[私のサラリーマン人生] 転職10回を経て辿り着いた境地も、還暦を迎え定年退職

還暦を迎えて、定年退職の日が近づいてきました。


人生の節目なので、新入社員時代から今日までの38年間のサラリーマン人生を駆け足で振り返ってみました。

10回も転職を繰り返してきたサラリーマンの体験記として、転職を迷っている方に参考になれば幸いです。

(以下、企業名、転職条件など具体的な詳細は伏せていますが、全て事実に基づいています)

0. 就職活動(22歳)

大学の学部は理工系だったので、所属ゼミの教授推薦で第一希望の国内大手企業にあっさり内定し、就職活動は一切しませんでした。

バブル真っ只中の好景気だったので、就職は売り手市場でした。


ちなみに大学時代の成績は並くらいで、在学中に何か資格を取ったわけでもなく、凡庸な学生でした。

1. 入社(22歳)

入社して配属された部署が自分の専攻と異なるのにまずショックを受けました。

理工系でも大学院出てない凡庸な学部卒では、本人の希望や専攻に関係なく会社の都合だけで配属が決められてしまいます。

その現場では、毎朝始業時間の1時間前に出社して、同じ職場の先輩(30人くらい)にお茶を出すのが仕事でしたが、それぞれ違うマイカップをわざわざ熱湯煮沸、コーヒー、紅茶、緑茶、昆布茶など好みもバラバラで準備が大変でした。


職場の人間関係は良好でしたが、毎日のように飲み会やカラオケには強制参加、週末は職場のゴルフや会社行事でつぶれることも多く、社員はみな金太郎飴のように趣味や性格が似た人ばかりでした。

2. 新人(22歳~25歳)

希望した会社とはいえ、専攻と異なる仕事は苦痛以外の何物でもありません。

旧態依然とした社風にも馴染めず、定時退社で同じ職場メンツでの飲み会ばかり続く日々に、一体何をやっているんだと自問自答する日々。

ある日、現場に本社から社長が視察に訪れるということで、全職員仕事を中断してまる1日かけて職場を徹底的に清掃、視察予定ルートには赤い絨毯を敷いて万全を期して待機したのですが、急用で視察が直前で中止になったことも。


それでも、当時は会社への忠誠心も強く、転職などまるで頭に浮かびませんでした。

今から振り返れば、この下積み経験が、社会人としての素養や忍耐力を養成してくれたのだと感謝しています 笑

いつかは希望部署へ異動してもらえるだろうという期待を抱きながらも、月日が経ちましたが、希望が叶う気配は一向にありませんでした。

3. 若手(25歳~30歳)

転機が訪れたのは、何の気なしに応募した社内の海外留学制度に合格したことでした。

業務の傍ら留学準備に明け暮れる多忙な日々を送ることに。

会社の上司からは「一流の大学院とか行かないで、適当に世間を見てくればいいよ」と言われ、そんなもんかと落胆させられました。

第一希望の大学院に無事合格し、26歳で渡米、米国の大学院に2年間の留学。

学業は激烈に大変でしたが、学生生活を思う存分謳歌し、世界中に友人も増えて人生のハイライトでもありました。

修士課程を修了し、すっかりパンドラの箱を開けてしまった状態で帰国。


今度こそ専攻を活かした希望部署への配属が叶うだろうと期待したものの、元の部署へ戻され、しかも激務の職場へ配属となってしまいました。

4. 中堅(30歳~35歳)

留学させてもらった恩もあるので、しばらくは我慢して業務に専念しましたが、帰国して1年経過し、ついに転職を決意。


国内最大手の転職エージェントに相談するものの、ろくな転職先を紹介してもらえず、エグゼクティブサーチ会社に飛び込んで、とある外資系企業を紹介してもらいました。

こうして29歳で転職を果たし、大学院での専攻も活かせる希望の職種にようやく着くことができました。

日本企業とは全く異質の世界でしたが、やりがいもあり、休みも返上で仕事に明け暮れる日々を送ることに。

本社のCEOが来日した際には、平社員である私が会議でプレゼンテーションを任されたりと、肩書に関係ない風通しのよい社風でした。

一方、社員は前の日本企業とまるで違って玉石混交、良い人もいれば悪い人もいて職場の人間関係も決して良好とは言えない 笑

個人に任される責任範囲が広く、担当していたあるプロジェクトは、日経新聞のトップ紙面に掲載されたりもしました。

仕事は上から与えられるものではなく、自ら進んで創り出すものという姿勢も、以前の会社にはない発想でした。

5. 管理職(35歳~45歳)

転職した外資系企業では順調にキャリアを積み重ね、36歳で大きな組織を統括する管理職まで昇進しました。

年収もみるみる大幅にアップしましたが、当時は昇給などまるで関心がなく、毎日深夜帰宅で週末も出勤、ただひたすら仕事に没頭する日々でした。


ある日、前の会社の同僚にばったり出くわしたのですが、彼曰く「当時は留学までさせてもらって出世コースに乗ったのになぜ退職してしまうのか理解できなかったが、今となっては良くわかる」と吐露されたこともあります。

その間、職種が技術畑から営業畑に転向となり、専門能力を得るため、働きながら夜間の社会人大学院でMBAを取得しました。

大きな商談をいくつもまとめることに成功して、個人の年間MVPだけでなく、チームの年間MVPも獲得しました。


睡眠時間は極端に少なかったですが、仕事もプライベートも順風満帆だったと思います。

が、転職して8年が経過し、徐々に外資系企業の限界も見えてきてしまい、結婚して長女が生まれたのを機に、国内大手企業に転職をすることに。

年収も役職も大幅ダウンでしたが、夢を追っての転職でした。

しかし、運悪く転職して早々に会社が業績不振で大幅なリストラを敢行、私も夢を追う仕事ができずに月日が経過してしまいました。

そんななか、以前の外資系企業から「戻ってこないか」とのお誘いをいただきました。

迷いましたが、元の会社に出戻り、40歳を迎えました。

復帰してしばらくは順調でしたが、リーマンショックの影響もあり、上司が会社を去り部署も解散という憂き目に逢うことに。


その上司から誘われて45歳で再び転職を決意、4回目の転職です。

6. ベテラン(45歳~55歳)

新しい会社は中堅の外資系企業、再び大きな組織を統括する管理職での採用でした。

以前一緒に仕事をした同僚や部下だけでなく、取引先の人材も引き抜いて強いチームを作り売上も伸長、会社の成長に貢献したと自負しています。

多忙な日々を送りながらも、マイホームを建てて家族との時間を大切にし、趣味のトライアスロンやブログを始めたりと、充実したワークライフバランスに恵まれていました。


しかし、業界構造が激変するなかで事業は徐々に規模縮小となり、ついには私自身がリストラされてしまいました。


50歳での職探しは厳しいと覚悟しましたが、幸運にも仕事の付き合いでご縁をいただき、日本企業に転職。

しかし、ここでも事業が行き詰まり、自己都合で退職。

その後も、知り合いからのお誘いや紹介で転職を繰り返し、ベンチャー企業や外資系企業などを転々としました。

7. 役職定年(55歳~60歳)

多くの企業では、一般社員は管理職であっても役員にならない限り、50代後半で役職定年を迎えて平社員に格下げされてしまいます。


私も50代後半になると平社員のポジションで担当業務を任されることが増えました。

以前のように猛烈に働くよりも、仕事は効率的に消化しつつ、家族との時間や、プライベートの趣味に費やす時間が増えていきます。

そんななか、当時勤めていた小さな外資系企業で、またもや会社都合のリストラに遭ってしまいました。

50代後半での転職はさすがにムリだろうと引退を覚悟したのですが、幸運にも取引先の大手企業のトップからお誘いをいただき、再び日本企業に転職、転職の回数も10回目となりました。

8. 定年退職(60歳)

昨年末に還暦を迎えて、今年の3月末で定年退職となります。


希望すれば有期雇用で65歳まで働くこともできるのですが、定年退職を機に完全に仕事を辞めることにしました。

定年を迎えて引退してしまうと、やることがなくなってヒマになってしまうので、何となく仕事を続ける人もいます。

しかし、私の場合は、役員や社長を目指す仕事一筋の人生から、家族や趣味を優先する人生に徐々に移行したので、定年後もやりたいことがたくさんあります。

自分のやりたいことを優先した結果が、このように転職を繰り返すキャリアになったのだと思います。

自分で言うのも何ですが、10回も転職を経験したサラリーマンは珍しいのでは?

振り返れば、10回の転職はいずれもヘッドハンティングのような華麗なものではなく、幸運にも個人的にご縁をいただいたものばかりで、感謝しかありません。

やはり人間関係は大事ですね!

9. まとめ

38年間サラリーマンを続けて、ほぼ一貫して自分の好きなことを追求できたことは幸いでした。

一方、自分は所詮サラリーマンに向いていなかったのではないかという気持ちも残っています。

少年時代は、毎日星空を眺めながら将来は天文学者になりたいとずっと思っていました。


定年退職後は、その夢を追って大学院で宇宙物理学を学ぶつもりです。

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