【京浜河川事務所の知られざる功績】二子玉川の多摩川氾濫を最小限に防いだ防波堤増強工事

超大型の台風19号による増水で、10月12日に、二子玉川近辺で多摩川の氾濫が発生し、近隣のエリアが浸水してしまうという被害が発生しました。


今回の浸水被害は、二子橋上流の「堤防が低い部位からの氾濫」に世間が注目していますが、二子橋下流の地域では、京浜河川事務所が数年前から施工を進めていた防波堤増強工事のおかげで水害が最小限に食い留められたという事実はほとんど知られいません。

そんな影の立役者である京浜河川事務所の、二子玉川近辺における防波堤増強工事の経緯について取りまとめました。

1. 多摩川水系河川整備計画

京浜河川事務所とは、国土交通省関東地方整備局に属する、河川の保全施設整備事業を担当する国の行政機関です。

京浜河川事務所は、多摩川、鶴見川、相模川、西湘海岸及び沖ノ鳥島を所管しています。


事務所のホームページの多摩川セクションには、「多摩川の概要」「多摩川の計画」「多摩川の整備」「多摩川の利用と管理」「多摩川で学ぶ・遊ぶ・参加する」「多摩川改修100年」に分かれてそれぞれ内容が詳細に紹介されています。

その多くの計画資料のなかに、「多摩川水系河川整備計画」(平成13年3月策定)という資料があり、これは、沿川の人々や市町村、学識経験者など、いろいろな立場の人たちが一緒になってつくりあげたものです。

「多摩川水系河川整備計画」は、3つのポイントと5つのアクションから構成されていますが、そのアクション1「戦後最大規模の洪水を治水の目標にします」の資料に以下のように記述されています。

「河川整備計画では、過去に多摩川で起きた洪水を参考にし、それに耐えられる治水整備を行おうと考えています。多摩川なら昭和49年の台風16号による出水、浅川なら昭和57年の台風18号が「戦後最大規模」。この規模を今後20~30年の当面の目標としているのです」

「昭和49年の台風16号による出水」とは、狛江の多摩川堤防が決壊したため、狛江市の民家19戸が流出した事件を指します。このときの民家が濁流に流されて壊れてゆくTVの映像は、子供心にも記憶があります。

多摩川の決壊(昭和49年)

「多摩川水系河川整備計画」に基づいて、二子橋下流の玉川地区(玉川1丁目エリア)の堤防の増強工事が行われることが決まったのは、おそらく2003年頃だと思います。

玉川地区とは、二子玉川の下流側(二子玉川駅から約200mほど離れた場所)に位置する玉川1丁目エリアです。


二子橋下流のエリア(氾濫なし)

このエリアは、今回の台風19号での氾濫による被害を受けた二子橋上流の兵庫島公園とは別の場所です。


二子橋上流のエリア(氾濫あり)

二子橋下流の玉川地区は、多摩川沿いにきれいな桜並木が続いており、堤防も低いため、河川沿いの住宅からは富士山を眺めることもできました。

しかし、防波堤の増強工事に伴い、玉川地区の多摩川沿いの桜並木は撤去されることになり、堤防も高くなるため景観も損なわれることになります。

かつての桜並木(「世田谷散策記 ~せたがや百景~」より)


そこで、玉川地域の住民が中心となって、防波堤の増強工事を推進する国(国土交通省関東地方整備局京浜河川事務所)に対する反対運動が起こりました。

2. 地域住民の反対運動

地域住民の反対運動の経緯は、文春オンラインにまとめられていますが、10年ほど前の2009年8月に放送された情報番組「噂の東京マガジン」(TBS系)の人気コーナー「噂の現場」でも取り上げられました。

当時の新聞ラテ欄には「集中豪雨・堤防建設で住民が反目」と書かれています。

《二子玉川の新堤防で論争 2009/08/23放送》
 東京・世田谷区の東急・二子玉川駅近くの南地区(約500世帯)で、国土交通省が建設を始めた新堤防をめぐって、住民同士が論争を繰り広げていることを放送。「住宅の中からの、すばらしいながめが高い堤防にさえぎられ、周辺の自然もなくなる。100年に一度の洪水に備えられるという説明には納得できない」という建設反対派と、「水害から人命・財産を守るのには欠かせない」という賛成派の、それぞれの意見を紹介しました。

堤防建設に反対する住民は、「二子玉川の環境と安全を考える会」を結成し、プラカードや看板を現場に大々的に設置して、反対運動を繰り広げました。

「二子玉川の環境と安全を考える会」は、堤防ができる前、川沿いの土手には桜が咲き誇り、松林も生い茂っていたので、この綺麗な景観を守るべきという主張でした。

私はその当時の現場を良く訪れる機会があったので、そのときの立て看板のことは良く覚えています。

玉川地区の桜並木(2012年3月)

上の写真の桜の木にも、「桜や松を切るな!これ以上景観を壊すな!!」との赤い横断幕が掛けられているのがわかります。

立て看板

(以下、文春オンラインより引用)

同会は国交省と話し合いを重ねたが、計画は進んでいったという。やむなく2010年1月29日、同会は堤防建設差し止めを東京地裁に申し立てた。当時の新聞でもこんな見出しで報道されている。

《仮処分申請:多摩川の堤防工事、住民が差し止め求め――世田谷》毎日新聞2010年2月4日付
《堤防建設差し止め 住民ら仮処分申請》読売新聞2010年2月3日付

「結局、申し立ては棄却されてしまい、下流側の堤防は予定通り2010年におおむね出来上がりました。今回の冠水の原因となった上流側の氾濫箇所は、我々の運動が問題としている区間とは違う。我々は上流側の堤防には関与していないのです」(副代表の男性)

(引用おわり)

つまり、住民の反対運動にも関わらず、堤防工事は進み、2010年には住民側が差し止めを申請したが棄却され、2010年頃には堤防は完成しました。

「二子玉川の環境と安全を考える会」は堤防完成後は活動は徐々に縮小となり、2015年2月にはホームページを運営するOCNがサービス終了となったのに伴い、ホームページ自体もなくなり、同会の代表を務めていた男性は昨年他界されたそうです。

今回の台風19号による増水で、氾濫した二子玉川駅近辺の様子がメディアで大々的に報道されましたが、上記の「二子玉川の環境と安全を考える会」が反対していた堤防建設の現場とは別の場所となります。

玉川地区(文春オンラインより引用)

氾濫したのは、二子橋の直近、玉川3丁目「兵庫島公園」の入り口地点で、ここは堤防が歴史的な経緯があり、増強されていない場所でした。住民の反対運動で堤防が増強されていなかったわけではありません。

つまり、今回多摩川の氾濫の被害を免れた二子橋下流の玉川エリア(二子玉川駅から約200mほど離れた場所)は、住民の長年に渡る反対運動に遭いながらも、京浜河川事務所が防波堤の増強工事を敢行して、つい数年前に工事を完了させた場所なのです。

京浜河川事務所の防波堤の増強工事のおかげで、氾濫被害を逃れることができたという事実は、メディアではほとんど報道されていません。

3. スーパー堤防を巡る攻防

前述の「多摩川水系河川整備計画」には、アクション5「スーパー堤防の整備を進めます」という資料があります。

「スーパー堤防は、別名「高規格堤防」といって、ふつうの堤防より幅が広くつくられている堤防のことです。そのため、

  ● 洪水時の越水や浸透に強く、地震にも強い
  ● 堤防の上を街として使用できる
  ● 川へのアクセスが良くなり、川に一層親しめること
  ● まちづくりと一体となって整備ができること

などなどのメリットがあり、現在、多くの都市河川で整備が進められています」と記述されています。

スーパー堤防(Wikiより)

このスーパー堤防計画は、共産党の反対や以前の民主党政権時の「事業仕分け」によって一時凍結になった過去もあるようで興味深いです。

9年前の蓮舫が「二子玉川なんてスーパー堤防やる必要ない」と発言していますね。

蓮舫の「スーパー堤防は要らない」発言

ネットでは、この蓮舫の事業仕分けで「スーパー堤防は不要だ」という過去の発言を引き合いに出して、「ホレ見たことか、蓮舫が事業仕分けしたせいで、治水工事の予算が削減されて、今回の多摩川氾濫の元凶になった」と蓮舫を非難するコメントが溢れていますが、それは事実を歪曲した作り話です。

上の動画を見るとわかるのですが、蓮舫が事業仕分けで主張していたのは、

「二子玉川に200年に1回来るかもしれない自然災害に対してスーパー堤防を12兆円もの膨大な予算をかけてやるより、福井のようなもっと優先度の高い治水事業がある。優先順位が違うのでは?」

という問題提起でした。

結局、コストも実現時期も大変なスーパー堤防の導入は二子玉川エリアにはムリと判断されたのか、その後は一般的な堤防増強を目指したようです。

現在、二子玉川駅からライズショッピングセンターを通して二子玉川ライズタワーマンション、二子玉川公園まで続く約1kmの多摩川沿いのエリアは、すべての施設が防波堤の高台の上に新設されており、スーパー堤防の構想と似た形態となっています。

スーパー堤防は、玉川地区のような既存の住宅エリアには莫大な移設コストがかかるのですが、二子玉川ライズのような新規開拓のエリアであれば、有効な水害対策なのかもしれません。

4. 二子玉川駅近辺の氾濫

今回の台風19号では、玉川3丁目「兵庫島公園」の入り口地点から溢れ出た多摩川の水が、周囲の住宅地域に水害をもたらしました。

京浜河川事務所のライブカメラ映像(10月12日19時31分)

「兵庫島公園」の入り口の橋

入口の橋の正面の住宅街

玉川3丁目「兵庫島公園」の入り口そばのカメリアコート二子玉川(地上6階建て、2013年3月竣工)の半地下にあるオカムラ歯科医院は完全に水没してしまいました。

オカムラ歯科医院

二子玉川駅周辺の飲食街も大きな被害に遭いました。

二子玉川駅周辺の様子(10月13日朝)

なぜこのような被害が発生してしまったのでしょうか?

国土交通省京浜河川事務所によると、「そもそも橋(二子橋)を境にして、下流と上流を分けて考えています。下流側は工事が終わっていて、上流側は新たに堤防を造ろうと今もワーキング(世田谷区と区民との話し合い)というかたちで進めているところでした」とのことです。

つまり、じっくりと住民との対話に時間をかけたうえで堤防を建設する予定だったのが、建設着工する前に、今回の(想定外の規模の)増水が発生して氾濫してしまったというわけです。

前述の「二子玉川の環境と安全を考える会」の住民反対運動の影響が、堤防建設の遅れの原因の一因となった可能性もあります。

ではなぜそもそもこの地域に堤防が作られていなかったのか?

それは、この地域の歴史的経緯に原因があります。

二子橋のたもとには、昭和初期の時代に、「水光亭」という料亭があり、富士山と多摩川を眺める景勝の地として栄えていたようです。


水光亭は瀟洒な構えと松に囲まれた広い前庭があり、松の間を通して右に兵庫島、左に真新しい二子橋の姿が川面に映り、朝に富士の霊峰、夕に多摩川畔の夕陽を仰ぐことができる東都屈指の景勝の地でした。亭内からは鉱泉が湧き出ていて、温泉気分に浸って休養もできました。

常連客には時の大物政治家の高橋是清・田健次郎・久原房之助・岩崎弥之助など、皇族では久邇宮、伏見宮ら。

水光亭は、刀鍛冶師・森与三郎が大正時代に創業し、終戦直前まで続く一代の家業だったそうです。

その水光亭が景観上の問題となる堤防建設に大反対したために、仕方なく、水光亭の裏手に(水光亭と多摩川の間ではなく)、堤防を建設したのです。

その堤防は、現在でも、多摩堤通りに沿って存在しています。

余談ですが、二子橋ができる以前は、多摩川を往来する「二子の渡し」があり、地域は栄え、二子新地の名前の由来にもなったそうです。

大正時代の二子の渡し

江戸時代は、軍事防衛上の理由から、多摩川に橋をかけなかったそうです。二子橋は大正14年に完成され、やがて二子の渡しも廃止となりました。

2011年には86年振りに「二子の渡し」を復活させるイベントが開催されました(「多摩川「二子の渡し」86年ぶり復活、親子連れら体験/川崎」

二子の渡しの復活

現在では、問題の玉川地区に、「二子の渡し跡」が史跡として残っています。

水光亭の跡地には、昭和50年代には「富士観会館」という結婚式会場が建ちました。

富士観会館

その富士観会館もやがて閉館、平成(2006年2月)になって跡地に現在の「プラウドタワー二子玉川」という地上27階地下1階建て、総戸数201戸のタワーマンションが建ったのです。

プラウドタワー二子玉川(中央の白いビル)

結局、そのような歴史的経緯と、住民の反対運動の影響もあり、堤防建設がされていなかったのが氾濫の原因となりました。

5. 多摩川の氾濫は誰の責任か

では今回の氾濫は誰の責任なのか?

住民の反対運動が悪かったのか?

京浜河川事務所が悪かったのか?

個人的には

「二子玉川の環境と安全を考える会」の住民反対運動の影響により、地域住民との対話に時間を要し、京浜河川事務所の防波堤設置工事の着工が進まなかったのが原因」

と考えます。

私は、防波堤設置以前の景観のすばらしい玉川地区を知っているので、地域住民が反対運動を起こした事情も良く理解できます。

桜並木、松林、そして河川敷一杯に拡がるハマダイコンの白い花。。。下の写真は2004年の春に撮影、長女がまだ幼いときのものです。


反対運動を起こした住民の多くが、地元に長年住んでおられる高齢者であり、新規に外部より引っ越してきた子供をもつ若い世代は、反対運動には関与していた人は少なかったのではないでしょうか?

100年に一度の災害の確率と、高齢者の残り少ない人生を考えると、これは自然な主張です。

当然のことながら、自然災害はいつ発生するかわからないので、最後は、国や地方自治体といった政治の判断となります。

中国のような国家資本主義の政府であれば、今回のようなケースは、問答無用に住民を強制退去させ、防波堤増強工事をさっさと済ませて、再び住民を移住させていたのではないでしょうか?

そんな個人の自由を踏みにじるような政策は日本の自由主義国家では決して許されるものではないというのが正論でしょうが、果たして、どちらの国の政策が国民の生活を守る上で正しいのかは、一概に判断できないと思います。

ちなみに、国内のマスコミの一部は、二子玉川の河川氾濫は人災だと騒いでいますが、なぜもっと京浜河川事務所の陰の功労(と住民運動の負の側面)を宣伝しないのでしょうか??

今回の台風による水害では、首都圏外郭放水路の「地下神殿」や、ワールドカップラグビーの日本とスコットランド戦が開催された日産スタジアムに隣接した鶴見川の多目的遊水地など、洪水を未然に防いだ設備が注目されています。

私は、京浜河川事務所の「多摩川水系河川整備計画」の遂行も、地味ではありますが、それらと並んでもっと称賛されて然るべきではないか?と思います。

京浜河川事務所のホームページを見ると、流域センターでの催事、子供たちに向けて「夏休み多摩川教室」「多摩川源流教室」など、地域住民との会話に積極的な姿勢が良くわかります。

特に、「流域セミナー」は、平成元年から始めて約30年の間に50回を数えるほど頻繁に開催されています。

私は、たまたま去年の夏休みに、子供と一緒に京浜河川事務所の鶴見川流域センターが開催する「鶴見川多目的遊水地見学会と鶴見川の生きもの観察」というイベントに参加する機会がありました。

イベント当日の様子

日産スタジアム脇の多目的遊水地

センターの職員の方の懇切丁寧な説明は素晴らしいものでした。また、子供たちに自然と触れ合うイベントを体験してもらうのも貴重な機会でした。

鶴見川流域センターは、このような市民に対する活動を年間多数積極的に行っており、地域住民と寄り添う素晴らしい場所です。

京浜河川事務所からすれば、今回の玉川地区の氾濫を未然に防いだ防波堤増強工事については、当然の業務をしているだから、世間に注目されることなど全く気にしていないのかもしれません。

むしろ、多摩川氾濫を未然に防げなかった工事着工の遅れについては、責任を感じているかもしれません。

日本の国民性なのか、政府や行政に対しては、常に完璧であることを求め、少しでも落ち度があると一斉に非難をしますが、これは典型的な減点主義、縮み志向の悪しき習慣ではないでしょうか。

本来であれば、マスメディアが、もっと京浜河川事務所が進める治水事業の活動を報道して、地域住民がもっと積極的に地域行政に参画できるように盛り上げていってもらいたいですが、大変残念ながら今の国内マスメディアにそのレベルを求めるのは無理な話かもしれません。

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