【シャマランの3部作】映画『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』は人類の進化論だ

M・ナイト・シャマランは、デヴィッド・リンチと並び、私の最も気に入っている映画監督のひとりです。

なかでも、『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』の3部作は、シャマラン監督の代表作というだけでなく、21世紀を象徴する傑作ではないかと思います。


ジャンルはサイコスリラーですが、ストーリーの背景には、スーパーヒーローの存在を問う「人類の進化論」という壮大なテーマが潜んでいます。

3つの映画に共通するのは、難病や虐待、精神障害など強い苦痛を長期間経験している者は、その苦痛をテコに凡人を超える未知の力を獲得できるというメッセージです。

3作品の内容を詳しく分析をしてみました(以下の映画レビューはネタバレを含みます)。

1. M・ナイト・シャマラン監督

M・ナイト・シャマラン監督の最も有名な代表作といえば、『シックス・センス』(1999)ではないでしょうか。

ブルース・ウィルス演じる小児精神科医と、第6感を持つ少年との交流を描いた作品ですが、最後のシーンで、主人公が自分が実は既に死んでいる身であることを悟るシーンは、まさにどんでん返しでした。

『シックス・センス』予告編

シャマラン監督は、インド系アメリカ人の映画監督・脚本家であり、現代ハリウッド映画監督のなかでも一際異才を放っている映画監督です。

『シックス・センス』の大ヒットに続いて『アンブレイカブル』(2000)でも大きな成功を収めましたが、その後の作品『サイン』(2002)『ヴィレッジ』(2004)『レディ・イン・ザ・ウォーター』(2006)『ハプニング』(2008)は、どれもクセのある作品ばかりで賛否両論の渦を巻き起こし、観る人によって好き嫌いがはっきり分かれる監督です。

M・ナイト・シャマラン監督(Wikiより)

そのシャマラン監督が、2000年に公開された『アンブレイカブル』の続編的な映画『スプリット』を完成させたのが2016年、そして昨年(2019年)には『ミスター・ガラス』を公開、ついに18年を費やして3部作を完成させました。

『アンブレイカブル』(2000年)
『スプリット』(2016年)
『ミスター・ガラス』(2019年)

2. 『アンブレイカブル』

まずは『アンブレイカブル』から。

『アンブレイカブル』予告編

ブルース・ウィリス演じる主人公のデヴィッドは、乗客131人が死亡するという悲惨な列車事故に巻き込まれながらも、唯一の生存者でした。それもかすり傷ひとつ負うことなく。

彼は、これまでの人生で、まったく怪我や病気をしたことがなかったのです。

一方、サミュエル・L・ジャクソン演じるイライジャは、デヴィッドとは対照的に、生まれながらにして骨形成不全症という難病のため、些細なことでもすぐに骨折してしまう体質で、94回もの骨折を経験してきました。

サミュエル・L・ジャクソン演じるイライジャ

この二人が出会うことによって、デヴィッドは本来のスーパーヒーローとしての能力を発揮する一方、イライジャは、その邪悪な正体を打ち明けるのでした。

スーパーヒーローと悪魔の相互補完的な存在。

聖書でも、天使と悪魔(堕天使、ルシファー)は元々は同じ神によって創造された天使とされています。

イライジャにとって、スーパーヒーローのデヴィッドを探し出して、自分自身の存在理由を知るために、テロを企てて何百人という人間を平気で犠牲にします。

デヴィッドのようなスーパーヒーローが存在しなければ、人生が生まれた時点から全て苦痛でしかないイライジャは、一体何のために生まれてきたのか?

これは、人間は何のために生まれてくるのか?という存在価値の問題です。

何らかの使命・天命を受けてこの世に生を授かったという考えは、一見正論に聞こえますが、そのような使命・天命を全うできる恵まれた環境に生まれた人は、むしろ少数派であり、世界の圧倒的多数の人々は、数々の困難や苦難を背負って生まれているのではないでしょうか?

インドの極貧家庭に生まれた子供たち、東南アジアや南米の貧困社会に生まれた子供たちには、人生の意義について考える余裕などないのかもしれません。

映画のなかでは、イライジャはデヴィッドにこう話します。

「自分のような弱者を守ってくれるスーパーヒーローが必ずいるはずだ」

つまり、イライジャにとってデヴィッドは守護神のような存在なのです。社会の生活保護を受ける立場と、それを支える高額納税者との関係のようなものです。

これは、天使と悪魔という敵対する関係とは異なるように思えますが、天使と悪魔も歴史的には表裏一体の存在であることは、多くの映画でも語られてきたことです。

例えば、バットマン。

宿敵のジョーカーは、バットマンに対して、

「オレのような悪者がいるから、オマエは存在価値があるのだ。オレが死んだらオマエも存在価値を失うのだ」

という理屈で苦しめます。

イライジャにとっては、デヴィッドのような超人がこの世に現存しなければ、自分自身の存在意義を失うことになり、それは耐え難い事なのでしょう。

デヴィッドの人生も、天使のように祝福を受けた存在とは程遠いものです。

フットボールのスター選手として将来を約束されていながら、自動車事故による怪我で選手生命を絶たれ、妻との結婚生活も破綻、しがないスタジアムの警備員としての冴えない人生。

しかし、実はデヴィッドは、子供時代にプールで溺れ死にかけた過去があり、さらに、自分が不死身の身体を持っていることに薄々気が付いており、自動車事故も、自分自身はかすり傷ひとつ負わずに、フットボール人生に潮目を感じて妻と結婚に踏み切るために自ら偽ってウソをついたという負い目を抱えて生きているのでした。

スーパーヒーローは、強い苦悩を抱きながら人生を送ったことで、不死身の身体(と悪を検知する能力)を備えたのではないでしょうか。

冒頭で、平均的なコミック(1冊35ページ)は、米国で毎日17万2千部、年間6200万部以上も売れているとの統計が紹介されます。


世界最大のベストセラーである聖書は、全世界で年間6億3千万冊が売れている(国際聖書協会による)とのことなので、ちょうど全世界の聖書の10%ほどの数のコミック誌が米国内だけで売れている計算になります。

これはとてつもないボリュームですね。

コミック雑誌とそのスーパーヒーローは、現代の聖書とイエス・キリストのような存在なのでしょうか。。。

歴史家で大ベストセラー作家のハラリ氏が指摘するように、物語(フィクション)を信じる力が、団結力を生み、現在の人類が(他の類人猿よりも)繁栄する認知革命に繋がったという点では、コミック雑誌はかつての聖書と同じ役割を果たすことになるのかもしれません。

映画のなかで、フリッツ・カンピオンの作品として「善と悪の戦い」というスケッチが紹介されるシーンがあります。

善と悪の戦い

このシーンは、映画『アンブレイカブル』のテーマである「世の中は超人である善と悪が戦っていることでバランスを保っている」を象徴していると思います。

『アンブレイカブル』のAmazonでの評価は3.9でした。


3. 『スプリット』

『スプリット』という言葉の意味は、多重人格(解離性同一性障害)を指しています。

ジェームズ・マカヴォイ演じる主人公は、幼少期に母親から虐待を受けた影響で、23人もの架空人格があり、そのうち6つの人格が目まぐるしく交替で出現します。

基本の人格は「ケヴィン」、他には「デニス」「バリー」「パトリシア」(女性)「ヘドウィグ」(9歳の少年)そして超人的な身体能力を持つ「ビースト」が現れます。

『スプリット』予告編

ケヴィンは、(苦痛とは無縁の人生という理由でビーストの生贄として選んだ)3人の女子高生を、勤務先である動物園の管理棟に拉致します。

一方、ケヴィンのセラピストであるフレッチャー女医は、ケヴィンが何かを企んでいることを察しますが、事の重大さには気付きません。

フレッチャー女医が隣人の老女との会話でこう話します。

「私たちは心に傷を負った人たちを劣っていると見がちだが、逆に優れているとしたら?」

彼女は、ケヴィンのような精神疾病患者を、人類の進化の証と確信して(Skypeで)学会発表を行います。

フレッチャー女医の学会発表

この学会発表のシーンは、映画『スプリット』でシャマラン監督が伝えたかった重要なメッセージが(フレッチャー女医の発言を通して)観客に訴えかけます。

「精神疾病者は、トラウマを経験した結果、我々にない能力を手に入れた」

「解離性同一性障害の患者は、思考によって身体の化学反応も変わる」

「患者たちは苦悩を経験したことによって、脳の潜在能力を解放したのです。これが未知の世界へと至る究極の道なのではないでしょうか」

「いわゆる超能力とは、彼らの力に由来するのでは」

『アンブレイカブル』では、超能力を備えたスーパーヒーローは、人生の失敗者でしたが、『スプリット』では、もう一歩踏み込んで、世間では一般的に弱者として扱われている精神疾病患者が、実は超能力を持っているという展開です。

ビーストに変身したケヴィンは、壁を這い上ったり、胸に銃弾を2発食らっても倒れず、鉄格子をねじ曲げますが、これは「思考によって身体の化学変化も変わる」というフレッチャー女医の主張を裏付けることになります。

ビーストに変身したケヴィン

個人的には、「思考の変化が超人的な身体能力に繋がる」から、ケヴィンの肉体は超人的な進化を遂げたという解釈はさすがに行き過ぎだと思いますが。。。

精神疾病と、能力の発揮の間には、非常に深い関係があります。

『一流の狂気 : 心の病がリーダーを強くする 』(2016)というベストセラー書籍では、歴史上の転換点で活躍したチャーチル、ケネディ、ターナー、ガンジーなど偉大なリーダーの多くが、精神の病を抱えていた事実を指摘しています。



社会が平穏なときには「正常のリーダー」が活躍するが、普通でない大きな危機に対しては、精神疾病を抱えた狂気の指導者が必要とされる、というのがこの著書の主旨です。

また、「大きな野望を抱く一方で気分が低迷することも多い」という感情の動きを見せる人が大きな成功を収め、子孫数の増加につながったという説もあります。

映画のラストシーンで、ブルースウィリス演じる警備員のデヴィッドが突然登場することで、『スプリット』は『アンブレイカブル』と繋がっていることを暗示させます。

映画のエンドロールでは、デニス、パトリシア、ヘドウィグ、ビースト、ケヴィン、バリー、オーウェル、そしてジェイドの役がすべてジェームス・マカヴォイが演じていると記されていますね。

エンドロールでのキャスト

『スプリット』の映画としての一般的な評価は、ジェームス・マカヴォイの怪演がスゴイと絶賛されています。

もちろん、ジェームス・マカヴォイは素晴らしいのですが、個人的には、「トラウマを経験した精神異常者こそが、脳の潜在能力を解放して超能力を手に入れることができる」というテーマが、この映画を特別な作品にしていると思います。

『スプリット』のAmazonでの評価は3.7でした。


4. 『ミスター・ガラス』

『ミスター・ガラス』は、『アンブレイカブル』『スプリット』との3部作の完結編です。

『アンブレイカブル』と『スプリット』は、それぞれ単体の映画としても起承転結しているのですが、この『ミスター・ガラス』は、前2作を観ていないと、ほとんど意味不明でしょう。

『ミスター・ガラス』予告編

ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ジェームス・マカヴォイをはじめ『アンブレイカブル』『スプリット』の主人公がオールキャストで再登場します。

なかでも、『アンブレイカブル』でデヴィッドの息子ジョセフを演じた若手俳優スペンサー・トリート・クラークと、『スプリット』で拉致被害者で唯一の生存者となったケイシーを演じたアニャ・テイラー=ジョイの二人は、本作でも重要な役柄を好演しています。

スペンサー・トリート・クラーク(右)

アニャ・テイラー=ジョイ

時代背景は、『スプリット』の数年後の設定で、多重人格者のケヴィンが再び女子高生4人を拉致して軟禁しているシーンから始まります。

デヴィッドは、息子と一緒にフィラデルフィアで悪人の排除活動を行っており、デヴィッドはケヴィンの潜む工場地域に足を踏み入れ、ケヴィンを見つけ出します。

しかし、デヴィッド、ケヴィン、そしてイライジャの3人は、スーパーヒーローの存在を断固として受け入れないエリーという精神科医によって施設に監禁されてしまい、洗脳教育を施されてしまいます。

そんななか、一見、最も大事を起こす能力も失ったかに見えた「ミスター・ガラス」ことイライジャが、3人揃っての病棟脱出計画を実行するのです。

フィラデルフィアで一番高いオオサカタワーでの決闘シーンもなければ、ラストシーンにどんでん返しもありません。ただ静かにこの映画は終わり、3部作の最終話としての役割を終えます。

明らかに、派手なアクションが中心のマーヴェルの映画とは嗜好が異なります。

キーワードは、「群れ」(ホード)「照明」(ライト)など。

「群れ」とは、ケヴィンの多重人格のなかで、超人であるビースト以外の23人をまとめて指す言葉だと思います。

「照明」というのは、ケヴィンの人格で表面に出ることを意味しているようですが、詳しくはわかりません。。。

ケヴィンは幼少期の虐待に耐えるために、自分自身を守る存在である「ビースト」を生み出したのです。

最も印象に残ったシーンは、ケイシーが(かつての加害者である)ケヴィンにスキンシップで彼の苦悩に理解を示し、ケヴィンを呼び出して虐待者には(殺人ではなく)法の下で罰せるよう諭すシーンでした。

ケヴィンを説得するケイシー

ケヴィンにとっては、学術的な興味から面倒を診てもらっていたフレッチャー女医よりも、自分と同じ虐待経験を持つケイシーのほうが、信頼できる相手だったのでしょうが、結局は自分の殻に閉じこもることに。

しかし、ケイシーはなぜ、自分を殺そうとした相手と、敢えて対話をすることを決意したのでしょうか?

ちなみに、ケイシーはフィラデルフィア動物園の作業服を着ていることから、自分が拉致監禁され殺されかけた場所に敢えて勤務しているようです。

なぜでしょうか。。。?

そして、終盤の戦いのシーンで、ケイシーはビーストと化したケヴィンを抱き寄せて「ケヴィン・ウェンデル・クラム」の名前で呼び掛けて、ビーストからケヴィンの人格に戻すことを手助けします。


「一緒に照明を浴びましょう」(この意味が不明)

というケイシーの言葉に、ビーストから解放されたケヴィンは頷くのですが、その直後、腕にクローバーの刺青をした機動隊員が照準を合わせたライフルで胸を撃たれ、(ビーストではない)ケヴィンは息絶えます。

警官の身を守るためにトレーラーに閉じ込めたデヴィッドも、やはりクローバーの刺青の機動隊員に、溺死させられます。

イライジャは、ケヴィンの父親を殺したことに逆上したビーストに、やはり殺されてしまい、結局、スーパーヒーロー3人は皆あっけない最期を迎えるのです。

3人の超能力者の最期もあっけないものでしたが、彼らが遺した映像の内容も、さほど超人的の仕業には見えないので、世間に公開することで自分たちの存在を主張したかったというイライジャの願いは、果たして成就したのでしょうか?

フェイクニュースが横行し、映像加工技術も格段に進化した現代では、スーパーヒーローの実写フィルムなど何の価値も信頼性もないと思います。

スーパーヒーローの伝説は、やはり、コミックのような大衆メディアを通して、世代を超えて語り継がれるものなのでしょう。

それがやがて歴史となり、史実となり、人々は物語(ストーリー)を信じることによって、やがて新人類に進化するというのが、この映画の隠れたテーマではないでしょうか。

『ミスター・ガラス』のAmazonでの評価は3.4でした。


5. 3部作を通して

シャマラン監督が、2000年の『アンブレイカブル』を撮ったときに、3部作の構想を持っていたかは不明ですが、『アンブレイカブル』の冒頭シーンの列車の乗客にケヴィンの父親がいたり、デヴィッドが雑踏ですれ違った親子が、ケヴィンと虐待する母親だったりと、伏線はそれなりに張られていました。

スーパーヒーローの映画は、バットマンやアヴェンジャーズなどマーヴェルやDCコミックで星の数ほどあるわけですが、派手なアクションやCGもなく、かなり地味なテーマを扱った本3部作には、ハリウッド映画には欠けている「人間の存在とは何か?進化とは?」という壮大な問題提起がなされている点で、単なる娯楽映画の域を超えています。

シャマラン監督の『ハプニング』も、人口増加による環境破壊に対する神の手の「間引き」がテーマでした。

3部作のエンドで超人たちが凡人の手によって抹殺されるというのは、キリストの受難の物語を模倣しているのかも知れません。

シャマラン監督の作品はどれも、キリスト教が影響しているのは間違いないと思います。

個人的には、2作目の『スプリット』が、シャマラン監督の最高傑作だと考えていますが、感想は人それぞれですね。。。

以上、M・ナイト・シャマラン監督の3部作の分析でした。

まだまだ謎の部分が多く、納得のゆかないシーンが多いのですが、何度も観ることで謎解きを楽しもうと思います。

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