アイヌ巡りの北海道旅行記(二風谷、白老、屈斜路、阿寒)

今年の夏休みは家族で北海道旅行に行きました。今回の旅行は長女の卒業研究「アイヌ民族」をテーマに、アイヌの代表的ゆかりの地である二風谷、白老、屈斜路、阿寒と廻ってきました。

北海道は、2002年に知床・屈斜路湖・阿寒湖・釧路に旅行したのをきっかけに、その後家族旅行で

2004年 富良野、美瑛
2005年 十勝
2006年 ニセコ、札幌
2007年 釧路、阿寒 
2013年 旭川、十勝、釧路
2014年 二風谷、白老、屈斜路、阿寒

と今回が8回目になります。これまでは観光がメインでしたが、今回の旅行はアイヌ民族についての勉強をテーマに前半にはキャンプ場でのテント泊にもチャレンジしました。

幸い天気にも恵まれて良い旅行になりました。以下各地で訪れたアイヌ関係の博物館や資料館についてまとめます。




萱野茂二風谷アイヌ資料館(二風谷)


館長さん(窓口で切符を切ってくれた人)が萱野茂に似ているな~と思ったら、実の次男さんとわかってビックリ。資料館のなかはアブがたくさん飛び交っていて子供たちは大騒ぎ。。。



まず、チェプケリという鮭皮の靴と、チェプウルという鮭皮の着物に驚きました。また、カムイルシカロプという熊の手のバック(爪付き)も展示されていました。

チェプケリ

イナウという儀礼具(といっても木の枝に削り模様をつけただけの簡単なものです)も多数展示されています。

イナウ

ほかにはルウンペというアイヌ文様を施した着物が地域別に展示されています。アイヌといっても、日高、旭川、静内、二風谷、長万部、白老とそれぞれ地域によってアイヌ文様は異なるようです。そのどれもが100年以上古いものだというから驚きです。

アイヌ衣装が収められている専用棚(引き出して見ることができます)

別室には、萱野茂の大きな写真が飾られており、その周辺には伝統的なアイヌの写真が展示されていました。女性は唇に刺青を施しています。

別室の様子

この資料館は1972年に設立されたということで、老朽化は進んでいるのですが、当時の萱野茂は国からの支援もなく大変な苦労をして設立したものと思われます。アイヌ老人の貴重なユーカラを録音してまわったテープレコーダーなども展示されていました。

膨大なコレクション

二風谷アイヌ文化博物館(二風谷)


国道237号線を隔てた向かいにあるチセ(家)の集落のなかにある、こちらは近代的な博物館です。展示資料の多くは、再現されたものが多く、またユーカラの再生映像や、子供が喜ぶような仕掛けが多く見ていて飽きません。



展示コーナーの所々には、アイヌ語を覚えようというステッカーが貼ってあり、

イランカラプテ (こんにちは)
イヤイライケレ (ありがとう)
スイ ウヌカラアン ロー (またあいましょう)

などという挨拶が記してあります。

こちらの博物館も膨大なコレクションを誇りますが、萱野茂さんの資料館と違うのは、その展示品のほとんどが実際に使われていたものではなく、再現品であることです(従って見栄えは良いですが展示品としての価値はそれほどではないと思われます)。

面白かったのは、熊を捕るための毒矢の仕掛け弓(クワリ)です。熊の通り道に紐を仕掛けて、トリカブトの毒を塗った矢が発射される仕掛けになっています。そのミニチュアが展示されていて、実際に矢を仕掛けることができるようになっていました。似たような展示に、鳥を捕獲するものと、テンを捕る罠もありました。子供たちは夢中になってずっとここで遊んでいました。

クワリ

また広大な展示スペースに丸木舟(チプ)の再生品が展示されています。カツラの木で作られたそうです。

チプ

口承で伝えられてきた話には、ユーカラ(英雄が出てくる民謡)カムイユーカラ(神々の民謡)、ウウェペケレ(昔話)の3種類があります。博物館ではその一部をビデオ映像付きで楽しむことができます。

二風谷町アイヌ情報文化センター(二風谷)


伝統工芸で、アイヌ文様の木製コースター作りを体験しました。指導員の高野繁廣さんは、文献「アイヌが生きる河」にも登場する有名な現地の芸術家で、ビックリしました。ちなみにこちらで製作されている二風谷イタは、北海道では初めて伝統的工芸品として指定されました。


コースターにアイヌ文様のフクロウの絵を彫る

二風谷イタの解説

アイヌ民族博物館(白老)


通称ポロトコタンというポロト湖のほとりの集落のなかにあります。今回の旅行ではこちらのキャンプ場に3泊してゆっくり白老のアイヌ文化についてフィールドスタディをしました。ちなみにポロトというのはアイヌ語で、ポロ(大きな)+ト(湖)という意味です。

アイヌ民族博物館の敷地内には巨大なアイヌの守護神像が建っています。博物館の建物以外にも大小さまざまなチセが建っており、それぞれ催し物が開催されていました。


二風谷の文化博物館もそうだったのですが、こちらの白老の民族博物館も非常にりっぱな建物で、展示品やその模型も贅沢に作られている印象を受けました。これもアイヌ文化振興法の影響なのでしょうか。。。

今回は、アイヌ料理(オハウ)を作るワークショップに参加しましたが、参加料親子でたったの1,000円で料理体験から博物館ガイド、そしてランチまで付いての4時間コース(!)を堪能しました。北海道大学の大学院の学生さんが懇切丁寧にパワーポイントを使ってガイドしてくださいました。


出来上がったオハウ

博物館の入り口脇に咲いているウバユリを説明してもらいます。トゥレプアカムというオオウバユリを使ったドーナツ状の乾燥ダンゴの保存食(博物館のものは数十年以上前のものだそうです)がアイヌの食事のひとつの特徴です。

トゥレプアカム

民族博物館の館内は、イメージ絵が豊富で、また衣装もわかりやすく陳列されており、アイヌの歴史と文化を理解する工夫が随所になされています。例えば、アイヌはあらゆる動物や植物を神として崇めていましたが、鹿と鮭だけは例外で、豊富に捕れたことから、これらは神が天から恵みとしてアイヌに分け与えるために降らせているような説明がありました。

鮭と鹿だけはカムイではない

コタンコロカムイ(コタンコロ=村の守り神)の名で知られるシマフクロウは、アイヌのカムイのなかでは最高位ですが、その剥製も展示しており迫力十分です。

シマフクロウの剥製

アイヌの衣装のコーナーは非常にわかりやすく展示されていてようやく違いが理解できました。衣装の種類は、アットゥシ(樹皮衣)、チヂリ(刺繍衣)、ルウンペ(木綿衣)、テタラペ(草皮衣)、カパラミブ(木綿衣)があります。

アイヌ衣装の展示

カパラミブは比較的新しく布地を贅沢に使った品のようで、一方、アイヌ文様は木綿を切り抜いて衣服につけています。チヂリは衣装に直接刺繍をしたものです。白老で一番よく見かけるのは木綿のルウンペでしょうか。

アットゥシ

チヂリ

ルウンペ

カパラミブ

アイヌ文様には、魔除けの意味があり、棘(トゲ)が身を守ると考えられてきました。

アイヌは和人との交易で、シントコという漆塗りの桶(贅沢品)を入手するために鮭100匹を交換していたという話を聞いて驚きました。説明員の方によると、シントコはカムイも欲しがるということで、そのような交換をして入手していたということです。

シントコ

博物館の売店にはりっぱなトンコリ(の再生品)が飾ってありちょっと試しに弾かせてもらいました。またガイドの女性がムックリを演奏してくれたのですが、とても上手でビックリでした(ステージでも演奏されているそうです)。

トンコリ

ガイドのお姉さんたちと

博物館を見終わったあと、説明員の方に、思い切って「具体的にどのような差別があったのですか」とストレートに質問をしたところ、「相手がこちらを見る眼だった」と簡潔ですが非常にリアルな答えをいただきました。当時は「アイスクリーム」という言葉にもびくっとするほど怯えていたそうです。今までどの文献にも記されていなかった「差別」についての実話でした。

またカムイ(アイヌの神)を単に神と翻訳されているために、誤解を招いているという話も伺いました。カムイは日本の神やキリスト教の神と違い、人間と対等な立場で、良いカムイもいれば悪いカムイもいる存在です。人間との違いは、人間にできない特殊な能力を持っているという点です。カムイは彼らの世界(カムイモシリ)から人間の世界に熊やほかの動物の姿でたびたび遊びにやってくると信じられていました。

博物館を後にして、次は別のチセでアイヌの歌と踊りのパフォーマンス(こちらはやや観光向け)を楽しみました。

鶴の舞

アイヌ民俗資料館(屈斜路湖)


白老のあとはJR特急列車を利用してずっと離れた川湯温泉に移動しました。あいにく川湯温泉で楽しみにしていたアイヌ古式舞踊は雨のため中止となってしまい、翌日は屈斜路湖のアイヌ民俗資料館を12年振り(!)に訪れました。

なんと前回12年前に出会ったアイヌの女性(川湯温泉で踊った翌日に資料館の受付をやっていた人)に偶然再会することができました!



民俗資料館では、まず2階のビデオルームでアイヌ文化の紹介ビデオを鑑賞しました。ビデオの冒頭で、宇梶剛士さんという俳優が出演していました。宇梶さんはアイヌの血をひいているそうです。

アイヌが如何に差別されていたかという話を伺いました。アイヌというだけで石を投げられたりしたそうです。研究という名目で墓を暴かれた話や、学校で差別された話を聞きましたが、私にとってはどれも既に文献で聞いていた話とあまり変わりませんでした。

鮭を釣りあげるとヤナギの木の棒のようなもので鮭の頭をたたいて絶命させるのですが、その棒(イサバキクニ)は神聖なもので、鮭はそれで叩かれるのを喜ぶということでした。ちょっとアイヌも都合主義ではないか。。。と感じてしまいました。ちなみに悪事を働いた人向け制裁用の棒もあり、子供たちは興味津々でした。

イサバキクニ

ちなみに有名なイオマンテ(熊送り)は、熊に限らず、熊以外にもフクロウやほかの動物に対しても同じ儀式が行われていたということです。

コタンコロカムイ(シマフクロウ)のイオマンテ

資料館では、無料でアイヌ衣装の試し着ができました。私たち家族も揃ってアイヌの民族衣装を着て記念写真を撮ってもらいました(私が頭につけているのはサパンペ、妻や娘が頭に巻いているのはマタンプシという儀式で使われたという鉢巻きです)。

家族揃って記念写真!

和琴半島でのエゾ鹿狩りの模型と説明があり、興味を惹きました。和琴半島とは、屈斜路湖畔に突き出た口の狭い小さな半島で、この地形を利用して鹿を追い込んで狩をしていたそうです。


和琴半島

資料館を後にして早速その和琴半島を訪れることにしました。あいにくの天気でしたが、くびれた地形がよくわかり、また火山島ということで周辺の湖水は結構暖かかったりと、いろいろな発見がありました。

アイヌ文化伝承館(阿寒湖)


アイヌアート作品展という小規模な展示が、アイヌコタンのシアターの近くで開催されていました。アイヌコタンの民芸品店で売られているものと似た展示が多かったようです。

アイヌアート作品展

阿寒湖アイヌシアター(阿寒湖)


阿寒湖には3回目の訪問です。まず新しく建てられたシアター劇場があまりに立派で圧倒されてしまいました(これもアイヌ文化振興法もしくはアイヌの先住民族の法案の影響でしょうか)。こちらで古式舞踊を観劇しました。

今回の演目では、黒髪の踊り(心臓比べの踊り)という激しい踊りと、弓の舞という狩人が鳥に魅せられる踊りが印象に残りました。もちろんムックリの演奏もありました。しかし以前川湯温泉で観た色男の踊りは残念ながらありませんでした。

黒髪の踊り 

弓の舞

アイヌコタン民芸品店(阿寒湖)


番外として、熊の家という民芸品店の地下1階が非常に素晴らしいアイヌ文化のコレクション宝庫だったので紹介します。

熊の家

地下はこんな感じで、階段の入口に「アイヌ民俗資料館」と看板がありますが、本当にそのくらいのりっぱなコレクションでした。妻はここを以前訪れたことを覚えていました。

地下への入り口

店内にはぎっしりと彫刻やアイヌの人たちの貴重な写真が飾ってあります。彫刻は藤戸竹喜という彫刻家の作品のようでした。壁にかかっているモノクロの写真は当時の生活を偲ばせます。









釧路動物園(釧路)


番外編その2ですが、東京に戻る直前に立ち寄った釧路動物園が(期待を大きく上回り)非常に充実していたので紹介します。アイヌで最も位の高いカムイであるコタンコロカムイ(シマフクロウ)は北海道で現在140羽しか生息しておらず、動物園でもこの釧路動物園、札幌の円山動物園、旭山動物園の3箇所しか見られないそうです。シマフクロウは神経質で巣作りも大きな木が必要ということもあり野生の数は激減して絶滅危惧種に指定されています。生息場所は環境庁がすべて把握しているそうですが一般には非公開だそうです。いつかは北海道の森のなかで野生のシマフクロウを見たいものです。

本物のシマフクロウ!

おわりに


今回の旅行でアイヌ文化や歴史について理解を深めることができたと思います。また、アイヌの差別問題についても、アイヌ出身者と和人を祖先に持つ現地の方の両方から話を伺えたのは何にも勝る貴重な経験でした。

アイヌ文化
アイヌ文化は衣食住から信仰まで実に多彩で、現在の日本にはなくなってしまった自然との共存や信仰心を大切にする生き方には大いに共感しました。生き物はもちろん、生活のまわりの小物にもそれぞれ神が宿っており、どんな些細な物でも粗末に扱わないという姿勢は素晴らしい考え方です。自然を破壊し尽くし経済発展のみを追求する現代社会への警鐘でもあります。アイヌの素晴らしい文化遺産を謙虚に見習い、後世にしっかり引き継ぎ、現在の行き過ぎた環境破壊や大量消費社会生活を是正してゆく責務が我々にはあると感じました。

アイヌ歴史
一方、アイヌに対する和人が行った過去の同化政策や(現在も残ると言われている)差別問題については、事情が複雑で、和人が悪者、アイヌが犠牲者と簡単に割り切れる問題ではないようです。現在のアイヌ民族の衰退は悲劇であるのは確かで、その過程で多くのアイヌ人が多大な犠牲を払ったのも事実ですが、それをすべて和人(当時の日本国家)の責任に転嫁するのは違和感を感じます。同化政策に関しても、もし日本国民への組み込みがされなかったら、ロシアに侵略されて更に悲惨な結末を辿ったかもしれず、また同化したおかげで日本国民として近代化の恩恵を享受しているアイヌ世代もいるのですから、必ずしも間違った政策ではなかったと思います。社会的強者が弱者を呑み込んでしまうのは、残念ながら世の常です。問題のルーツは、日本特有の、異質なものを受容できない心の狭さ、排斥感情にあるのではないでしょうか。現代のいじめ問題にも共通する閉鎖性にあると思います。

旅を通して印象的だったのは、アイヌ文化の振興活動は北海道では予想以上に盛り上がっており、立派な博物館や施設も多いということでした(ちなみに白老には2020年に国立博物館が設立される予定だそうです)。


国立博物館開設のポスター

こうして平和的に文化振興が進むのは良いことなのですが、私には国や政府がアイヌ批判の懐柔策として国費を投じて文化振興をバックアップしているような気がしてなりませんでした。特に有名観光地では、アイヌ文化はなかば見世物的に扱われている場所もあり、伝統的な踊りもエキゾチックさを売りにした商業目的化している感じがして違和感を覚えました。

また、アイヌの民族や文化が過度に理想化されている傾向があるようにも見受けられました。自然と共存していた格差のない平和的な民族である、和人に対して戦ったシャクシャインは英雄だ、争いは暴力ではなく必ずチャランケ(話し合い)で解決していたと。。。しかしアイヌ神謡や民謡を詳しく読んでみると、

「にくらしい子、貧乏人の子、私たちが先にしようとする事を先がけしやがって」
「私の持っている悪い心がむらむらと出て来ました」
「悪い臭気に苦しんでいる中に私はつまらない死に方、悪い死に方をしました」

というような表現が何度も出てきます。

想像するに、狩猟民族がルーツのアイヌ人だって過去には和人同様、他部族との抗争や、貧富の格差であるとか財宝を巡っての奪い合いなど、実際のところは〈今の現代社会を生きる我々俗人と同じように)、善悪混同した庶民的な民族だったのではないでしょうか。。。そう考えると私はアイヌの人たちに対してむしろ人間臭い親近感を覚えるのです。

【アイヌ問題について】小学生の娘が卒業研究テーマで調べました

コメント

  1. シマフクロウの剥製ではないですよ。あなたが写したのはワシミミズクの剥製です。

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    1. 写真を間違えていました。。。シマフクロウの剥製の写真に置き換えました。

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  2. 旅行記とても良かったです。私も北海道へ行ってみたいです。アイヌのことを知りたくて。事前勉強にもなりました。

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    1. 少しでもお役に立てたのであれば良かったです。アイヌの世界には惹きつけられるものがあります。北海道の雄大な自然のなかで生きてきた歴史の重みかもしれません。機会があったらぜひ北海道を訪ねてみてください。

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  3. ブログ、楽しく拝見させていただきました!
    現在、北海道へアイヌの世界を勉強に行こうかと考えていたので、とても参考になりました。モニオさんの旅行範囲が広いと感じましたが、やはり移動はレンタカーだったのでしょうか?

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    1. ブログ訪問ありがとうございます!
      この旅行は5泊6日で移動はレンタカーと電車を組み合わせました。
      新千歳空港でレンタカーを借りて白老に行きキャンプで3泊、その後新千歳から電車で釧路に移動し、そこで再びレンタカーを借りて阿寒に2泊でした。
      アイヌゆかりの地を巡る旅はとても楽しかったのですが、白老の「ポロトコタンの夜」のイベントに日程が合わなかったのだけが残念でした。

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