[現代は歴史上最も平和な時代なのか]『暴力の人類史(上)』(スティーブン・ピンカー)

 スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史(上)』(2015年)を読みました。



各方面で絶賛されているベストセラー書籍ですが、上下巻合わせて1300ページ(上巻だけでも652ページ)という途方もないボリューム。。。半年かけて何とか上巻を完読。

以下は出版社内容説明です。

「人類はこの世界から暴力を根絶し、平和に向かうことができるのか?先史時代から現代まで人類の歴史を通観しながら、神経生物学や脳科学など最新知見を総動員し、暴力をめぐる人間の本性を精緻に分析。壮大なスケールで大胆な仮説を提示する、人類の未来への希望の書」
「わたしが読んだなかでもっとも重要な本の一冊。それも「今年の」ではなく「永遠の一冊」だ」(ビル・ゲイツ)

以下に所感をまとめました(2023年10月23日日 完了)。

0. 『暴力の人類史(上)』

『暴力の人類史』を読み始めたのは、同名のNHKのドキュメンタリー作品を観たのがきっかけでした。

『暴力の人類史(上)』の著者スティーブン・ピンカーは1954年生まれの米国の認知心理学者です(以下はwikiより引用)。

スティーブン・ピンカー(出典:Gettyimages)

専門分野は視覚的認知能力と子供の言語能力の発達である。ノーム・チョムスキーの生成文法の影響を受け、脳機能としての言語能力や、言語獲得の問題について研究し著作を発表している。言語が自然選択によって形作られた「本能」あるいは生物学的適応であるという概念を大衆化したことでよく知られている。この点では言語能力が他の適応の副産物であると考えるチョムスキーやその他の人々と対立する。

The Language Instinct (1994年、邦訳『言語を生みだす本能』)、How the Mind Works (1997年、邦訳『心の仕組み』)、Words and Rules (2000年)、The Blank Slate (2002年、邦訳『人間の本性を考える』)、The Stuff of Thought (2007)は数多くの賞を受賞し、いずれもベストセラーになった。特に『心の仕組み』と『人間の本性を考える』はピューリツァー賞の最終候補になった。また、2004年には米タイム誌の「最も影響力のある100人」に選ばれた。2005年にはプロスペクト誌、フォーリンポリシー誌で「知識人トップ100人」のうち一人に選ばれた。

(引用おわり)


Amazonのカスタマーレビューでは、4.4/5.0と高い評価を得ています。


第1章 異国
第2章 平和化のプロセス
第3章 文明化のプロセス
第4章 人道主義革命
第5章 長い平和
第6章 新しい平和

上巻だけで600ぺージを超える超大作で、読了に半年もかかってしまいました。

ようやく上巻を読了した所感ですが。。。とにかくスケールの大きさに圧倒されました。

『暴力の人類史』という書籍名からは、単なる暴力の人類史を網羅した歴史本と誤解しがちですが、本著は暴力と非暴力の「心理学の」本といっても過言ではないでしょう(原著のタイトルは「人間性の善なる大使」("Better Angels of our Nature")。

膨大なデータを基に極めて論理的な分析を行った結果を、わかりやすい実例を豊富に織り交ぜながら、「なぜ暴力は減り続けているのか」「さらに暴力を減らすためには何が必要なのか」を懇切丁寧に読者に提示します。

感傷的な反戦メッセージや、根拠に乏しいプロパガンダとは一線を画す指南書と言ったら良いでしょうか。

著者のスティーブン・ピンカーの主張には、もちろん賛否両論があります(例えば「世界的知性」スティーブン・ピンカーが、米国「リベラル」から嫌われる理由など)。

彼の振る舞いには「人種差別や性差別の暴力に苦しむ人々が挙げてきた声をかき消すようなパターンがある」という理由で。

進化心理学が社会から反発を受けるのはさもありなんと思いますが、ポストモダニズムに反する主張までもが反発を受けているというのは正直理解に苦しみます。。。

「暴力は減り続けている」という彼の主張がそのまま定説化すると、いろいろな弊害が生まれるというわけですね。

確かに、戦争や暴力を世界から完全に根絶するのは不可能かもしれません。

しかし、暴力根絶に向けて、全人類ひとりひとりがこの本を読む価値があるのでは、と思えるほどの傑作で、個人的には間違いなく人生ベストオブベストの一冊です。

以下に内容を簡単に紹介します(以下太字は本文より引用)。

今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ。

人間の認知能力は、私たちが暴力的な時代に生きていると信じやすい傾向をもたらす。とりわけ、「血が流れればトップニュースになる」をモットーにするメディアが、暴力的傾向を煽るような報道をすればなおさらだ。

私たちが今日ある平和を享受できるのは、過去の世代の人々が暴力の蔓延する状況に戦慄し、なんとかそれを減らそうと努力したからであり、だからこそ私たちは今日も残る暴力を減らすために努めなければならない。

1. 第1章 異国

ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』

彼の描いた人物たちは、大量殺人とレイプは避けられない人生の現実として受け入れていた

自分たちの生み出した悲劇を神々の嫉妬や愚行のせいにしたのである

ヘブライ語聖書(旧約聖書)

カインは弟アベルを襲って殺した。世界の人口がたった四人だったのだから、これは殺人発生率でいえば25%ということになる

神は罪深いものたちに対して、集団虐殺(ジェノサイド)こそふさわしい処罰の方法であると心に決める

ノアの洪水
大量乳児殺人(生まれた赤ん坊が男の子だったら一人残らず殺すように命じる)
エジプト軍の紅海での溺死
金の子牛の鋳造崇拝で、3000人のイスラエル人を殺害

モーセの命令「息のある者はひとりも生かしておいてはならない。主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさなければならない」

現代人の目から見ると、聖書に描かれた世界の残虐さは驚くばかりだ。

奴隷、レイプ、近親間での殺人など日常茶飯事。武将は市民を無差別に殺しまくり、子供でも容赦しない。

聖書に数を明示してある大量殺人によって殺害された人はおよそ120万人に達するという(ノアの大洪水の犠牲者を足せば、さらに2000万人が上乗せされることになる)

ローマ帝国と初期キリスト教

ローマ帝国の最大のシンボルはコロッセオだ。

苦しみの果てに死んでいった人の数は50万人にものぼり、それがまさにローマ市民に「パンと見世物」を提供したのだった

ローマにおける死の手段としてもっとも有名なのは磔(はりつけ)だ。

両腕に全体重がかかり、肋骨はその重みで広げられるため、腕に力を入れるか、釘を打たれた両脚を踏ん張るかしないかぎり呼吸は難しくなる。三、四時間から長ければ三、四日苦しみ抜いた末に、男は窒息か失血のために死亡する。

キリスト教徒にとっては、磔という処刑の手段は、忌まわしいものではなく、むしろ、人間が犯した罪を神が慈悲の賜物として与えた「良い知らせ」であったと著者は指摘しています。

殉教者たちはさまざまな方法で拷問死を遂げ、そのことによって神に並ぶ地位を得た

この世での苦難は来世での至福と報われるのだから、聖人たちは苦しみを喜んで受け入れた

初期キリスト教は残虐性を是認したことにより、キリスト教ヨーロッパで1000年以上にわたって行われた組織的拷問の先例をつくったわけです。


なるほど。。。中世ヨーロッパの残虐な暴力のルーツは、まさに、キリスト教の信仰にあったとは、目から鱗でした。

中世の騎士

ヘンリー8世、めとった妻は全部で六人
一人は死に、一人は生きて、二人は離婚、二人は首をはねられた

ヘンリーの次に王座に就いたのは。。。ヘンリーの娘のメアリー、次がもう一人の娘エリザベスだった。

メアリー1世は、プロテスタント信者およそ300人を火炙りの刑に処した。。。エリザベスはさらに123人の聖職者のはらわたを取って四つ裂きにした。。。

命じた拷問は数知れないにも関わらず、エリザベス1世はイングランド王のなかでも最も敬愛された国王の1人だ

シェイクスピア作品
グリム童話集
マザーグースの童謡

調査の結果、テレビ番組の暴力シーンの頻度は、1時間あたり4.8回なのに対して、マザーグースでは52.2回だったという

アレクサンダー・ハミルトン:アメリカ合衆国憲法の実際の起草者、旧10ドル紙幣の顔


死因:バー副大統領との決闘で、銃弾が下胸部に命中して、翌日死去

自分の名誉が損なわれたと感じた者は相手に決闘を申し込むことができ、一人の人間が死ぬことでそれ以上の暴力を抑え、敗れた側の一族や取り巻きたちに恨みの感情を残すこともなかった

数十年前までは、自分を侮辱した相手に拳を振り上げることは、その人間が立派な人格をもつことのあかしだった。ところが今日、それは粗暴であることのあらわれ、衝動制御障害の兆候であって、その人物は怒りのコントロール・セラピーへの参加資格ありと見なされてしまう。

まあ、今日でも拳を振り上げる人は後を絶ちませんが。。。例えばハリウッド 笑


この本の読者(そして世界の大部分の地域に暮らす人々)は、もはや誘拐されて性奴隷になることも、神の命じるジェノサイドに遭うことも、見世物や競技に出て命を落とすことも、評判のよくない考えを抱いた罰として十字架や柱や車輪にくくりつけられることも、男児を生まなかったために首をはねられることも、王族とデートしたために内臓をえぐり出されることも、自分の名誉を守るために決闘に巻き込まれることもない。

2. 第2章 平和化のプロセス

ダーウィン『種の起源』
ホッブス『リヴァイアサン』

『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス):動物とは遺伝子によって設計された生存機械に過ぎない


ほかの生命体が岩や川と違うのは、それが往々にして反撃してくる点だ

人間の3つの本性(『リヴァイアサン』)
・競争:人々に利得を求めて侵入を行わせる
・不信:安全を求めて
・誇り:評判を求めて
暴力を使用する

競争相手を押しのけて食べ物や水、望ましい縄張りなどを得ることができる生存機械は、その競争相手より多く繁殖する

不信:ホッブスの罠 = 国際関係論の分野では安全保障のジレンマ

ホッブスの罠への対策は、抑止策をとることだ。

先制攻撃はしないこと、相手から先制攻撃を受けても生き延びるだけの強さを身につけること、そして攻撃されたら同様の報復をすることである

リヴァイアサンとは、人民の意志を体現し、力の行使権を独占する君主制やその他の政府形態を示す。

リヴァイアサンは攻撃者にペナルティを課すことによって侵犯のインセンティブを除去し、それによって先制攻撃に対する不安を和らげるとともに、すべての当事者が自らの決意を証明するために反撃即応体勢を維持することを不要にする。

リヴァイアサンの論理

「はじめに」で書いたとおり、私自身は、暴力に関する生物学理論は運命論的で、ロマンティックな説は楽観主義的だとする考え。。。

ここがスティーブン・ピンカーがリベラル派から攻撃される最大のポイントですね。。。

人類の祖先の暴力

ヒトの直系の祖先にあたる霊長類はとっくの昔に絶滅してしまったが、彼らがどんな生き物だったかをしのばせる証拠が少なくとも一つは残っているーわれわれと同じ祖先をもつチンパンジーだ。

ここでチンパンジーの暴力性について、奇しくも、先日鑑賞した映画『NOPE/ノープ』に繋がりました!

このように、芸術のジャンルを超えて共通のトピックが見出だせると、新鮮な感動を覚えます。。。

ある群れでは、チンパンジーたちが隣接する群れのオス全員を攻撃し、人間の世界だったら集団虐殺に値するような惨事が起きた(足の指や性器を噛み切ったり、胴体から肉を引きちぎったり、血を飲んだり、気管を引き裂いたりするのだ)

殺しを伴う攻撃はチンパンジーの正常な行動レパートリーの一つであることに、もはや疑いの余地はない

チンパンジー(暴力的) vs. ボノボ(温厚)

国家と非国家社会における暴力発生率

殺人の発生率は年間、人口10万人あたりの殺人件数で示すのが標準

人類の歴史のなかで最も安全な場所、21世紀初頭の西ヨーロッパの殺人発生率は、10万人あたり年間約1件である

アメリカは、最悪だった1970年代から80年代にかけての殺人発生率は、10万人あたり年間約10件(デトロイトなど治安の悪い年では45件)だった

10万人あたり年間約1000件を超えると、毎年誰か知っている人(知人が100人いると仮定)が殺されることになり、自分自身も生涯のうちに殺される確率が半分以上あることになる。

非国家社会の戦争による年間死亡率の平均は524人

非国家社会と国家社会の戦争による死亡率

20世紀中に世界全体で、組織的暴力(戦争、ジェノサイド、粛清、人為的原因による飢餓)による年間死亡率の平均は60人である。

第一次世界大戦の戦死者(1000万人)と第二次世界大戦の戦死者(8000万人)を含めても、国家社会の年間人口10万人あたりの戦死者数は、非国家社会と比較すると、大幅に減少しているという驚くべき事実となりました!

3. 第3章 文明化のプロセス

本章ではヨーロッパの中世から現代までのあいだに殺人が減少したことが中心に展開されています。

以下のグラフは、イギリス(イングランド)における13世紀から20世紀にかけての殺人発生率の劇的な減少(95%の減少)


(人口10万人あたりの殺人発生率が1件を下回るのが基準)

この衝撃の事実が著者の本著執筆のきっかけになったほどでした。

殺人におけるいつくかのパターンは相変わらずに維持されている

殺人を犯した者の92%が男性であり、殺人を犯す年代は20代が最も多い。

また一般には都市のほうが農村部よりも安全だという傾向は、1960年代に都市部の殺人件数が上昇するまで続いた。

これは意外。

もうひとつの歴史的変化は、殺人のなかでも自分と縁戚関係にない者を殺害するケースのほうが、子供や親、配偶者、きょうだいを殺害するケースよりもはるかに急激に減少したことだ(ヴェルッコの法則)。

以下は15世紀のドイツの日常生活を騎士の目を通して描いた『中世素画集』より



まさに暴力の祭典 笑

騎士たちは抑止力としての脅しの信頼性を維持すべく、流血の闘いをはじめとする男らしい武勇の誇示に勤しんだ。

それは、名誉、勇気、騎士道、誇り、勇猛などといった美辞麗句で飾り立てられ、のちの世になると、彼らがいかに地に飢えた略奪者であったかは忘れ去られてしまった。

中世の暴力について言及があるとき、私は映画『キングダム・オブ・ヘブン』の以下のシーンをいつも連想します。

Kingdom of Heaven Priest's Death HD

オーランドブルーム演じる主人公が、異母兄弟である司祭が妻を殺した犯人だったと悟った途端、剣で刺したうえに炎のなかに突き飛ばすシーンです。

まだ疑惑しかない段階で、いきなり兄弟を刺して焼き殺すという衝動に走るというのが、現代人の私には違和感しかありません。。。

リドリー・スコット監督の『最後の決闘裁判』も、誇りや名誉が元凶で、かつての親友同士が決闘で殺し合うというストーリーでした。


主人公の母親が、こう言います。

「私も若いときにレイプされたけど、黙っていた」「その報酬は?」「生きていること」

真実を知っているのは神だけであり、その神が“正しい者”を勝利へと導くという暴力の理論は、ノスタルジーを感じるかもしれませんが、現代には全く受け入れがたい考えです。

当時の娯楽にも暴力は浸透していました。

「両手を後ろ手に縛られたプレーヤーが、柱に釘付けにされた猫に頭突きを食らわせ、どちらが先に猫を殺せるかを競う。プレーヤーは、殺気立った猫に爪で頬や目を引っかかれる危険と隣り合わせである。。。もうひとつは、大きな囲いの中で男たちが棍棒を持って豚を追いかけ回すというものだ。豚はキーキー悲鳴をあげながら逃げ回り、最後には叩き殺されるのを、観客は大笑いしながら観戦する」

動物虐待という概念は当時は微塵にもなかったんですね。。。

しかし、娯楽の「狩猟」は、現在も欧米諸国を中心に根強く残っていますが、著者は言及していません。

狩猟は文化であるとか、個体を一定に維持するために有用だとか、いろいろと意見があるようですが、娯楽の「狩猟」は動物に対する明確な暴力であるのに、欧米ではなぜ完全禁止にされないのか理解に苦しみます(インドなどでは完全禁止)。


ついさっきまで冗談を言いあっていた同士が次の瞬間には互いを嘲り、売り言葉に買い言葉が行き交い、笑いの場が突然、激しい闘いの場に変貌するのである。

のちの人びとは内なる衝動や感情を隠すことなく、率直かつ直接的に発散した。

あらゆることが抑制され、緩和され、計算され、またタブーが自己抑制として衝動の構造に深く埋め込まれている私たちにとってのみ、彼らの敬虔さと好戦性、あるいは残酷さが相矛盾するものに見えるのである。

中世の人びとの生活についてリアルに描かれているこのポイントこそ、暴力の源泉なわけで、現代社会では大きく改善したものの、未だに根絶されていません。

酒場での暴力というのはさすがに中世よりは減ったと思いますが、日常生活のさまざまなシーン、例えば高速道路の割り込み運転、通勤ラッシュの電車内、セールやイベントでの順番待ちといった縄張りに関係するシーンでは、名誉、勇気、騎士道、誇り、勇猛という大義の元に激しい争い(ときには死傷事件にも発展)が勃発するのは現代でも変わらないですね。。。

中世の社会規範や礼儀作法の低さも、暴力の源泉になっていました。

以下は呆れかえってしまうような礼儀作法指南書(当時読み書きできる教養レベル層向け)の内容。

尿やその他の汚物によって階段や廊下を汚さないこと、放尿あるいは排便の最中に人に挨拶しないこと

テーブルクロスや帽子などで鼻をかまないこと

短剣で歯の掃除をしないこと、食べ物を短剣の先に刺して口に運ばないこと

ヨーロッパで暴力が次第に減少した原因は、自らの内的衝動を抑制し、自分の行為がもたらす長期的結果を予測し、他人の考えや感情に配慮する度合いを次第に高めていった

名誉の文化から威厳の文化(自分の感情を抑制する)への移行

上流階級→中流階級→下層階級へと、社会全体への浸透

しかし、このような心理的なプロセスの変化は、内生的な要因に過ぎない。

内生的な要因に加えて、外生的な要因として以下の2点を指摘しています。

・無政府状態からリヴァイアサン(国家)への変遷
・経済革命:土地を巡るゼロサムゲームから、商取引によるプラスサムゲームへの変遷

プラスサムの協力による商取引はリヴァイアサンが指揮をとる大きなテントの中でもっとも繁栄する

以下では、文明化のプロセスの理論が当てはまらない(人口10万人あたりの殺人発生率が1件以上)の4つのゾーンを解析しています。

1.社会経済的階層の下層部分

何世紀も前には富める人たちも貧しい人たち同様に暴力的だった

14世紀から15世紀にかけて暴力的な死を遂げた男性貴族の割合は、26%と驚くほどに高かった

この割合は18世紀に入る頃には1桁になり、現在ではほぼゼロに近い数字になっている。

暴力が社会経済的階層の低さと関連付けられる一番の理由は、上流および中流階級は司法制度によって正義を追求しようとするのに対し、下層階級は自警主義(誰の手も借りずに自らが裁きを下し、国家による介入がない)によるからである。

2.地球上で人が近づきにくい過酷な環境にある地域

ニューギニア高地(元イギリス植民地)のエンガ族の例外的な殺人発生率の高さ(年間人口10万人あたり300人が戦闘で死亡)。

3.発展途上地域

4.1960年代

アメリカ合衆国における暴力

アメリカの殺人件数は欧米の民主主義国の統計からは飛び出してしまっている。

アメリカの殺人件数は、1933年までじりじりと上昇し、1930年代から40年代にかけて急激に減少、50年代は低いまま推移した。

ところが、60年代に入ると急上昇して、70年代から80年代は高いまま推移し、1992年以上は急減し始めた。

著者によると、アメリカは銃社会だから暴力的な社会だというのは間違いであり、事実として、銃器による殺人を差し引いても、殺人件数はヨーロッパより高いそうです。

ではなぜアメリカは暴力が減少しなかったのでしょうか?

アメリカ合衆国は、実は、南部、北部、中西部と3つの国に分かれており、決して"United"された国家ではないというのが著者の主張です。

そして、白人社会と黒人社会という人種の差(特に黒人同士の殺人と、人種差別)も、暴力が減少しない要因のひとつといえそうです。

政府に頼らない自力救済による問題解決という伝統が根付いているということですね。

著者はここで、ケンタッキー州とウエストバージニア州の州境の山奥で敵対したハットフィールド家とマッコイ家の典型的な抗争を例に挙げています。

ハットフィールド家とマッコイ家の争い、これは、私のお気に入りのアメリカン・ニューシネマの傑作映画『ロリ・マドンナ戦争』の題材となった史実です。


ハットフィールド家とマッコイ家の争いの発端は、1865年1月7日のアサ・ハーモン・マッコイ(ランドール・マッコイとは兄弟の間柄)の死であったそうですが、家族間の殺し合いは1891年にひとまず終止符を打ちましたが、両家の双方の末裔が停戦協定へ正式に署名したのが2003年(!)ということで、実に100年以上に渡って抗争を続けていたというだから驚きます。

ハットフィールド&マッコイというのは、アメリカでは有名で、「対立」を表す慣用句にまでなっているそうです。

ちなみに、『ロリ・マドンナ戦争』以外にも、同じテーマで『宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ』という邦題で映画化されています(ケビン・コスナー主演)。


上映時間290分の長い映画ですが、重厚な造りで見応えがありました(DMMレンタルでDVDを借りて鑑賞)。

自力救済による正義は。。。アメリカの南部に色濃く残っている。。。南部の人びとは自分自身や財差を守るという目的でのみ暴力を認めている。。。南部では他の地域と比べて、兵役を務め、陸軍士官学校で学び、外交に関してタカ派的な考え方をとる人が多い。

ハットフィールド&マッコイのケンタッキー州とウエストバージニア州は必ずしも「南部」に位置していませんが、南北戦争の南軍側だったので「南部」に属するものと思われます。

ではなぜ北部ではなく南部に名誉の文化が発達したのか?

奴隷経済の影響なのか?

最初の入植者たちがヨーロッパのどの地域の出身だったかに関連があるのではないか?

北部:イギリスのピューリタン、クエーカー(キリスト教プロテスタントの一派)、オランダ人、ドイツの農民

南部:スコットランド系アイルランド人(中央政府の目の届かない山間で暮らす羊飼い)

アイルランド人の気性が荒いかどうかはわかりませんが、メルヴィルの代表作『レッドバーン』に「野蛮なアイルランド人」という記述があるようです。

アメリカの西部は南部に輪をかけて無政府状態にあり、それは20世紀に入ってもしばらく続いた。

カウボーイの生活は過酷で危険な仕事と、大酒とギャンブルと女とケンカにうつつを抜かす給料日のあいだを行き来するものだった。

開拓時代のワイルドウエストでは、年間の殺人件数は東部の都市部や中西部の農村部の50~数百倍に及んだ。

ワイルドウエストだけでなく、ゴールドラッシュ時代のカリフォルニアも、同じように殺人件数は高かったようです。

暴力の研究が明らかにした最大の普遍的な特徴は、暴力の加害者の大部分が、15~30歳の若い男性だということだ。

若い男性が、女性や結婚によって文明化されるというのは、近代犯罪学ではごくあたりまえのことになっている。

ジョニーキャッシュの名曲『ウォーク・ザ・ライン』が引用されていますが、ホアキン・フェニックス主演の同名の映画を思い出しました。

Johnny Cash - I Walk the Line


ウォーク・ザ・ライン = 線の上を歩く = 正しい行動を取る

なんですね。

【1960年代における非文明化

しかし、減少に転じたと思われた暴力が、1960年代にはヨーロッパと米国とどちらでも増加に転じました。


犯罪の増加が著しかったのは都市、とりわけニューヨークで、同市は新しい犯罪のシンボルとなった。。。なかでも黒人男性での間の殺人件数は激増し、1980年代半ばには人口10万人あたり72件にも達した。

なぜこのような暴力の反転減少が起きたのでしょうか?

ベビーブーマーの出現

文明社会(親の世代の規範や礼儀作法から成り立っている)にとっては。。。15歳から30歳までの若者を結びつける一体感の存在は脅威となりうる。

カウンターカルチャー

文明化のプロセスの価値観に対する反発

犯罪の上昇に対して法の執行が後退(犯罪が逮捕にいたる割合、逮捕が収監にいたる割合、犯罪が収監へといたる割合は、10%から2%へと減少した)

【1990年代における再文明化

1990年代の暴力犯罪の減少は、暴力研究における奇妙な仮説(妊娠中絶の合法化)の一つが生まれるきっかけをつくった。

それに対して、著者の仮説は以下の2点

・リヴァイアサンがより大きく、賢明で効率的になったこと
・1960年代のカウンターカルチャーによる逆転が、ふたたび前向きに進み始めたこと

犯罪の厳罰化、警察の増強、公民権や女性の権利、ジェネレーションX(メディア通、皮肉、ポストモダン)

アメリカが経験した60年代の非文明化と90年代の再文明化の原因は、近代犯罪学では完全に説明がつかないもののようですね。

激動の社会と言われる現代に生きる我々は、暴力の歴史から得られる教訓は通用しない時代に生きているのかもしれません。

4. 第4章 人道主義革命

中世の拷問器具

拷問を行うのはその時代における解剖学や生理学の第一人者であり、彼らは苦痛を最大化し、痛みを感じなくさせる可能性のある神経の損傷を回避し、死にいたるまでできるだけ長く意識を保つために、その知識を総動員した。

ニュルンベルクの処女(鉄の処女)


史実として実際に使用されたかは疑わしい拷問器具です。

なんと、御茶ノ水の明治大学博物館(無料)の刑事部門には、この鉄の処女をはじめとした拷問器具の展示があるのですね!


〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1丁目1 明治大学 駿河台キャンパス アカデミーコモン地階
営業時間: 10:00-17:00 (日曜定休日)
入場料:無料

また、吸血鬼のモデルになったハンガリーのバートリ・エルジェーベト(エリザベート・バートリ、「血の伯爵夫人」)は、処女の血を浴びると若返るという考えから、領内の農奴の娘を何百人と誘拐して、鉄の処女を改良した装置で惨殺して、血の溢れる浴槽に身を浸していたとか。。。

エリザベート・バートリ

近代の西洋社会では、死刑や体刑は廃止され、人々が残虐性を求めることもなくなった。

この進歩を推進する力の一つは理念、すなわち制度化された暴力は最小限に抑えるか廃止すべきだという明確な議論だった。

そしてもうひとつは感性における変化、人びとは自分以外の人間の多くに同情の念を抱くようになり、他社の苦しみに無関心ではなくなったのだ。

人道的潮流は啓蒙主義の時代の前後数百年にわたって見られた。

啓蒙主義とは(Wikiより引用)

啓蒙思想(けいもうしそう、英: Enlightenment、仏: Lumières、独: Aufklärung)とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。その主義性を強調して啓蒙主義(けいもうしゅぎ)ともいう[1]。ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光」あるいは「光で照らすこと」である[2]。自然の光(ラテン語: lumen naturale)としての理性を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味である。

時代的に先行するルネサンスを引き継ぐ側面もあり、科学革命や近代哲学の勃興とも連動し、一部重複もするが、一般的には専ら(経験論的)認識論、政治思想・社会思想や道徳哲学(倫理学)、文芸活動などを指すことが多い。17世紀後半にグレートブリテン王国で興り、18世紀のヨーロッパにおいて主流となった。フランス王国で最も大きな政治的影響力を持ち、フランス革命に影響を与えたとされる。ヨーロッパで啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけいての時代のことを啓蒙時代という。

(引用おわり)

人間や社会を科学的に合理的に考えて行こう、というのが「啓蒙主義」です。

啓蒙主義に対する考え方として、19世紀のロマン主義(人間は機械ではない、人間は心を持ち、感情を持っている、人間の心とか精神は自然を超越している、だから人間は理性でさえも、超越できる存在である、という考え方)があります。

啓蒙主義による王朝国家から、ロマン主義による国民国家(民主国家)が生まれました。

人道主義革命

迷信による殺人 - 人士供犠、魔女狩り、血の中傷、神への冒涜、異端、背教に対する暴力

三十年戦争(1618~48)


神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)が、新教徒の多いベーメン王国にカトリック信仰を強制したことが発端で、デンマーク、スウェーデン、フランスといったヨーロッパ諸国が参戦した。

神聖ローマ帝国の弱体化とウエストファリア条約(領邦君主は自国の宗教をカトリックかプロテスタントかを決めることができる)によって終結。

今日のドイツの大部分は荒廃し、人口はほぼ三分の一に減った。死者数は約575万人と見ており、これは当時の世界人口に対する比率でいえば第一次世界大戦の死者数の2倍以上にあたる。

清教徒革命(1642~1648)


清教徒革命(ピューリタン革命) は、17世紀半ばのイギリスで起こった革命。当時のイギリスでは、強い力を持つ国王が 専制政治 を行っていた。これに対し、キリスト教の一派である ピューリタン(清教徒) たちが、クロムウェル という人物の指導のもとで立ち上がった。

ピューリタンたちは国王軍を破り、1649年、国王のいない政治体制である 共和制 を実現した。

死者数はおよそ50万人で、これは世界人口との比率で言えば第1次世界大戦を超えるという。

専制政治と政治的暴力

理性の時代と啓蒙主義の時代に、いくつもの制度化された暴力は突然の終わりを迎えた。

だがしぶとく残ったものが2つあり、この二つはその後二世紀にわたって世界の多くの地域で吹き荒れることになる - 先生と大国間の戦争である。

ホッブス、スピノザ、ロック、ルソー、さらに時代がくだってジェファーソン、ハミルトン、ジェームズ・マディソン、ジョン・アダムズなどの思想家たちは。。。合意的行為者の集団が自分たちの生活をより良くするためにどんなことを考え出すのか、思考実験を行った。

現実のリヴァイアサンは生身の人間であり、そこにはホモサピエンスであれば当然もっている強欲や愚かさがぎっしり詰まっている。

ロックは政府の立法権と執行権を分離するとともに、市民が本来の権限を遂行していない政府を転覆させる力を保持すべきだと主張した。

アメリカの立憲政治の設計図

行政、司法、立法の三権分立、中央政府と州政府とに権力を分散する連邦制度、そして政府が国民の願望に注意を払うように仕向け、秩序立った平和的な方法で権力を移譲するための定期的な選挙の実施だった。

立憲政治や三権分立の根底には、専制政治や政治的暴力を排除するという思想が流れていたというのは、まさに目から鱗でした。

奴隷制度の撤廃や、人種差別の撤廃も、民主主義の理念とういう権利拡張装置が発動した結果なのだ。

なるほどー!

血と金でを費やしてある国を侵略し、その富を略奪する必要がどこにあるのか? - 金で買った方がずっと経済的だし、自分たちの富を相手に売ることもできるのに。

自由貿易は国家間の物質的利益を結合し、それによって相互の安泰を重視する価値観を醸成するものだとして称揚した。

現代社会でも、自由貿易が国家間の戦争の抑止力として働いているわけですね。。。にしては、米国と中国、ロシアの間の農産物や半導体の禁止措置など、経済制裁は戦争抑止には逆効果のような気がしますが。。。

本の生産と識字率の向上が、他者に同情するという意味での「共感」と人道主義的要素を吹き込んだ。


小説の持つ力 - 読者が他者に感情移入し、同情を寄せるようにする力

その結果、残酷な刑罰やその他の人種を侵害する行為に反対する気持ちが生まれるのではないか

反啓蒙主義から派生し、19世紀に勢いを増したのがロマン主義である。ロマン主義運動の一部は美術に大きな影響を与え、卓越した音楽や詩を生みもしたが、他方では政治的イデオロギーとなって、暴力の減少傾向を大幅に逆転させるというおぞましい結果(好戦的ナショナリズム、ロマン主義的軍国主義、マルクス主義的社会主義、国家社会主義など)も導いた。

劣等人種が敗北し、アーリア人種による支配が確立されるという思想(ナチス政権)

ヒットラーが無類のワーグナーファンであったことは周知の事実ですが、ワーグナーの音楽は典型的なロマン主義です。

ちなみに、ロマン主義の語源は「ロマンス」です。ローマ帝国では「書き言葉」と「話し言葉」に分かれていました。このうち話し言葉のほうを「ロマンス語」と呼んでいたんですね。それで、だんだんとロマンス語で書かれる文学・ロマンスが増えていくわけです。その解釈が文学以外にも広がって「古典(書き言葉)に対する文化」として「ロマン主義」といわれるようになります。

ロマン主義の音楽についてはヤマハのサイトから引用します。

18世紀のヨーロッパを支配していた啓蒙主義は、理性を偏重し過ぎ、伝統を軽視する傾向があったため、19世紀になると、それに対する反動としてロマン主義が生まれてきました。冷徹な理性よりも、人間に本来自然に備わっている感情を重視し、それを空想的、夢幻的、牧歌的な世界への憧れという形で表現したのがロマン主義です。ロマン主義はまた、なによりもまず個人の人間性を尊重する芸術でもありました。

(引用おわり)

以下はWikiの「ロマン派音楽」からの引用です。

初期ロマン派音楽(独: Frühromantik 1800~30)フランツ・シューベルト、カール・マリア・フォン・ウェーバーなど
盛期ロマン派音楽(独: Hochromantik 1830~50)ロベルト・シューマン、フェリックス・メンデルスゾーン、フレデリック・ショパンなど
後期ロマン派音楽(独: Spätromantik 1850~1890)フランツ・リストの後期、リヒャルト・ワーグナーが楽劇の時代に入り、ジュゼッペ・ヴェルディが成熟期に入る。その他アントン・ブルックナー、ヨハネス・ブラームス、セザール・フランク、国民楽派など
世紀末(独: Jahrhundertwende 1890~1914の第一次世界大戦勃発まで)グスタフ・マーラー、ジャコモ・プッチーニ、リヒャルト・シュトラウスなど

(引用おわり)

「人間は調和を欲するが、自然は人類という種にとってより良い形を知っているー自然は争いを浴するのだ」

反啓蒙主義 ⇒ ロマン主義 ⇒ ナショナリズム ⇒ 戦争の増加

反啓蒙主義から生まれたロマン主義は、音楽や芸術の世界では成功したが、政治的イデオロギーではナショナリズムなど暴力を生み出す要因にもなってしまったということですね。

5. 第5章 長い平和

第二次世界大戦以降、70年にも渡って大きな戦乱がなく長い平和が続くとは、かつては誰も想像できませんでした。

過去を振り返ると、第一次世界大戦や第二次世界大戦より遥かに大きな犠牲を生んだ世界規模の戦争がいくつもありました。

想起ヒューリスティックスによるバイアス(想起しやすい事象ほど起きる可能性が高いという錯覚)と、20世紀における人口の爆発的増加を修正すると、20世紀に比肩するような戦争や虐殺が過去にいくつもあったことが明らかになる。


たとえば、「安史の乱」(8世紀)の死者数3600万人は、20世紀中盤の人口に換算すると、なんと、4億2900万人の死者数となり、歴史上最大の殺人だったことになります。

「安史の乱」。。。歴史に疎い私は、そもそもそんな史実があったこと自体知りませんでした!

以下はWikiからの引用です

安史の乱(あんしのらん)、ないし安禄山の乱(あんろくざんのらん)は、755年から763年にかけて、唐の節度使の安禄山とその部下の史思明、およびその息子たちによって引き起こされた大規模な反乱。 安禄山・史思明両者の姓をとって、「安史の乱」と呼称される。

背景
安禄山は西域のサマルカンド出身で、ソグド人と突厥の混血でもあった。貿易関係の業務で唐王朝に仕えて頭角を現し、宰相の李林甫に近付き、玄宗から信任され、さらに玄宗の寵妃の楊貴妃に取り入ることで、范陽をはじめとする北方の辺境地域(現在の河北省と北京市周辺)の三つの節度使を兼任するにいたった。

史思明は安禄山とは同郷で、同様に貿易関係の仕事で頭角を現し、安禄山の補佐役として彼に仕えるようになったといわれる。

李林甫の死後、宰相となった楊国忠(楊貴妃の又従兄)との対立が深刻化しついにその身に危険が迫ると、安禄山は755年11月についに挙兵した。

唐政府軍は平和に慣れきっていたことから、全く役に立たず、安禄山軍は挙兵からわずか1カ月で、唐の副都というべき洛陽を陥落させた。

756年正月、安禄山は大燕聖武皇帝(聖武皇帝)を名乗り燕国の建国を宣言する。

一部の学者は当時の国税調査の記録などから、安史の乱の死者数が唐の人口の3分の2にあたる3600万人に上ると概算している。

(引用おわり)

世界三大美人(日本でしか通用しない)の一人と言われる楊貴妃に、唐の第9代皇帝の玄宗が溺愛して政治を疎かにしたのが、安史の乱の原因のようですね。。。

犠牲者が世界の人口の1000分の1以上にのぼるような非常に激しい戦争や残虐行為は、2500年間にかなり均等に分布している


戦争はいつ起きるか

確率のパラドクス(ポアソン過程:事例はほかの事象と独立して発生する)

1ヶ月に1回の落雷の頻度では、月曜日に落雷があった場合、次に落雷がある可能性が最も高いのはいつか?

答:翌日の火曜日(!)約3%

一日進むごとに確率は下がってゆく - 1か月後には1%

ランダムに起きる事象は、クラスターを成しているように見える

ロンドン大空襲
誕生日のパラドクス:23人以上の人が集まれば、同じ誕生日の人が1組以上いる確率は50%以上いる(57人だとなんと99%!)

戦争の勃発も終結も、ランダムである

20世紀で最も重要な人物は誰か? - ガヴリロ・プリンツィプ(サラエボでハンガリー帝国の皇太子フェルディナンド大公を暗殺した19歳のセルビア民族主義者)

8000万人の死へと至る連鎖反応に火をつけた張本人

第二次世界大戦の原因はアドルフ・ヒトラーの性格とその野心にあったという点で、歴史学者の見解はほぼ一致している

確率とは、個々の事象にズームインすれば、決定的要因がある(熟練したマジシャンならコイン投げで毎回表を出すこともできる)

戦争が起きる確率は時代とともに増えたのだろうか、減ったのだろうか?

戦争の規模

戦争ごとの死者数と確率は、べき分布に従う

べき分布の例:アルファベットの出現回数、所得分布、月のクレーターの大きさ、などなど

正規分布(=ガウス分布=釣鐘型曲線)の例:「自然に生じる誤差や個体差」人間の身長、製品の規格誤差

(出典:べき分布とは?

ファットテール:身長6mの人はいないが、1億人の犠牲者を出す戦争はあり得る
ロングテール:80:20の法則(パレートの法則)

なぜ戦争はべき分布になるのか? - 「富める者はますます富む」(マタイ効果)

南北戦争、第一次世界大戦、ベトナム戦争、イラン・イラク戦争など、近代史でもとりわけ多くの犠牲者を出した戦争は、敵が先に崩壊することを期待して人と物資をつぎ込みつづけた消耗戦だった

持久戦は、「囚人のジレンマ」「コモンズの悲劇」「ドル・オークション」などのゲーム理論の逆説的シナリオの一つである。
これは当事者が合理的に自分の利益を追求した結果、全員で知恵を出し合い、拘束力のある集団的合意に達した場合よりも損をするというものだ。

ティモシー・シャラメがヘンリー5世を演じた映画『キング』では、戦争における持久戦と双方が損失を出さないための1対1の決闘というシーンが出てきます。

ティモテ・シャラメ&ロバート・パティソン出演
『キング』最終予告編 - Netflix

イングランドがフランスの城を包囲して、2か月後にフランスが降伏しました(アルフルールの包囲戦)。

ちなみにイギリス人とフランス人の間柄は、歴史的に戦争したり同盟を組んだり、いろいろと複雑ですね。。。

「戦死した兵士たちの死を無駄にしないために戦いつづける」

なぜ人間がサンクコストに弱いのか

「私はいったん決めたことを簡単に撤回するような、軟弱で愚かで優柔不断な人間ではない」

戦死者が多いほど戦争は長引くことを示唆している

歴史的にもっとも多くの血が流れた戦争の多くでは、一方または双方の指導者が、明らかに非合理的な損失回避戦略を突き進んだことがその原因になっている

へモクリズム

グラフの3つの突出した部分(17世紀初頭の宗教戦争の時期、フランス革命とナポレオン戦争、二度の世界大戦)


過去1000年間のヨーロッパの歴史は、ほとんど戦闘に明け暮れていた。

動機は、ホッブスがあげた争いの三つの主要な原因
  • 略奪(おもに土地)
  • 他者による略奪に対する先制攻撃
  • 信頼できる抑止策あるいは名誉
富の源泉が商業やイノベーションではなく土地や資源にあった時代には、征服と略奪こそが地位向上の主要な手段だった

二つの世界大戦による死者は、130年間で起きたすべての戦争による死者の77%を占めるというのは、驚くべき発見である

戦争はべき分布によく見られる80:20の法則にさえ従わず、80:2の法則にしたがう - 死者のうち約80%がたった2%の戦争で命を落としているのだ

世界が戦争による死をなくそうとするなら、まず大戦争を防ぐべきということである

ヨーロッパの武力衝突の時代の5つの区分
  • 王朝の時代:後継者問題、継承戦争
  • 宗教の時代:神の正しい裁き、ウェストファリア条約で終結
  • ナショナリズムの時代:フランス革命、ナポレオン戦争、1917年まで
  • イデオロギーの時代:民主主義、共産主義、ナチズム
  • 長い平和
ウェストファリア条約:三十年戦争(1618~1648)を終結させた条約。神聖ローマ帝国を消滅に導いた。主権国家の誕生。

ロマン主義的軍国主義

「戦争はほぼ必ず人間の精神を高め、人格を向上させる」(アレクシ・ド・トグヴィル)

「戦争はあらゆる芸術の礎である。それはまた、戦争は人間のあらゆる美徳と能力の礎であるという意味でもある」(ジョン・ラスキン)

「戦争は悲惨だが必要である。社会を硬直や停滞から抜け出させ、国家を救うからだ」(フリードリヒ・ヘーゲル)

「戦争とは浄化であり、解放である」(トーマス・マン)

「戦争は人類の進歩に欠かせない」(イーゴリ・ストラヴィンスキー)

最後のストラヴィンスキーの言葉は信じ難かったので、chatgptに訊いてみたところ。。。

Q: 作曲家のストラヴィンスキーは、戦争は人類の進歩に欠かせない、と言いましたか?

ChatGPT
いいえ、イーゴリ・ストラヴィンスキーは戦争が人類の進歩に欠かせないと言ったことはありません。彼の音楽や公の発言からの記録には、戦争を賛美または支持するような発言は見当たりません。ストラヴィンスキーはむしろ芸術と音楽に焦点を当て、戦争の破壊的な側面や人間の苦難をテーマに取り入れることもありましたが、その文脈で戦争を肯定的に評価したわけではありません。戦争に関する彼の見解は、特に否定的なものでした。

という回答でした 笑

長い平和は核による平和か?

よく調べてみると、核による人類絶滅の脅威は「長い平和」に対して貢献していないことがわかってくる

理由のひとつは、大量破壊兵器(潜水艦、大砲、無煙火薬、機関銃、細菌兵器、毒ガス、神経ガス)が戦争に向かう動きに歯止めをかけたことは、かつて一度もないからだ

もうひとつの理由は、実際に起きた戦争では、非核武装国が核武装国を挑発した(あるいは譲歩しなかった)ケースが多々あるからだ

化学兵器のタブーと核のタブーは同じ「大量破壊兵器」

長い平和を維持するもの 民主主義


アノクラシー:完全に民主的でも完全に専制的でもない国

現在、専制国家に分類されるヨーロッパの国は唯一ベラルーシだけで、ロシアを除くすべての国が民主国家である

歴史を振り返ると、自由貿易と平和の拡大には相関関係があることを示す例が数多くある。。。

国際貿易量の対GDP比が大きければ大きいほど戦争より貿易による財政的メリットのほうが大きくなってきた


では、なぜ米国は中国やロシア・北朝鮮に対して輸出入の経済制裁を科すのでしょうか?

ChatGPTに訊いていました。

Q
国際貿易量の対GDP比の増加が、戦争を回避して世界の平和に貢献してきたのであれば、なぜ米国は中国やロシア、北朝鮮などに対して経済制裁として貿易を抑制するのでしょうか?

ChatGPT
国際貿易は一般的に平和と繁栄を促進する要因とされています。国際貿易は経済的なつながりを強化し、異なる国々の利益を結びつけ、紛争の回避に寄与することがあります。ただし、米国や他の国々が制裁や貿易制限を採用する理由は複数あります。以下に、米国が中国、ロシア、北朝鮮などに対して制裁を課す背後にある主要な理由を示します。

安全保障上の懸念: 米国は国際的な安全保障に焦点を当てており、特定の国々が安全保障に対する脅威を構築または拡大する可能性がある場合、制裁を課すことがあります。例えば、北朝鮮の核兵器開発やロシアのクリミア半島の併合など、これらの国々の行動が米国と国際社会による制裁の対象となったことがあります。

人権侵害: 一部の国々は、人権侵害や民主的な価値観に反する行動を取っており、これに対抗するために経済制裁が導入されることがあります。中国のウイグル族に対する人権侵害やロシアの反対派への抑圧など、人権問題が制裁の背後にある場合があります。

貿易不正行為: 米国は、不公正な貿易慣行に対して制裁を課すことがあります。中国との貿易において、知的財産権の侵害や市場の歪曲が懸念され、これが制裁の要因となることがあります。

地政学的要因: 米国と他国との関係は地政学的な要因に影響されることがあり、経済制裁は地政学的な戦略の一部として使用されることがあります。

経済制裁は、国際的な問題に対処するための一つの手段であり、その影響や効果は複雑であることが多いです。一方で、国際貿易による協力や平和促進の側面も重要であり、米国や他の国々は制裁政策を選択する際に慎重に考慮する必要があります。

。。。納得できない回答でした 笑

戦争はポアソン過程に従ってランダムに起きるものであり、そのきな周期性も、高まりと放出の循環もない。

6. 第6章 新しい平和

現在を批判し、過去を褒めたたえる傾向は、人間の本性に深く染みついたもので、優れた判断力と豊かな学識のある人もその影響を免れない」

この10年間は、年間10万人あたりの戦闘死者数は0.5人と驚くほど低く、最も治安のいい社会の殺人発生率よりも低い。

世界は(ほぼ)戦争に終止符を打ったのだ


しかし、国家間戦争が消える一方で、内戦の勢いは増加している

貧困と戦争の相関性は複雑
「戦争が貧困の原因となる」場合もある

中央アフリカ共和国のジャン=ベテル=ボカサはこの時代の象徴である。ボカサはこの小国を中央アフリカ帝国と呼び、17人の妻を持ち、政敵を自ら切り刻んで殺し、彼の肖像付きの高価な制服の義務化に学生が反対運動を起こすと、これを武力鎮圧し、小学生まで撲殺した

外務省のホームページによると、中央アフリカ共和国の危険度は未だに相当高いようですね。。。

【危険度】
●全土
 レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)(継続)

【ポイント】
●全土に「レベル4:退避勧告」を発出しています。国内全域で慢性的な襲撃・衝突事件等が発生しており、多数の死者が発生するなど、極めて不安定で混乱した状況が続いています。中央アフリカへの渡航は、どのような目的であれ止めてください。また、既に滞在されている方は直ちに退避してください。

平和維持活動は、さまざまな欠点があるものの、国連が成功している活動の一つに数えられる(そもそも国連は、戦争の防止にはあまり成功しているとは言えない)

1988年のノーベル平和賞が国連の平和維持軍に授与されたことは良く覚えています(受賞理由がよくわからなかったから)。

では、なぜウクライナに国連平和維持軍は派遣されていないのでしょうか?

再びChatGPT

Q
ウクライナになぜ国連平和維持軍が派遣されないのか?

ChatGPT
ウクライナに国連平和維持軍が派遣されない主な理由は次のようなものです:

安全保障理事会の決定:国連平和維持軍の派遣は、国際連合安全保障理事会の承認が必要です。国際連合の平和維持活動は、理事会の合意に基づいて展開されます。特に大国が拒否権を行使する場合、安全保障理事会は決定に至るのが難しいことがあります。

国際的な緊張と政治的な問題:ウクライナはロシアとの緊張関係や紛争が続いており、国際的な政治的な複雑さが絡んでいます。このような状況では、国際社会が一致して平和維持軍を派遣することが難しいことがあります。

双方の同意が必要:ウクライナ政府と国連平和維持軍の派遣に関して、当事国の同意が必要です。ウクライナ政府が国連平和維持軍の派遣を要請し、同意しなければなりません。

安全性の問題:ウクライナの一部地域では依然として紛争が続いており、平和維持軍の展開が安全保障上のリスクを伴う可能性があります。そのため、国際社会が展開に慎重な姿勢をとることがあります。

以上の理由から、国連平和維持軍のウクライナへの派遣は非常に複雑な問題であり、国際的な合意が得られない場合、実現が難しいことがあります。最新の情報については、国際ニュースや国連の公式発表を確認することをお勧めします。

要はロシアが拒否権を発動するだろうから、という理由らしいですね。。。

戦争によって悪化した飢餓、病気、無法状態による民間人の間接的死者数は増加している

しかし「100年前の戦争では民間人が戦死者に占める割合はわずか10%だったのに対して、今日では90%にのぼる」は、まったくのデタラメだった

ジェノサイド(人種、宗教、民族など、消すことのできない属性を理由とした虐殺)

ユートピア・イデオロギーがジェノサイドを招く


ルワンダのジェノサイドでは、わずか4カ月のうちに約70万人のツチ族が、鉈を手にした約1万人のフツ族によって殺害された。加害者の多くは、アルコールまたは薬物依存者、クズ拾い、ギャング団のメンバーなど、フツ族の指導者に急遽勧誘された男たちだった。

ヒトラー
スターリン
毛沢東

テロリズム

テロの定義:政治的・宗教的・社会的目的のもと、非国家団体が非戦闘員に対して、政府を力で抑えたり、多数の人々を威嚇、またはメッセージを伝えるために行う計画的な暴力行為

最近よく「テロ国家」という言い方を聴きますが、Wikiによると、

テロ国家:他国に対して、テロリズムを行う国家(政府)。国家ぐるみ、行政機関ぐるみで他国に対してテロリズムを行う国家(政府)。

ということだそうです。。。国家間の戦争とどこが違うのか、なんだか意味不明ですね。

世界のテロによる死者数はさほど多くない。1968年以降、国際テロによる死者数は年間400人に満たず、1998年以降の国内テロにょる死者数は、年間約2500人で推移している

毎年アメリカでは
交通事故 4万人
転倒 2万人
殺人 18000人
水難事故 3万人
火事 3000人
中毒事故 24000人

テロ攻撃による死者数は非常に少ないので、テロに対する軽度の回避策を取ることで、かえって死のリスクを増大させることにもなりかねない

9.11テロ事件の翌年1年間に、飛行機がハイジャックされることを恐れて、車での移動を選択したために、1500人ものアメリカ人が自動車事故で死亡したという

ボストンからロサンジェルスまで飛行機に乗った場合に死亡する確率 = 車で約20キロ移動して死亡する確率

人は、とかく最悪のシナリオ - 自分の意志によらない、コントロール不可能で、壊滅的、不公平なもの - を想像して心配する

大部分のテロ組織は目的を果たせず、すべてのテロ組織は消滅する

28のテロ組織のうち、本来の目的を達成したのは以下の3つのみ
  • ヒズボラ:イスラエル軍をレバノンから撤退させることに成功
  • タミル・イーラム解放のトラ(LTTE):スリランカ北東部沿岸地域の支配に成功
  • アルカイダ:アメリカ合衆国に対して大規模なテロ攻撃を実行し、国際的な注目を浴びることに成功
イスラム教徒による自爆テロ

死後の世界というイデオロギーは、テロリストにとって唯一の心理的誘因とはいえない

手厚い給付金、利得が期待できる

パレスチナ人自爆テロリストの99%が男性で、86%が未婚、81%が少なくとも6人の兄弟をもつ。

金銭的見返りで兄弟たちに花嫁を迎えることができ、払った犠牲が生殖の点では価値ある行為となることがわかった

テロはイデオロギーでも政治体制でもなく、戦術にほかならない。だから「テロとの戦い」に勝つことは決してありえない

私が本書で言いたいのは。。。暴力が現実にかなり減少してきているということであり、それを理解することが重要なのだ。

暴力の減少をもたらすのは、ある特定の時期に、特定の文化に定着した政治的、経済的、思想的条件である。それらの条件が逆転すれば、暴力はふたたび増加することもありうる

中世には、イスラム文明のほうがキリスト教文明より間違いなく洗練されていた

なぜイスラム世界は、それまでの優位な立場を台無しにして、「理性の時代」や「啓蒙主義」「人道主義革命」を逃してしまったのか?

宗教と国家の分離がされてこなかった

印刷機の導入を拒否した

調査の結果、ほとんどのイスラム国家は当面、非宗教的な自由民主主義国に変わることはないことが確実に示された

ほとんどのイスラム国家で、自国の法律はイスラム法(シャリア)にのみ基づくべきだと回答

「新しい平和」を脅かす危険のなかで十分予測できるのは、核テロ、イランの政権、地球温暖化の三つとなる

なんと、イランの政権がそこまで「新しい平和」を脅かす存在だとは!

イランは現在、核兵器の製造に十分なウラン濃縮を進めており、査察を受け入れ、核不拡散防止条約の条項にしたがうべきという国際社会の要求を拒否している

イランは核不拡散防止条約に加盟している

アフマディネジャドはこれまで繰り返し、いらの核開発はエネルギーや医学の研究を意図したものにすぎないと言明している

最高指導者ハメネイは、イスラム教は核兵器を禁じると明言するファトワを出した

イスラム教の救世主「12人目のイマーム」の再来を願っている

今後数十年間に、戦争やテロ攻撃は確実に起こるだろうし、大規模なものが起こる可能性もある

ロシアとウクライナが交戦中で、イスラエルとヒズボラが戦争状態となりつつある現在、「新しい平和」が続くという保証はどこにもありませんね。

7. まとめ

以上、『暴力の人類史(上)』の所感とまとめでした。

本の生産や識字率の向上が暴力の減少に貢献したというのは知りませんでした。

また、国家や国際貿易という現代の自由主義/民主主義経済の仕組みが、実は暴力を抑制しているという事実も目から鱗でした。

ジョン・レノンの『イマジン』で"imagine there's no countries"と歌われていたようなユートピア社会は、暴力の減少には繋がらなさそうですね。。。

『暴力の人類史(上)』は、あまりに読み応えがありましたが、さっそく『暴力の人類史(下)』の読破に取りかかりました!


上巻652ページ、下巻583ページで上下巻合計で1235ページの超大作。。。圧倒的なボリュームの暴力 笑


2023年末までに読了して、ブログ記事完成を目指します(このブログ記事も2023年10月18日にようやく完成しました)。

[現代は歴史上最も平和な時代なのか]『暴力の人類史(下)』(スティーブン・ピンカー)[同時多発テロから22年 - 人類は暴力を克服できるのか] NHKのドキュメンタリー番組『暴力の人類史』[対立を超えるための道徳心理学]『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(ジョナサン・ハイト)より   [悪徳は社会の繁栄の源である] ベストセラー経済書『善と悪の経済学』(トーマス・セドラチェク)より

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