[同時多発テロから22年 - 人類は暴力を克服できるのか] 『暴力の人類史(上)』(スティーブン・ピンカー)

  
スティーブン・ピンカーの『暴力の人類史(上)』(2015年)を読みました。


各方面で絶賛されているベストセラー書籍ですが、上下巻合わせて1300ページ(上巻だけでも652ページ)という途方もないボリューム。。。半年かけて何とか上巻を完読。


以下は出版社内容説明です。

「人類はこの世界から暴力を根絶し、平和に向かうことができるのか?先史時代から現代まで人類の歴史を通観しながら、神経生物学や脳科学など最新知見を総動員し、暴力をめぐる人間の本性を精緻に分析。壮大なスケールで大胆な仮説を提示する、人類の未来への希望の書」
「わたしが読んだなかでもっとも重要な本の一冊。それも「今年の」ではなく「永遠の一冊」だ」(ビル・ゲイツ)

今日はちょうど9月11日、アメリカの同時多発テロ事件から22年ですね。

以下に所感をまとめました。

1. 暴力の人類史(NHK)

私がスティーブン・ピンカーの著書『暴力の人類史』を知ったのは、2023年3月に同じ題名のNHK BS放送を観たのがきっかけでした。


番組のオリジナルは、米国PBS制作の "The Violence Paradox"というドキュメンタリー作品で、NHKで放送されたのはその抜粋版です。

NOVA: The Violence Paradox - PBS (FULL DOCUMENTARY)

以下はそのドキュメンタリー番組から。


暴力は人間特有のものではなく、子孫を残すあらゆる生き物に備わっています


日常感じるのとは反対に、犯罪率は年々減少しているという


スティーブン・ピンカー教授の登場


イギリスの殺人事件数の推移(13~21世紀)を調べたところ、驚くべきことに、暴力は減り続けている


ピンカー教授は、暴力を減らすメカニズムを解明して、犯罪をさらに減らすことができると主張します


マルタ・ラー教授(ケンブリッジ大学 古人類学者)による古代の犯行現場の調査


恵まれた土地を巡る争いで、外部からの集団の襲撃を受けた痕跡が見つかった


人間には悪魔と天使それぞれが宿っている


刈郷研究員(カリフォルニア工科大学)のマウス実験


脳の視床下部という領域を刺激すると、マウスは攻撃的になる


カレン・ウィン教授(イェール大学 発達心理学者)による乳児を対象とした実験


芝居を見せた乳児の反応は。。。


悪いことをしたぬいぐるみを選ばない→善悪の判別は生まれ持って備わっている


暴力を食い止める大きな要因としての国家


納税者が減らないように、国家は暴力を抑止した


法の支配がある国家社会は暴力の抑止につながる


一方、生贄や拷問といった暴力は、国家が主導していた


裁判記録から刑務所の書類まで、過去800年のあらゆる記録を調査した結果


すべての国や地域で暴力は減少していた


殺人件数は劇的に減少


文明化で社会はより相互依存的になり、暴力は減少


マナーは自制心の現れ


侮辱されたら戦いを挑むのではなく、我慢するのが自制心


エイドリアン・レイン(ペンシルバニア大学、犯罪心理学者)の実験


前頭前皮質


前頭前皮質を活性化させると犯罪の意思が3~4割低下


平等という思想の登場


読み書きの能力と印刷の発展


小説を読むと他者に感情移入するようになる


表情から感情を理解する


科学技術で人間の行動原理が変化


太平天国の乱では死者5000万人!


第二次世界大戦では死者8000万人


トマス・グルズブ教授(SWPS大学 心理学者)の実験


残虐な命令に従ってしまう検証


戦争の残虐性



テロの脅威


武力衝突による死亡件数は激減している





ここまで暴力が減少したのは珍しい


基本的人権宣言(国連)


日々のニュースからは暴力がありふれていると思ってしまう


歴史のなかで暴力が減少してきたことに気付くと世界が変わって見える


人類は正しいことをしてきたのです、それを踏まえて未来へ向かいましょう(スティーブン・ピンカー)


『暴力の人類史(上)』のエッセンスを凝縮したような質の高い番組でした。

2. 『暴力の人類史(上)』

『暴力の人類史(上)』の著者スティーブン・ピンカーは1954年生まれの米国の認知心理学者です(以下はwikiより引用)。

スティーブン・ピンカー(出典:Gettyimages)

専門分野は視覚的認知能力と子供の言語能力の発達である。ノーム・チョムスキーの生成文法の影響を受け、脳機能としての言語能力や、言語獲得の問題について研究し著作を発表している。言語が自然選択によって形作られた「本能」あるいは生物学的適応であるという概念を大衆化したことでよく知られている。この点では言語能力が他の適応の副産物であると考えるチョムスキーやその他の人々と対立する。

The Language Instinct (1994年、邦訳『言語を生みだす本能』)、How the Mind Works (1997年、邦訳『心の仕組み』)、Words and Rules (2000年)、The Blank Slate (2002年、邦訳『人間の本性を考える』)、The Stuff of Thought (2007)は数多くの賞を受賞し、いずれもベストセラーになった。特に『心の仕組み』と『人間の本性を考える』はピューリツァー賞の最終候補になった。また、2004年には米タイム誌の「最も影響力のある100人」に選ばれた。2005年にはプロスペクト誌、フォーリンポリシー誌で「知識人トップ100人」のうち一人に選ばれた。

(引用おわり)


Amazonのカスタマーレビューでは、4.4/5.0と高い評価を得ています。


第1章 異国
第2章 平和化のプロセス
第3章 文明化のプロセス
第4章 人道主義革命
第5章 長い平和
第6章 新しい平和

上巻だけで600ぺージを超える超大作で、読了に半年もかかってしまいました。

ようやく上巻を読了した所感ですが。。。とにかくスケールの大きさに圧倒されました。

『暴力の人類史』という書籍名からは、単なる暴力の人類史を網羅した歴史本と誤解しがちですが、本著は暴力と非暴力の「心理学の」本といっても過言ではないでしょう(原著のタイトルは「人間性の善なる大使」("Better Angels of our Nature")。

膨大なデータを基に極めて論理的な分析を行った結果を、わかりやすい実例を豊富に織り交ぜながら、「なぜ暴力は減り続けているのか」「さらに暴力を減らすためには何が必要なのか」を懇切丁寧に読者に提示します。

感傷的な反戦メッセージや、根拠に乏しいプロパガンダとは一線を画す指南書と言ったら良いでしょうか。

著者のスティーブン・ピンカーの主張には、もちろん賛否両論があります(例えば「世界的知性」スティーブン・ピンカーが、米国「リベラル」から嫌われる理由など)。

彼の振る舞いには「人種差別や性差別の暴力に苦しむ人々が挙げてきた声をかき消すようなパターンがある」という理由で。

進化心理学が社会から反発を受けるのはさもありなんと思いますが、ポストモダニズムに反する主張までもが反発を受けているというのは正直理解に苦しみます。。。

「暴力は減り続けている」という彼の主張がそのまま定説化すると、いろいろな弊害が生まれるというわけですね。

確かに、戦争や暴力を世界から完全に根絶するのは不可能かもしれません。

しかし、暴力根絶に向けて、全人類ひとりひとりがこの本を読む価値があるのでは、と思えるほどの傑作で、個人的には間違いなく人生ベストオブベストの一冊です。

以下に内容を簡単に紹介します(以下太字は本文より引用)。

今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれないのだ。

人間の認知能力は、私たちが暴力的な時代に生きていると信じやすい傾向をもたらす。とりわけ、「血が流れればトップニュースになる」をモットーにするメディアが、暴力的傾向を煽るような報道をすればなおさらだ。

私たちが今日ある平和を享受できるのは、過去の世代の人々が暴力の蔓延する状況に戦慄し、なんとかそれを減らそうと努力したからであり、だからこそ私たちは今日も残る暴力を減らすために努めなければならない。

2.1 第1章 異国

ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』

彼の描いた人物たちは、大量殺人とレイプは避けられない人生の現実として受け入れていた

自分たちの生み出した悲劇を神々の嫉妬や愚行のせいにしたのである

ヘブライ語聖書(旧約聖書)

カインは弟アベルを襲って殺した。世界の人口がたった四人だったのだから、これは殺人発生率でいえば25%ということになる

神は罪深いものたちに対して、集団虐殺(ジェノサイド)こそふさわしい処罰の方法であると心に決める

ノアの洪水
大量乳児殺人(生まれた赤ん坊が男の子だったら一人残らず殺すように命じる)
エジプト軍の紅海での溺死
金の子牛の鋳造崇拝で、3000人のイスラエル人を殺害

モーセの命令「息のある者はひとりも生かしておいてはならない。主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさなければならない」

現代人の目から見ると、聖書に描かれた世界の残虐さは驚くばかりだ。

奴隷、レイプ、近親間での殺人など日常茶飯事。武将は市民を無差別に殺しまくり、子供でも容赦しない。

聖書に数を明示してある大量殺人によって殺害された人はおよそ120万人に達するという(ノアの大洪水の犠牲者を足せば、さらに2000万人が上乗せされることになる)

ローマ帝国と初期キリスト教

ローマ帝国の最大のシンボルはコロッセオだ。

苦しみの果てに死んでいった人の数は50万人にものぼり、それがまさにローマ市民に「パンと見世物」を提供したのだった

ローマにおける死の手段としてもっとも有名なのは磔(はりつけ)だ。

両腕に全体重がかかり、肋骨はその重みで広げられるため、腕に力を入れるか、釘を打たれた両脚を踏ん張るかしないかぎり呼吸は難しくなる。三、四時間から長ければ三、四日苦しみ抜いた末に、男は窒息か失血のために死亡する。

キリスト教徒にとっては、磔という処刑の手段は、忌まわしいものではなく、むしろ、人間が犯した罪を神が慈悲の賜物として与えた「良い知らせ」であったと著者は指摘しています。

殉教者たちはさまざまな方法で拷問死を遂げ、そのことによって神に並ぶ地位を得た

この世での苦難は来世での至福と報われるのだから、聖人たちは苦しみを喜んで受け入れた

初期キリスト教は残虐性を是認したことにより、キリスト教ヨーロッパで1000年以上にわたって行われた組織的拷問の先例をつくったわけです。


なるほど。。。中世ヨーロッパの残虐な暴力のルーツは、まさに、キリスト教の信仰にあったとは、目から鱗でした。

中世の騎士

ヘンリー8世、めとった妻は全部で六人
一人は死に、一人は生きて、二人は離婚、二人は首をはねられた

ヘンリーの次に王座に就いたのは。。。ヘンリーの娘のメアリー、次がもう一人の娘エリザベスだった。

メアリー1世は、プロテスタント信者およそ300人を火炙りの刑に処した。。。エリザベスはさらに123人の聖職者のはらわたを取って四つ裂きにした。。。

命じた拷問は数知れないにも関わらず、エリザベス1世はイングランド王のなかでも最も敬愛された国王の1人だ

シェイクスピア作品
グリム童話集
マザーグースの童謡

調査の結果、テレビ番組の暴力シーンの頻度は、1時間あたり4.8回なのに対して、マザーグースでは52.2回だったという

アレクサンダー・ハミルトン:アメリカ合衆国憲法の実際の起草者、旧10ドル紙幣の顔


死因:バー副大統領との決闘で、銃弾が下胸部に命中して、翌日死去

自分の名誉が損なわれたと感じた者は相手に決闘を申し込むことができ、一人の人間が死ぬことでそれ以上の暴力を抑え、敗れた側の一族や取り巻きたちに恨みの感情を残すこともなかった

数十年前までは、自分を侮辱した相手に拳を振り上げることは、その人間が立派な人格をもつことのあかしだった。ところが今日、それは粗暴であることのあらわれ、衝動制御障害の兆候であって、その人物は怒りのコントロール・セラピーへの参加資格ありと見なされてしまう。

まあ、今日でも拳を振り上げる人は後を絶ちませんが。。。例えばハリウッド 笑


この本の読者(そして世界の大部分の地域に暮らす人々)は、もはや誘拐されて性奴隷になることも、神の命じるジェノサイドに遭うことも、見世物や競技に出て命を落とすことも、評判のよくない考えを抱いた罰として十字架や柱や車輪にくくりつけられることも、男児を生まなかったために首をはねられることも、王族とデートしたために内臓をえぐり出されることも、自分の名誉を守るために決闘に巻き込まれることもない。

2.1 第2章 平和化のプロセス

ダーウィン『種の起源』
ホッブス『リヴァイアサン』

『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス):動物とは遺伝子によって設計された生存機械に過ぎない


ほかの生命体が岩や川と違うのは、それが往々にして反撃してくる点だ

人間の3つの本性(『リヴァイアサン』)
・競争:人々に利得を求めて侵入を行わせる
・不信:安全を求めて
・誇り:評判を求めて
暴力を使用する

競争相手を押しのけて食べ物や水、望ましい縄張りなどを得ることができる生存機械は、その競争相手より多く繁殖する

不信:ホッブスの罠 = 国際関係論の分野では安全保障のジレンマ

ホッブスの罠への対策は、抑止策をとることだ。

先制攻撃はしないこと、相手から先制攻撃を受けても生き延びるだけの強さを身につけること、そして攻撃されたら同様の報復をすることである

リヴァイアサンとは、人民の意志を体現し、力の行使権を独占する君主制やその他の政府形態を示す。

リヴァイアサンは攻撃者にペナルティを課すことによって侵犯のインセンティブを除去し、それによって先制攻撃に対する不安を和らげるとともに、すべての当事者が自らの決意を証明するために反撃即応体勢を維持することを不要にする。

リヴァイアサンの論理

「はじめに」で書いたとおり、私自身は、暴力に関する生物学理論は運命論的で、ロマンティックな説は楽観主義的だとする考え。。。

ここがスティーブン・ピンカーがリベラル派から攻撃される最大のポイントですね。。。

人類の祖先の暴力

ヒトの直系の祖先にあたる霊長類はとっくの昔に絶滅してしまったが、彼らがどんな生き物だったかをしのばせる証拠が少なくとも一つは残っているーわれわれと同じ祖先をもつチンパンジーだ。

ここでチンパンジーの暴力性について、奇しくも、先日鑑賞した映画『NOPE/ノープ』に繋がりました!

このように、芸術のジャンルを超えて共通のトピックが見出だせると、新鮮な感動を覚えます。。。

ある群れでは、チンパンジーたちが隣接する群れのオス全員を攻撃し、人間の世界だったら集団虐殺に値するような惨事が起きた(足の指や性器を噛み切ったり、胴体から肉を引きちぎったり、血を飲んだり、気管を引き裂いたりするのだ)

殺しを伴う攻撃はチンパンジーの正常な行動レパートリーの一つであることに、もはや疑いの余地はない

チンパンジー(暴力的) vs. ボノボ(温厚)

国家と非国家社会における暴力発生率

殺人の発生率は年間、人口10万人あたりの殺人件数で示すのが標準

人類の歴史のなかで最も安全な場所、21世紀初頭の西ヨーロッパの殺人発生率は、10万人あたり年間約1件である

アメリカは、最悪だった1970年代から80年代にかけての殺人発生率は、10万人あたり年間約10件(デトロイトなど治安の悪い年では45件)だった

10万人あたり年間約1000件を超えると、毎年誰か知っている人(知人が100人いると仮定)が殺されることになり、自分自身も生涯のうちに殺される確率が半分以上あることになる。

非国家社会の戦争による年間死亡率の平均は524人

非国家社会と国家社会の戦争による死亡率

20世紀中に世界全体で、組織的暴力(戦争、ジェノサイド、粛清、人為的原因による飢餓)による年間死亡率の平均は60人である。

第1次世界大戦の戦死者(1000万人)と第1次世界大戦の戦死者(8000万人)を含めても、国家社会の年間人口10万人あたりの戦死者数は、非国家社会と比較すると、大幅に減少しているという驚くべき事実となりました!

2.3 第3章 文明化のプロセス

本章ではヨーロッパの中世から現代までのあいだに殺人が減少したことが中心に展開されています。

以下のグラフは、イギリス(イングランド)における13世紀から20世紀にかけての殺人発生率の劇的な減少(95%の減少)


(人口10万人あたりの殺人発生率が1件を下回るのが基準)

この衝撃の事実が著者の本著執筆のきっかけになったほどでした。

殺人におけるいつくかのパターンは相変わらずに維持されている

殺人を犯した者の92%が男性であり、殺人を犯す年代は20代が最も多い。

また一般には都市のほうが農村部よりも安全だという傾向は、1960年代に都市部の殺人件数が上昇するまで続いた。

これは意外。

もうひとつの歴史的変化は、殺人のなかでも自分と縁戚関係にない者を殺害するケースのほうが、子供や親、配偶者、きょうだいを殺害するケースよりもはるかに急激に減少したことだ(ヴェルッコの法則)。

以下は15世紀のドイツの日常生活を騎士の目を通して描いた『中世素画集』より



まさに暴力の祭典 笑

騎士たちは抑止力としての脅しの信頼性を維持すべく、流血の闘いをはじめとする男らしい武勇の誇示に勤しんだ。

それは、名誉、勇気、騎士道、誇り、勇猛などといった美辞麗句で飾り立てられ、のちの世になると、彼らがいかに地に飢えた略奪者であったかは忘れ去られてしまった。

中世の暴力について言及があるとき、私は映画『キングダム・オブ・ヘブン』の以下のシーンをいつも連想します。

Kingdom of Heaven Priest's Death HD

オーランドブルーム演じる主人公が、異母兄弟である司祭が妻を殺した犯人だったと悟った途端、剣で刺したうえに炎のなかに突き飛ばすシーンです。

まだ疑惑しかない段階で、いきなり兄弟を刺して焼き殺すという衝動に走るというのが、現代人の私には違和感しかありません。。。

当時の娯楽にも暴力は浸透していました。

「両手を後ろ手に縛られたプレーヤーが、柱に釘付けにされた猫に頭突きを食らわせ、どちらが先に猫を殺せるかを競う。プレーヤーは、殺気立った猫に爪で頬や目を引っかかれる危険と隣り合わせである。。。もうひとつは、大きな囲いの中で男たちが棍棒を持って豚を追いかけ回すというものだ。豚はキーキー悲鳴をあげながら逃げ回り、最後には叩き殺されるのを、観客は大笑いしながら観戦する」

動物虐待という概念は当時は微塵にもなかったんですね

ついさっきまで冗談を言いあっていた同士が次の瞬間には互いを嘲り、売り言葉に買い言葉が行き交い、笑いの場が突然、激しい闘いの場に変貌するのである。

のちの人びとは内なる衝動や感情を隠すことなく、率直かつ直接的に発散した。

あらゆることが抑制され、緩和され、計算され、またタブーが自己抑制として衝動の構造に深く埋め込まれている私たちにとってのみ、彼らの敬虔さと好戦性、あるいは残酷さが相矛盾するものに見えるのである。

中世の人びとの生活についてリアルに描かれているこのポイントこそ、暴力の源泉なわけで、現代社会では大きく改善したものの、未だに根絶されていません。

酒場での暴力というのはさすがに中世よりは減ったと思いますが、日常生活のさまざまなシーン、例えば高速道路の割り込み運転、通勤ラッシュの電車内、セールやイベントでの順番待ちといった縄張りに関係するシーンでは、名誉、勇気、騎士道、誇り、勇猛という大義の元に激しい争い(ときには死傷事件にも発展)が勃発するのは現代でも変わらないですね。。。

中世の社会規範や礼儀作法の低さも、暴力の源泉になっていました。

尿やその他の汚物によって階段や廊下を汚さないこと、放尿あるいは排便の最中に人に挨拶しないこと(!)

テーブルクロスや帽子などで鼻をかまないこと

短剣で歯の掃除をしないこと、食べ物を短剣の先に刺して口に運ばないこと

呆れかえってしまうような礼儀作法指南書(当時読み書きできる教養レベル層向け)の内容。。。

ヨーロッパで暴力が次第に減少した原因は、自らの内的衝動を抑制し、自分の行為がもたらす長期的結果を予測し、他人の考えや感情に配慮する度合いを次第に高めていった

名誉の文化から威厳の文化(自分の感情を抑制する)への移行

上流階級→中流階級→下層階級へと、社会全体への浸透

しかし、このような心理的なプロセスの変化は、内生的な要因に過ぎない。

内生的な要因に加えて、外生的な要因として以下の2点を指摘しています。

・無政府状態からリヴァイアサン(国家)への変遷
・経済革命:土地を巡るゼロサムゲームから、商取引によるプラスサムゲームへの変遷

プラスサムの協力による商取引はリヴァイアサンが指揮をとる大きなテントの中でもっとも繁栄する

以下では、文明化のプロセスの理論が当てはまらない(人口10万人あたりの殺人発生率が1件以上)の4つのゾーンを解析しています。

1.社会経済的階層の下層部分

何世紀も前には富める人たちも貧しい人たち同様に暴力的だった

14世紀から15世紀にかけて暴力的な死を遂げた男性貴族の割合は、26%と驚くほどに高かった

この割合は18世紀に入る頃には1桁になり、現在ではほぼゼロに近い数字になっている。

暴力が社会経済的階層の低さと関連付けられる一番の理由は、上流および中流階級は司法制度によって正義を追求しようとするのに対し、下層階級は自警主義(誰の手も借りずに自らが裁きを下し、国家による介入がない)によるからである。

2.地球上で人が近づきにくい過酷な環境にある地域

ニューギニア高地(元イギリス植民地)のエンガ族の例外的な殺人発生率の高さ(年間人口10万人あたり300人が戦闘で死亡)。

3.発展途上地域

4.1960年代

アメリカ合衆国における暴力

アメリカの殺人件数は欧米の民主主義国の統計からは飛び出してしまっている。

アメリカの殺人件数は、1933年までじりじりと上昇し、1930年代から40年代にかけて急激に減少、50年代は低いまま推移した。

ところが、60年代に入ると急上昇して、70年代から80年代は高いまま推移し、1992年以上は急減し始めた。

著者によると、アメリカは銃社会だから暴力的な社会だというのは間違いであり、事実として、銃器による殺人を差し引いても、殺人件数はヨーロッパより高いそうです。

ではなぜアメリカは暴力が減少しなかったのでしょうか?

アメリカ合衆国は、実は、南部、北部、中西部と3つの国に分かれており、決して"United"された国家ではないというのが著者の主張です。

そして、白人社会と黒人社会という人種の差(特に黒人同士の殺人と、人種差別)も、暴力が減少しない要因のひとつといえそうです。

政府に頼らない自力救済による問題解決という伝統が根付いているということですね。

著者はここで、ケンタッキー州とウエストバージニア州の州境の山奥で敵対したハットフィールド家とマッコイ家の典型的な抗争を例に挙げています。

ハットフィールド家とマッコイ家の争い、これは、私のお気に入りのアメリカン・ニューシネマの傑作映画『ロリ・マドンナ戦争』の題材となった史実です。


ハットフィールド家とマッコイ家の争いの発端は、1865年1月7日のアサ・ハーモン・マッコイ(ランドール・マッコイとは兄弟の間柄)の死であったそうですが、家族間の殺し合いは1891年にひとまず終止符を打ちましたが、両家の双方の末裔が停戦協定へ正式に署名したのが2003年(!)ということで、実に100年以上に渡って抗争を続けていたというだから驚きます。

ハットフィールド&マッコイというのは、アメリカでは有名で、「対立」を表す慣用句にまでなっているそうです。

ちなみに、『ロリ・マドンナ戦争』以外にも、同じテーマで『宿敵 因縁のハットフィールド&マッコイ』という邦題で映画化されています(ケビン・コスナー主演)。


上映時間290分の長い映画ですが、重厚な造りで見応えがありました(DMMレンタルでDVDを借りて鑑賞)。

自力救済による正義は。。。アメリカの南部に色濃く残っている。。。南部の人びとは自分自身や財差を守るという目的でのみ暴力を認めている。。。南部では他の地域と比べて、兵役を務め、陸軍士官学校で学び、外交に関してタカ派的な考え方をとる人が多い。

ハットフィールド&マッコイのケンタッキー州とウエストバージニア州は必ずしも「南部」に位置していませんが、南北戦争の南軍側だったので「南部」に属するものと思われます。

(600ぺージ相手に早々に息切れ。。。残りは後日追記します)

3. まとめ

(こちらも後日追記します)

 『暴力の人類史(下)』に取りかかりました!


上巻652ページ、下巻583ページで上下巻合計で1235ページの超大作。。。圧倒的なボリュームの暴力 笑


[目に見えないゴリラ] 『錯覚の科学』(チャプリス/シモンズ)が解き明かす思い込みと錯覚の世界  [対立を超えるための道徳心理学]『社会はなぜ左と右にわかれるのか』(ジョナサン・ハイト)より  [悪徳は社会の繁栄の源である] ベストセラー経済書『善と悪の経済学』(トーマス・セドラチェク)より

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