オホーツク、宮古島(14時間)と比較すると、本大会の12時間はかなり厳しいです。。。



スタートしてから20kmまでの序盤は堅調でした。が、20kmを超えてから徐々に脚に疲れが溜まってきます。

やがてスタートから4時間50分ほどでフルマラソンの距離の42.195kmを超えました。ここからは未踏の世界です。45kmを過ぎたあたりからの脚の重さは相当なもので、キロ8分台が頻発するようになってしまいました。腕、腰、そして尻のフォームを意識して走ります。

50kmの折り返し地点では貯金は15分に減ってしまいましたが、まだ100km完走はいけるんではと考えていました。

が、50kmを超えてからは貯金もみるみる減ってゆき、60km地点で完全に使い果たしてしまい、ここで万事休す、この時点で100km完走は断念してしまいました。最大の楽しみにしていた途中休憩の時間がなくなったことがモチベーションが低下してしまったせいもあります。

100km完走の目標を失い、残りがまだ40kmもあるというのは地獄以外の何ものでもありません。エイドに辿り着いてしばらく脚を休めます。その場でストレッチをしたり、汗だくになったウェアも着替えました。

そして残りの時間はひたすら辛抱のラン。。。右脚の指に突き刺すような痛みも発生しました。指先が何かに当たって擦れているような痛みが。こうなると、走ったり歩いたりを繰り返し、走っている最中も常に歩く誘惑と格闘しながらという状況が延々と続きました。。。

そして、夜が明けて朝の7時にようやくゴール。結果は、制限時間の12時間を迎えて90km止まり、残念ながら100kmを走ることはできませんでした第4回所沢ロードtoモーニング結果)。

レース結果は12時間耐久走扱いですが、気持ち的にはリタイア。。。勢いだけで完走できるほどウルトラマラソンは甘くないということを痛感したレースでした。

レース後の身体へのダメージは凄まじいものがあり、まだ履きなれないシューズだったこともあり、両足の指の4本の爪が死に、足腰もしばらくはびっこをひいて歩く始末でした。


このウルトラマラソン大会の詳細は以前にブログ記事でも投稿しました。 所沢ウルトラナイト、タイムアウトで100km届きませんでした 

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アイアンマンを完走した体力をもってしても、ウルトラマラソンの100kmは完走できませんでした。ウルトラマラソンの過酷度は想像を絶していました。

リベンジも考えたのですが、ウルトラマラソン完走を目指すとなると、月間150~200kmくらい走り込まなければならないようで、さすがにそれだけ走るのはムリだと諦めました。

その後再び仕事が忙しくなったのと、念願のアイアンマン完走を果たしてトライアスロンのモチベーションも低下してしまい、再び肥満化の道をひた走ることになってしまいました。。。

朝ランは週1回のペースで何とか続けたのですが、ペースが落ちて、キロ6分で走るのがやっとの体力に低下してしまいました。逆に食事のほうは無制限に食べ続けた結果、トライアスロンをやっていた頃の体型は見る影もなくなり、肥満化が急速に進みました。

そして。。。ウルトラマラソン出走から3年後の2018年の夏には、ついに体重が70kgの大台を超えてしまい、10年振りにメタボの危機が訪れました。

ちょうどその時期に、何も考えずにエントリー応募していた世田谷区ハーフマラソンに抽選で当たったとの通知が来ました。

これは減量には良い目標が出来たとばかり、再び朝ランを始めることにしたのです。

短い期間でしたが、久し振りに月間100km近く走り込み、実に3年振りのマラソン大会に挑みました。

7.ハーフマラソン(第13回世田谷区246ハーフマラソン 2018年11月)2時間6分59秒


3年ぶりのマラソン大会出場。ハーフマラソンは実に10年ぶりとなります。10年前はジョギングを始めて6か月で出場、1時間57分13秒と2時間切りをしていますが、走り込みは当時のほうが遥かにしていたので、タイムが落ちるのは明らかでした。

目標タイムは、制限時間の2時間10分で完走することでした。が、欲を出して、最初の10kmは2時間完走ペース(キロ5分40秒)で走ってみようと考えていました。

結果は、2時間6分59秒で完走。世田谷ハーフは制限時間が2時間10分とかなり厳しかったので、制限3分前にかなりギリギリでゴールしたことになります。

前半は思いのほか調子が良く、2時間(キロ5分40秒ペース)のペースメーカーの少し先を終始走り続けていました。

ひょっとしてこのまま2時間切りできるか、と思ったのも後半徐々に体力が消耗し、15km地点での給水所で上り坂が始まる地点で2時間のペースメーカーに追い抜かれてしまいました。

その後は大幅ペースダウン、情けなくも脚が止まってしまい、トボトボと歩いてしまいました。が、最後は競技場に入ってラストランは全力疾走でゴール!


平均心拍数は175とかなり高め。最大心拍数は目黒通りの上り坂でペースメーカーに追い付いたときの190でした。運動強度PTEは5.0と最大でした。

最大心拍数は「208‐0.7×年齢」で計算すると私の場合は170.9なのですが、10km走って平均心拍数が175、最大心拍数が190というのは、一体どういうことでしょうか。。。


そういえば、この大会には以前は応援に来てくれた家族も、子供たちは大きくなって別の用事で出かけてしまって来てくれませんでした。。。

この10kmマラソン大会の詳細は以前にブログ記事でも投稿しました。 世田谷246ハーフマラソンをなんとか完走しました ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以上が私が過去11年間に出走した7回のマラソン大会の完走記です。10kmが2回、ハーフが2回、フルが2回、そしてウルトラが1回です。

そして以下は過去11年間の累積走行距離のJogNote記録です。走り始めて11年目、現在累積で9406.1km。

あと600kmくらいで累計10,000km達成です!


地球1周が40,075kmなので、ようやく4分の1周するという気の遠くなるような距離ですね。。。

しかし9年前(2009年)には年間1,000km以上走って平均ペース5分21秒とは。。。昔は今より全然速く走れたんですね。。。

マラソンを習慣にすると体重は減少しますが、走るのを止めると当然ながら上昇します。以下が過去11年間の体重の推移です。




40歳で70.2kg(BMI値24.9)が、2年後の42歳で60.1kgまで10kgの減量に成功しました。が、フルマラソンでサブフォー達成後に走るのを止めたところ、あっという間に44歳で65.3kg(腹囲84.5cm)までリバウンドしてしまいました。

トライアスロン挑戦を思い立ってトレーニングを始めてからは、体重は再び激減し、48歳で59.6kg(腹囲72.0cm)とついに60kgを切りました。

アイアンマン完走後は再び走るのを止めてしまい、52歳で67.3kg(腹囲81.5cm)まで再びリバウンドと、痩せたり太ったりの繰り返しでした。

不思議なことに、トライアスロンを初めてからの3年間は、毎年の人間ドック検査では、すべての検査項目でオールA、経過観察項目もなく、健康診断結果はパーフェクトが続きました。ジョギングを何年間も続けるのは、明らかに健康に良いことが証明されました。

では、なぜ私は走り始め、走り続けるのか?

今走り続けているのは、累計10,000kmがもうすぐ達成できるからです。

しかし、累計10,000km達成の先には何があるのでしょうか?

挫折したウルトラマラソンの完走を目標にすることもできますが、あまりにハードルが高い気がします。50歳を過ぎて年齢的にも厳しいものもあります。ハーフマラソンよりも長い距離を走るのは、健康増進というよりむしろ身体を酷使するだけです。

結局のところ、走る続ける理由など必要なく、走りたければ走る、そうでなければ走らない、という極めてシンプルなことなのかもしれません。


10年後にこのブログを読み返すときに、果たして自分は走り続けているでしょうか。。。??

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