[日本サッカーが世界に通用しない決定的な理由] 元サッカー少年のオヤジが回顧する日本サッカーの限界

(2026年7月27日 更新)

2026年ワールドカップサッカーが終了しました。

日本は今回も再び世界の厚い壁に阻まれ、決勝リーグ初戦で姿を消しました。

今はサッカーとはすっかり疎遠になってしまいましたが、私は学生時代はサッカー部に所属してそれなりに本気でサッカーに取り組んできた過去があります。


以下は、元サッカー少年のオヤジが回顧する、日本サッカー史を振り返り、日本が世界に通用しない理由についてまとめたものです。

結論から先に書くと、日本サッカーが世界に通用しない決定的な理由は、プレミアリーグのトップチームでレギュラーのレベルの選手が一人もいないからです。

欧州のプレミアリーグのトップチームで2年以上活躍している日本人選手が過去現在通して一人もいない(ベスト8常連国には20人くらいいる)という事実が証明しています。

また、期待を煽るだけの国内メディアと、それにまんまと乗ってしまう国内サッカーファンのレベルの低さも問題を悪化させています。

この状態が続く限りは、2050年を迎えても、優勝はおろか、ベスト8入りさえも不可能でしょう。

1. 1970年代

私がサッカーを始めたのは、小学生のときであり、やはりサッカーをやっていた兄の影響でした。

小学校4年生(?)

上の写真はおそらく小学4年生ごろに自宅の団地の路地でサッカーを練習していたときのものですが、左足で蹴っています。私は手は右利きなのですが、足は左利きだったのです。

サッカーを始めたころは、リフティング(足でボールを連続して地面に落とさずに蹴る)を5回できるように何度も練習したのを覚えています。

当時はサッカーは野球人気の足元にも及ばず、TVやニュースの報道でもほとんど話題になることはありませんでした。

そのなかで唯一といってよい海外サッカーの情報源は、テレビ東京が毎週土曜日に放映していた「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組でした。

三菱ダイヤモンドサッカー

この番組のオープニングテーマを聴くと、懐かしさのあまり涙がこぼれてきてしまいます。。。

この番組のおかげで、イングランドやブラジルをはじめとする世界のサッカーのレベルが如何に高いものかというものが憧れを持って少年時代の心に刷り込まれたのでした。

なかでも、ケビン・キーガンというリバプール(イングランド)のフォワード選手は当時のサッカー少年の憧れの的でした。

ケビン・キーガンのスーパープレー集

当時はイングランドなど遥か別世界という感覚しかなく、日本人からすると桁外れの体格でロングのモジャモジャヘアスタイルのその威容は、畏怖の念の対象でした。良く授業中に友達同士でノートにケビン・キーガンの絵を描いていたのを覚えています。

また、イングランドのプレミアリーグの試合のハイライトを放送していたのですが、ゴールキーパーのキックが、画面の上を突き抜けるほど高く上がることに腰を抜かして観ていたことを覚えています。

中学校生活はサッカー部活が中心でした。東京都有数の強豪サッカー部を持つ中学に進学したからです。

サッカー部の担任が、元日本サッカー代表選手だったので、練習は死ぬほどキツかったのを覚えています。今と違ってスポーツは根性がすべてですから、練習中の給水は当然禁止、何かで罰となると成長期の少年には害しかない「うさぎ跳び」でした。まさに「巨人の星」の世界です。

私は当時、痩せ身で背も低く、運動神経も大したことがなかったのですが、サッカーは左足が利き足だったことが幸いして、左のウイング(今ではそういうポジションの呼び名はなくなってしまいましたが)として背番号11番のレギュラーのポジションを確保していました。

左足でのボールさばきなら誰にも負けませんでした。おまけに偏平足の私の足はボールをジャストミートすることは得意だったので、シュートの威力や左からのセンタリングには自信がありました。

センタリングは瞬発力を活かして左足で右足にボールをぶつけてその反動で一気に左コーナーを駆け上がるパターンと、ゴール前では右足でシュートすると見せかけてフェイントで切替して左足でシュートというのが定番でした。

中学に入ってから対外試合で連戦連勝、確か10連勝くらいしたのではないでしょうか。数年前に中高の同窓会で当時の部活の友人から、対外試合での初ゴールは私が決めたと聞かされて驚きました。

中学生時代

ところが、中学2年生のときだったでしょうか、新人戦という公式戦で一番重要な試合で、あろうことか、良いところなく1回戦負けを喫してしまったのです。

激怒した担任から下された罰は、「全員丸坊主」でした。みんなで床屋に行って生まれて初めてバリカンで丸坊主にされ、そのアホな面をお互いに笑い合ったのは青春です。

私は中学2年から3年生に進む頃に脚の成長期の病気(オスグッドシュラッター病)で半年間休部を余儀なくされました。膝の関節が痛み走れなくなる病気でした。

オスグッドシュラッター病(オスグッドシュラッテルシ病とも言う)は成長病のひとつです。詳細についてはこちらを参照ください。大腿四頭筋が膝の下の脛骨につながっている場所が炎症(もしくは裂離)している状態のことです。

オスグッドシュラッター病

私の左膝は今でも半月板の下の部分の骨が突き出ていますが、これは軟骨が剥離を起こして固まった跡なのだそうです。成長期にはこの軟骨が自然に伸びることで身長が伸びるはずだったので、私は短足で身長も伸びなかったというわけです。確かにサッカー選手は短足が多いですね(アルゼンチンのメッシとか)。

中学3年になって再びレギュラーに返り咲きましたが、同級生がレベルアップして、左脚でのキックを練習し始めていました。当然私の不動のレフトウイングのレギュラーの座を狙って。。。

結局、右足が利き足で、それに加えて左足でボールコントロールできるようになったライバルに敵うわけもなく、私はあっけなくレギュラー陥落、そして高校進学を機にサッカー部を退部してしまいました。

そのころ、サッカー界ではアルゼンチンのディエゴ・マラドーナという選手が大きな注目を浴びるようになりました。マラドーナが日本に初来日したのは彼が19歳の1979年ですが、ワールドユース大会代表で国立競技場で試合に出場しました。

別冊サッカーマガジン1979年秋号 ワールドユース'79

私は友人と一緒に国立競技場にマラドーナを観に行ったのです。

試合に勝って大きなアルゼンチン旗を身にまとって競技場トラックをウィニングランするマラドーナの姿は今も良く覚えています(当時サッカー部の先輩は図々しくもマラドーナと一緒にウィニングランに勝手に参加してその写真がスポーツ誌に載りました)。

中学を卒業して高校に入ると、当初50人以上いたであろうサッカー部員は淘汰され、レギュラーと準レギュラー、そして少数のやる気のある補欠だけが残りました。

高校では私はサッカー部としてではなく、サッカー好きと早朝に登校して試合をやったりと、サッカーを初めて楽しんで過ごすことができました。

学校の7組対抗のスポーツ大会では、サッカーで初めてセンターフォワードをやり、前半全く良いところなし、クラスの友人から「元サッカー部なのに見掛け倒しだ」と陰口を叩かれ、後半試合終了時に、おそらくその試合唯一のドリブル中央突破で偶然にもディフェンダーを交わして無我夢中で蹴ったシュートが、これまた偶然にもゴール隅に決まるという劇的ゴールで、それが決勝点となり勝利したことがあります。級友にもみくちゃにされたのも良い思い出です。

私が遊びでサッカーに興じている一方、中学から真剣にサッカー部を続けていた友人たちは着々と実力をつけ、ついに全国高校サッカー選手権の東京都の予選大会で決勝まで勝ち進んでしまいました。

全国大会都大会予選で決勝まで進むなんてのは学校創立以来初のことで、学校は大騒ぎ。なんといっても都大会の決勝戦はテレビで放映されることになっているのです。学校はその日休みになり、確かチャーターバスで全校生徒、スタジアムに応援に行った記憶があります。

決勝戦の対戦相手は、これまたなんと、過去に何度も全国大会で優勝して日本一に輝いている強豪の名門、帝京高校です。

試合は、確か0対3くらいで帝京に敗れてしまいましたが、当時の帝京は確か5年連続くらいで東京都代表になった超名門校、そんな強豪相手によく健闘したと思います。私は応援席から、かつて小学校、中学校と同じサッカー部で同じ釜の飯を食ってきた友人たちの英姿を拝みながら、こんなスゴイやつらと昔は一緒にサッカーをやったんだと誇らしい気分になりました。

この頃、キャプテン翼というサッカー漫画が大流行しました。そのおかげで、これまではスポーツでは今一つ人気のなかったサッカーが一躍世の中の脚光を浴びることになります。

また、大学生になってからは4年に一度のワールドカップは欠かさずTVで観ました。

ちょうどビデオデッキというものが普及した時期でもあり、試合を録画予約してあとでゆっくり観戦することができるようになったからです。記憶が正しければ、1986年のメキシコ大会から、全試合をTVで観ることができるようになりました。

メキシコ大会では、絶頂期のマラドーナが大活躍し、決勝では西ドイツを下して優勝しました。

マラドーナの例の「神の手」プレーが有名です。現在のビデオ判定システムでは決して生まれないゴールですね。

マラドーナの「神の手」ゴール

しかし、マラドーナの真骨頂は、同じイングランド戦での「5人抜きシュート」です。中央からパスを受けてひょいと身を引いてからゴールまでほとんどスピードを落とすことなく、最後はゴールキーパーの1:1で抜いてゴールする姿には、当時笑いしか出てきませんでした。

マラドーナの「5人抜き」シュート

86年のメキシコ大会では、強力FWウーゴサンチェス率いる開催国のメキシコのベスト8躍進が印象的でこのとき開催国アドバンテージというものを初めて知りました。

2. 1980年代

社会人では会社のサッカー部に入って、週末はたまにサッカーの試合に出ました。

社会人時代

しかしそれも異動で職場や勤務先が変わると自然消滅して、それ以来今日までサッカーボールを蹴ることは二度とありませんでした。

1990年のイタリア大会は、寝不足を押して全試合(1次リーグ36試合+決勝リーグ16試合合計52試合)をすべてTV観戦しました。

この大会のテーマ曲(英語タイトル To Be Number One)のメロディは今でも耳に焼き付いているほどです。

Gianna Nannini & Edoardo Bennato Un'estate Italiana

90年のイタリア大会では、何といっても開幕戦のアルゼンチン対カメルーン戦が印象に残っています。前回優勝のアルゼンチンを、大会前には全くのダークホースだった初出場のアフリカの無名国のカメルーンが撃破してしまったのです。カメルーンの決勝点となったオマンビークのヘディングシュートは伝説となっています。当時の解説者だったか、「プンピード(アルゼンチンのゴールキーパー)は、シュートがまるで高い空から降ってくるような感覚だったろう」と述べていました。

カメルーンの決勝ヘディングゴール

社会人になって平日は寝不足でフラフラになりながらも全試合を完全視聴(?)して、当時勤務先の所長から「勤務を全うしつつワールドカップ全試合視聴という偉業を達成した」ということで皮肉を込めて表彰されてしまいました。

このとき一番大変だったのは、ワールドカップの速報結果が電車のホームのKIOSKにチラシ張りされてしまっていて、嫌でも帰宅のときに録画視聴の前に試合結果が眼に飛び込んできてしまうことでした。

決勝リーグでのカメルーン対イングランド戦も、不幸にもこのチラシを観てしまい、録画ビデオを観る前にイングランド勝利という結果を知ってしまいました。それでも仕方なく録画を観たのですが、前半から後半に入っても終始カメルーンが優勢で、なんと2-1でリードしてしまったではないですか!試合の流れも完全にカメルーン。一時はチラシを見間違えたかと思いましたが、確かPKかなんかでイングランドが追いつき、結局3-2でイングランドが勝利した試合でした。

このワールドカップでは、対ユーゴスラビア戦でドイツのクリンスマンが見せた(魅せた)飛び込みヘディングシュートはあまりに鮮烈で今でも忘れられません。

クリンスマンのヘディングシュート

決勝戦では西ドイツがアルゼンチンを破り、前回の雪辱を果たす形で幕を閉じました。

そのころ日本ではプロリーグはなかったのですが、日産の木村和司選手のプレーは才能溢れる見事なもので、確かドイツチームが来日して親善試合をやったときは、ベッケンバウアー監督から、「木村選手は世界に通用する」とまで言われていました(多少外交辞令だったかもしれませんが)。課題は、木村選手のような突出したサッカープレーヤーがほとんどいない選手層の浅さでした。

3. Jリーグ発足

日本では93年にJリーグが発足しました。私は当時海外に赴任していたのですが、Jリーグの試合をTVで観たのが(確か)サンパウロのホテルだったと思います。

実況は日本語ではなく、ポルトガル語だったので何を言っているのか全くわかりませんでしたが、その試合のレベルの低さに強烈なショックを受けました。

日本の代表選手が集まったサッカーの試合がこの程度のレベルか。。。

それはもう、プロサッカーの試合というより、素人集団がボールに我先にと群がっているだけの素人サッカーにしか見えませんでした。試合の組み立てとかそんなレベルではなく、トラップもろくにできずにディフェンダーとボールを奪い合っている様にしか見えませんでした。

93年Jリーグ開幕戦

私が見た試合は上の開幕戦ではなかったと思うのですが、開幕戦も3ゴールはすべて外国人助っ人のゴールです(2点目のアシストは木村和司)。

こんなレベルでプロリーグ発足?しかも10チームも?

疑問しか沸きませんでした。

以後、ワールドカップの試合も含めてサッカーに完全に興味を失いました。

1994年のアメリカ大会はほとんど観戦せず、89年のドーハの悲劇もTVニュースで知る程度でした。

4. ワールドカップ初出場

そして。。。1998年のフランス大会での日本初出場。日本中がワールドカップ出場で沸いていました。

そんななか、私は日本が世界で通用するほど世界は甘くないと確信していたので、予選3敗は間違いないと思っていました。

ところが、世の中はサッカーでついに世界の一流国に仲間入りしたとはやし立て、予選リーグ突破に向けてなんやらかんやらと大騒ぎです。

私は会社の同僚とワールドカップサッカーの話題になると、私は予選3敗するだろうと言うと、非国民扱いされてしまいました。アルゼンチンには勝てないかもしれないが、クロアチアとジャマイカには勝って2勝1敗で予選リーグ突破などと力説され、まったく話が通じません。

そして、初戦のアルゼンチン戦で0-1と惨敗した翌日のスポーツ紙を読んで愕然としました。

それはスポーツ紙でも最大発行部数を誇る日刊スポーツ新聞でした。

紙面では、「日本1点差涙」「夢舞台初戦 候補アルゼンチンといい勝負」「抑えた 最強の2トップ バティの一発だけ」と、いかにも接戦で惜しくも勝ちを逃したかのような事実歪曲、大本営的な発表でした。

記事の中身も、如何に惜敗したか、日本代表の決勝リーグ進出が見えたかのような内容でした。

日刊スポーツの大本営発表

スポーツ報知の大本営発表

当時の日本の雰囲気から日本が全然ダメだったとは書きにくかったのでしょうが、メディアがそれでは言語道断です。戦時中の大本営発表と何ら変わらない最低レベルのメディア報道です。この件で日本のメディアに対しての不信感も決定的となりました。

アルゼンチン戦は、スコアこそ0-1と接戦のようでしたが、相手のシュートがクロスバーに当たった幸運などもあり、内容的には日本は何もできずに終始アルゼンチンのペースで終わった試合でした。

当時、サッカーのデータ分析が現在のレベルのものがあれば、日本が如何に一方的に攻められていて、シュートチャンスや決定機がほぼゼロだったのが良くわかると思います。

98年フランスW杯 アルゼンチンvs日本

次のクロアチア戦も連敗して、0勝2敗となり、一次リーグ突破が絶望的となりました。最終戦の相手は日本と同じW杯初出場のジャマイカです。

私はたくさんの友人とジャマイカ戦の賭けをしました。ほとんどの友人がいくら何でも南国のサッカー無名国のジャマイカには負けるわけないだろうと、私が日本の負けに対してオッズを高くして日本の勝ちに賭けました(私は2点以上取られて負けるに賭けました)。

私は日本が負ける予想をした背景は、ジャマイカの選手は多くが欧州のリーグに所属する選手だという情報のみでしたが、それだけで十分でした。世界のレベルをまるで知らない日本チームが、世界のレベルで戦っている経験を持つジャマイカに勝てるはずがないと考えたからです。

結果は、1-2で日本の負け。日本は3連敗でワールドカップを去ることになりました。W杯開催前は称賛の的だった岡田監督や戦犯と決めつけられた城選手は、心無い日本の国民から「帰ってくんな」「無能者」など散々な避難を浴びて本当に気の毒でした。

それでも、日本のメディアは自分たちの報道が間違っていたとは認めずに、「次のワールドカップに向けて感触をつかんだ」だの「記録に残るW杯初ゴール」だの報道していました。

ゴン中山がジャマイカ戦で決めたシュートなんて、試合がほぼ決まったあとの、どうでも良いゴールでした。ゴールキーパーも2対1になって最後は諦めていたし、シュート自体は誰でも入れられる簡単なものでした。

日本対ジャマイカ ゴン中山のゴール

ちなみにゴン中山選手は98年ワールドカップの年にJリーグで4試合連続ハットトリックのギネス記録を樹立しています。これは中山選手が極めて優秀なストライカーだったというより、当時のJリーグのレベルの低さを象徴しています。

守備の堅牢さが確立されている世界のトップリーグで1選手が4試合連続のハットトリックなど有り得ないからです。

中山雅史 驚異の4試合連続ハットトリック

5. 以降のワールドカップ

その後の2002年、2006年、2010年、2014年、2018年、2022年と日本代表は連続でワールドカップに出場していますが、別に日本のレベルが世界レベルになったからではなく、出場国の枠が1998年から24チームから32チームに増えたからです(アジア代表枠は2ヵ国から4国へ増加)。

弱小アジア枠が4枠もあるので、予選突破がラクになったのです。

それに比べて欧州や南米は強豪国がひしめき合うなかで予選リーグを突破することは至難の業です。事実今回のW杯でも、超強豪のイタリアが予選で敗退して出場を逃しています。

日本のサッカーのレベルに関しては、私は非常に厳しい考えをしています。

1998年の初出場以来、過去8大会に出場した日本チームですが、未だに世界に通用するレベルには達していません。

その要因は、ズバリ、シュート(ゴール)の世界レベルにあると思います。

個人技で勝てなければ運動量とチームワークで相手に勝つとか、パスや守備力で世界に挑むとか、日本の戦術はいろいろ語られていますが、サッカーで勝つためには得点しなければなりません、当たり前ですが。

得点するためには、シュートを決める必要があります。

しかし、世界レベルのチームとなると、そう簡単にはシュートを打たせてもらえません。教科書的な態勢から、トラップをして、踏み込んで、前を向いてゴールを狙うなんてことは100%不可能なのです。

ワールドカップのシュート(とゴール)を統計立てて分析すればわかると思うのですが、多くのゴールが、「ディフェンダーに競り勝って」「有り得ない姿勢から」「キーパーが届かない場所への」ゴールです。

フリーになって余裕を持って決めたシュートなどほとんどないと思います。

日本代表のゴールで、この「ディフェンダーに競り勝って」「有り得ない姿勢から」「キーパーが届かない場所への」ゴールを決めたのは、過去5大会で、たった一度しかありません。

それは、前回(2014年)大会の1次リーグ第3戦の対コロンビアで岡崎が決めた同点ゴールです。

2014年W杯岡崎の対コロンビア戦ゴール

このゴールは、コロンビア戦前半終了間際に決まった値千金のゴールでした。このゴールで前半は1-1で折り返し、後半に繋げることができました。結果的には1-4で実力差を見せつけられてしまいましたが、コロンビアも勝ちに行った試合のなかでのゴールだったので、価値の高いものでした。

残念なのは、この岡崎のシュートシーンは、ヘディングシュートなので映像的に見栄えがしないのか、ワールドカップのTV番組や報道でもほとんど再放送されないことです。

中田や稲本、鈴木のゴールシーンばかり再現されますが、あれはすべて世界的なレベルから見たら「ごく普通の」ゴールです。岡崎のゴールはほとんど「忘れ去られた」ゴールになっているのが本当に残念です。

ちなみにTikTokに過去の日本代表の胸熱ゴール15選がポストされていました

@ko_artisan

サッカーW杯での日本代表の熱いゴール15本をまとめました #サッカー#ワールドカップ#本田圭佑#堂安律#Football

♬ オリジナル楽曲 - まとめ職人

これを見ると、コロンビア戦での岡崎のヘディングシュート以外はどれもフリーで決めた凡庸なシュートばかり 笑

6. 2026年のワールドカップ

2026年のワールドカップサッカーも決勝戦が終わって全日程が終了しました。

日本は予選初戦でオランダに引き分けの金星スタートだったものの、最弱チュニジアに勝っただけで決勝ラウンドはまたも初戦で敗退で終了

毎度毎度ですが、なぜ日本は「目標は優勝!」とか無理難題な目標で爆死するのでしょうか?

日本サッカーが世界に通用しない決定的な理由は、このTikTok投稿が説明しているように、欧州のプレミアリーグで2年以上活躍している選手が過去現在通して一人もいないという事実に集約されているからです。

ベスト8常連国は、そのような選手が平均で20人くらいいるのに、日本はずーっと0人!

これで勝てるわけはありません。

日本国民もメディアもこの事実にいい加減気付いてほしいものです。

以下がそのChatGPTでのやり取りです

【質問】
サッカーの強豪国と言われているフランス、イタリア、ドイツ、イギリス、ブラジル、アルゼンチンといった国は、プレミアリーグのトップチームにこれまで2年以上レギュラーで活躍した選手が歴代で20人以上いるというのは本当ですか?
一方、日本は一人もいないというのは本当ですか?

【回答】
結論から言うと、

フランス、ブラジル、アルゼンチンについては「20人以上いる」はまず間違いなく事実です。
イングランド(イギリス)は当然20人どころではありません。

ドイツやイタリアも、「プレミアリーグのトップクラブで2年以上レギュラー」と定義すれば20人前後またはそれ以上いると考えてよいでしょう。

一方、「日本は一人もいない」というのは本当です。

ただし、「トップチーム」「レギュラー」「2年以上」という条件は公式な定義ではないため、人数は数え方によって多少変わります。

日本人選手はどうか

プレミアリーグのビッグクラブ(マンチェスター・シティ、リバプール、アーセナル、マンチェスター・ユナイテッド、チェルシーなど)で、

2年以上
明確なレギュラー

という条件を満たした日本人は、歴代でもいません。

例えば、

香川真司(マンチェスター・ユナイテッド)
2シーズン在籍しましたが、ファーガソン退任後は出場機会が減り、「2年以上レギュラー」とは言えません。
南野拓実(リバプール)
レギュラーではありませんでした。
冨安健洋(アーセナル)
加入直後はレギュラーでしたが、その後は度重なる負傷で継続的な主力にはなれませんでした。
三笘薫
ブライトンでは主力ですが、ブライトンはプレミアの強豪ではあっても、一般に「ビッグ6」のトップクラブには含まれません。

したがって、この条件では日本は0人と言ってよいでしょう。

一方、サッカー強豪国は

例えばフランスだけでも、

ティエリ・アンリ
パトリック・ヴィエラ
ロベール・ピレス
ウィリアム・ギャラス
エマニュエル・プティ
クロード・マケレレ
エヌゴロ・カンテ
オリビエ・ジルー
ユーゴ・ロリス
ラファエル・ヴァラン
エリック・カントナ
シルヴァン・ディスタン
サミル・ナスリ
ギャエル・クリシー
バカリ・サニャ

など、20人を大きく超える選手がいます。

ブラジルやアルゼンチンも同様で、

ブラジル:ロベルト・フィルミーノ、アリソン、エデルソン、フェルナンジーニョ、ファビーニョ、ガブリエウ・ジェズス、チアゴ・シウバ、オスカルなど多数。
アルゼンチン:セルヒオ・アグエロ、カルロス・テベス、ハビエル・マスチェラーノ、パブロ・サバレタ、エミリアーノ・マルティネス、アレクシス・マクアリスターなど多数。

このように、各国ともプレミアリーグのトップクラブで長年主力を務めた選手が数多くいます。

つまり、ご質問の趣旨は概ね正しく、世界のサッカー強豪国ではそのような選手が20人以上いる国が珍しくない一方、日本は現時点ではまだ該当者がいないというのが実情です。

これは日本代表が近年強くなってきたとはいえ、世界トップクラスの選手層という点では、伝統的な強豪国との差がまだ残っていることを示す一つの指標と言えるでしょう。

(ChatGPTおわり)

繰り返しますが、日本のサッカーが世界に通用しないのは、プレミアリーグのトップチームでレギュラーのレベルの選手が一人もいないからです。

監督がダメだとか、サッカー協会がダメだとか、和の文化が邪魔だとか、公園が少ないとか、そんなのはすべて副次的な理由です。

また、監督や選手の責任だけでなく、期待を煽るだけの国内メディアと、それにまんまと乗ってしまうサッカーファンの民度の低さも問題だと思いますが。。。

こんな状況が続くようだと、4年後も何の進展もなく、また今回のようなバカ騒ぎで終わりそうですね。

そして気が付けばサッカーボールを蹴らずに早や30年。。。

と、サッカーの少年時代の思い出を綴るつもりがいつの間にかダラダラとした駄文になってしまいました。

還暦を過ぎたオヤジが昔を懐かしがっていると、生暖かく見守っていただければ幸いです 笑

(2026年9月2日 追記)
2026シーズンのプレミアリーグの主な日本人選手は以下となります。
 
GK 鈴木彩艶 アストン・ヴィラ
DF 冨安健洋  クリスタル・パレス
MF 鎌田大地 クリスタル・パレス
MF 遠藤航  リヴァプール
MF 三笘薫  ブライトン
MF 田中碧  リーズ・ユナイテッド
MF 守田英正 ハル・シティ
MF 坂元達裕 コヴェントリー・シティ
FW 前田大然 イプスウィッチ・タウン

残念ながら、優勝候補の5チーム(アーセナル、マンチェスター・シティ、リバプール、チェルシー、マンチェスター・ユナイテッド)には誰も所属していません。

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