映画『太陽に灼かれて』『戦火のナージャ』『遥かなる勝利へ』:合計約7時間30分の戦争映画の金字塔

映画『太陽に灼かれて』『戦火のナージャ』『遥かなる勝利へ』の3部作は、ロシアの超大作の戦争映画です。





『太陽に灼かれて』は1994年にロシア・フランス合作で制作され、続く『戦火のナージャ』『遥かなる勝利へ』は、その続編として2010年と2011年にそれぞれ制作された2部作の前後編です。

『太陽に灼かれて』、『戦火のナージャ』、『遥かなる勝利へ』合計で7時間30分もある超大作。

ロシアの戦争映画として不朽の超大作「戦争と平和」(1967)でも6時間30分なのに対して、この3部作は合計で約7時間30分なので、時間的には上回ることになります。3部作を通して観るにはそれなりの覚悟が必要ですね。

ストーリーは、1940年代の大粛清時代のソ連を舞台に描かれる第二次世界大戦を通した壮大な人間ドラマです。『太陽に灼かれて』から順に観ていかないとストーリーの理解は厳しいでしょう。

元ソビエト国民の英雄からスターリンの粛清で政治犯ととして追放されたコトフ大佐とその愛娘ナージャの物語を中心に、戦争の悲惨さとスターリン時代の粛清の惨たらしさを描いた名作です。

コトフ大佐

主人公のコトフ大佐の生き延びるという執念(そして相反する無謀さ)の凄まじさと、それが実って最愛の娘と束の間の再会を果たすラストシーンは実に感動的です。

ナージャとコトフの再会シーン

愛娘ナージャが幼いときに父親と過ごした幸せな時代をコトフが回想するシーンがたびたび挿入されます。しかしナージャの子役がとても可愛い!対照的にコトフがおじさんなので、父娘というより孫娘のような雰囲気です。

幼いナージャとコトフの幸せな時代

監督のニキータ・ミハルコフは、この3部作で主演のコトフ大佐を演じています。また、娘のナージャはニキータ・ミハルコフの実の娘なのだそうです。実の親子が演じているでリアルなんですね。ニキータ・ミハルコフは、この映画の前には、米国映画の『12人の怒れる男』のリメイク(これも名作)を監督しています。

第1部『太陽に灼かれて』

全編が静かで平穏なロシアの生活を延々と映し出します。一見凡庸にように思えるシーンが続くのですが、10年振りに故郷に戻ってきたミーチャ(ドミトリ)が、ピアノを弾いたりタップダンスを踊ったり、みんなと水泳やサッカーに興じたりと、人柄の良さを披露する一方で、実は秘密警察として恋敵のコトフ大佐を破滅に追い込むためにやってきたという底知れぬ怖ろしさの対比が見事です。

平和な日常風景に潜む残虐性。

ミーチャが、コトフの愛娘のナージャと親しくなって、おとぎ話を聞かせるシーンでは、なぜか火の玉がコテージにゆらゆらと入ってきて、やがて森林に飛んで行ったかと思うと爆発するシーンがあります。

火の玉

この火の玉は一体なにを象徴しているのでしょうか?

私は、テレビシリーズ『ツイン・ピークス・リターンズ』にも出てきた火の玉を連想しました。

この火の玉は、何か人間の邪悪な精神を象徴しているものではないでしょうか?

『太陽に灼かれて』は、結末がコトフ大佐の粛清とミーチャの自殺で物語は完結します。

その後、3部作構想が具現化し、『戦火のナージャ』『遥かなる勝利へ』へと続くことになります。

3部作を全部通して観なくても、『太陽に灼かれて』だけでも独立した名作です(アカデミー賞外国語映画賞を受賞)。

第2部『戦火のナージャ』

この映画はとにかく戦争の悲惨さの描写が生半可ではありません。負傷兵を満載した赤十字貨物船が戦闘機に襲撃・撃沈されるシーン、ドイツ兵を殺害した罰として村人全員が納屋に閉じ込められ焼き殺されるシーンなど。。。


幸福と絶望は紙一重であるが、コトフはどのような境遇に陥っても逞しくかつ楽観的に生き抜こうとする生命力は感動的です。むしろコトフは自分に降りかかった悲運でさえも素直に受け入れて人生を謳歌しているようにさえ思えます。

第1部では火の玉が出現しましたが、第1部では全編にわたり、1匹のチョウがミーチャの周囲を舞っています。チョウは一体何を象徴しているのでしょうか?

ナージャは、前述した赤十字貨物船の撃沈と、村人全員虐殺と、どちらも生き延びるのですが、貨物船撃沈の際に司祭から洗礼を受けてクリスチャンとなり、自分が生き延びた理由を、神から与えられた「父を探す」という天命と認識します。

ナージャの胸の十字架を見つけた誰もが「あなたはクリスチャンなの?」と驚くシーンは、スターリン時代にキリスト教は弾圧されていたからですね。

映画のラストは、瀕死の重傷を負った19歳のロシア兵士を、看護師のナージャが応急手当てを施すのですが、傷があまりに深く、余命の少ないことを自覚した兵士が、ナージャに対して「胸を見せて、今まで見たことがないから」と懇願し、ナージャもそれに応えて服を脱いで、それを見た兵士が安らぎを得て絶命するという、やるせないシーンで幕を閉じます。

『戦火のナージャ』は、全3作の2作目の宿命である「つなぎ」ではあるのですが、欧米や日本の戦争映画とはまた違った観点(戦争でも政治でも膨大な犠牲を強いられるロシア)の映画です。

第3部『遥かなる勝利へ』

3部作ラストを飾るに相応しい壮大な人間ドラマが繰り広げられます。

前作(第2部)で生き延びたナージャは、再びドイツ軍の空爆のなかで奇跡的に生き延びます。このとき雨あられと爆弾が降り注ぐなか荷台で妊婦が出産するシーンは感動的ですが、生まれた子どもは何とドイツ人にレイプされた結果の子ども。。。


欧米や日本の戦争映画だったら、ここは100%自国の子孫が戦火のなかで産まれたと感動ストーリーに仕立て上げるシーンです。

ところが、この映画では、産まれたばかりの赤ん坊を、母親が「殺して」とまで言う。キレイごとでは済まされない戦争の惨たらしさを強烈に描いており見事です。

一方、すべてを剥奪されて一兵卒に落ちぶれたコトフのほうは、因縁の相手ナージャと戦場で出会い、お互い憎しみを秘めた間柄で双方ともに相手を殺すチャンスがあったものの、敢えて相手を生かします。

このあたりの経緯も、コトフとミーチャの人物描写がしっかりと描かれているので、単純には割り切れない複雑な人間の感情が浮き彫りになっており見事です。

コトフとミーチャ

コトフとミーチャは、どちらも、相手への憎悪よりも、あの故郷での平和な生活へのノスタルジーが強烈だったのではないでしょうか。

その二人が、一緒にあの古き懐かしき故郷を訪れます。

(コトフの妻のマルーシャ役の女優が第1作から変わっているので、私は最初マルーシャがナージャの妻になったことに気付きませんでした)

コトフとミーチャの突然の帰郷で、束の間の平和が訪れますが、それは身障者のキリク(実はマルーシャと結婚して赤ん坊までいた)が帰宅してあっという間に崩れ去ります。

コトフの隙を突いて、マルーシャと旦那たちは、列車で遠い場所に旅立ってしまいます。

駅で茫然と見送るコトフ。

昔の生活を取り戻すという夢は瞬間で音を立てて崩れ去り、もはや自暴自棄となり、暴漢を刹那的に切り殺し、結婚式のどんちゃん騒ぎに身を委ねるシーンは、涙なしには観られません。。。

スターリンによって一時は粛清されかけたコトフですが、スターリンの野望の肩代わりのために、中将に復帰させられ、今度は勝ち目のないドイツの難攻不落の要塞を、政治犯15,000人で武器もなく正面突破をするという自殺行為を指揮するように命じられてしまいます。

スターリンとコトフ

映画には、督戦隊 (とくせんたい)という、、敗走する自軍の兵士を容赦なく攻撃し、殺害する部隊が出てきますが、『戦争のはらわた』を彷彿とさせられます。

15,000人の政治犯たちが、木の棒だけで難攻不落の要塞を攻撃することになるのですが、このような非現実なシナリオは戦争映画で観たこともありません。。。

しかも、その結末は圧巻です。

ナージャが戦場にコトフを見つけるところから、戦闘シーンから親子の感動の再開のシーンに切り替わります。

感動のシーンですが、コトフの幸せは、ここでもほんの数秒しか長続きしません。

生への執念というより、運命のいたずらで奇跡的に生き延びた二人に訪れた幸せの儚さ、戦争の悲惨さを痛感する場面です。

世の中に、星の数ほどある戦争映画の名作(とその何倍もの駄作)のなかでも、特筆すべき名作だと思います。

欧米の戦争映画の名作(『プラトーン』『戦争のはらわた』『ディア・ハンター』『シンドラーのリスト』『史上最大の作戦』『フルメタル・ジャケット』)と違うのは、戦争の描写があまりに悲惨過ぎて、善悪つけられず、すべてが救いようがない一方、人間ドラマとして僅かな希望を残してくれるという点ではないでしょうか。

欧米や日本の戦争映画では見られないロシア映画ならではの特徴だと思います。ロシアという大国に生きる国民のおおらかさと強靭さ、そしてロシアの国力を感じずにはいられません。

この3部作を観てしまうと、日本(と最近のハリウッド)の戦争映画がどれも凡庸な内容に思えてしまいます。

『遥かなる勝利へ』は、平時の穏やかさと戦争とロシアの独裁政治がもたらす恐怖を見事に対比させた、これまでに観た数多くの戦争映画のベスト作品です。

『太陽に灼かれて』、『戦火のナージャ』、『遥かなる勝利へ』の3部作は、私が(2000年以降)観た映画のベスト10のひとつです。

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