マタイ受難曲 カール・リヒター盤の聴き比べ

J・S・バッハのマタイ受難曲といえばカール・リヒターの名盤が有名です。そのカール・リヒター指揮のマタイ受難曲は現在4つのバージョンがありますが、それを聴き比べてみることにしました。

カールリヒターのマタイ受難曲


マタイ受難曲は、新約聖書「マタイによる福音書」のキリストの受難を題材にした受難曲で、ヨハン・セバスチャン・バッハの最高傑作にして、西洋音楽の最高傑作という高い評価の名曲です。

無人島に持っていく1枚というテーマでも過去何度も1位になっていますね。

ではまず定番中の定番から。。。

1.カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1958年録音)




マタイ受難曲の名盤と言えばおそらく誰もが挙げるであろう決定版です。人類の文化遺産といっても大袈裟ではないかもしれません。私も多聞に漏れず、中学生時代に最初に聴いたのがこのリヒター版でした。

中学生時代に4枚組のLPそれも定価10,000円の大金を聴いたことのないレコードに投入するというのは相当な覚悟だったと思いますが、結果的には、レコードが擦り切れる程の愛聴盤となりました。

このLPはボックス仕様になっていて、詳しい対訳とアルブレヒト・デューラーの印象的な挿絵が記憶にあります。LPボックスのほうは残念なことに、引っ越しのときに誤って捨ててしまいました。。。

アルブレヒト・デューラーの挿絵

その後いろいろなマタイ受難曲を聴き比べても、どうしてもこの名盤が自分の頭の中ではレファレンス的存在となってしまいます。良くも悪くも。。。

音楽を聴いて感動するという体験は良くあることだと思いますが、音楽を聴いて人生観や価値観までが決定的な影響を受けてしまうということは滅多にないと思います。

私は、多感な思春期だったということもあると思いますが、リヒターのマタイ受難曲を聴いた瞬間から、その冒頭の合唱曲から最終合唱までそのすべての宗教的な深淵さと、切れば血が出るようなあまりに人間的な演奏に心から感動してしまいました。

冒頭の第一曲の合唱「来れ、娘たちよ、われとともに嘆け」が始まるとともに、これから語られる受難の物語の壮大な幕開けの緊迫感に圧倒されてしまいます。やがて天から降ってくるかのような1少年隊の合唱がこれまた緊張感を持って合唱に加わるのです。

この第一曲だけでも、カールリヒターと楽団員の物凄いエネルギーと深い信仰心に圧倒されてしまいます。

カール・リヒター

宗教曲は退屈で眠くなる。。。というのは良くある話ですが、私にとってのマタイ受難曲は冒頭から最終合唱までの間、どこを抜粋しても素晴らしい曲の連続で、コーラルやアリアのメロディはどれも気に入っているものばかりです。

素晴らしいのはアリアや合唱だけでなく、レチタティーボという福音史家(テノール)が朗読する独唱の部分も感動的です。

たとえば、第17曲「イエス答えて言いたもう」というイエスが最後の晩餐の場面で語るところがあるのですが、これはもう音楽の力としか言いようがないほど、強烈な説得力で語りかけてきます。聖書の同じ箇所を自分で読むのとは、別次元の宗教体験だと思います。

独唱陣も充実しており、特にテノールのヘフリガーの福音史家の語りが素晴らしいのはこの盤の魅力にもなっています。

個人的には、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウの歌う第65曲「わが心よ、おのれを浄めよ」がこの作品を通してのハイライトだと思っています。学生時代には、この曲こそが、マタイ受難曲の核だと確信していましたが、今になってネットで調べてみると同じように感じている方が少なからずいることを知り、私の感性も正常なんだと安心しています。

 「わが心よ、おのれを浄めよ」

 Mache dich, mein Herze, rein,
 Ich will Jesum selbst begraben. 
 Denn er soll nunmehr in mir
 Für und für eine süße Ruhe haben.
 Welt, geh aus, laß Jesum ein!

 わが心よ、おのれを浄めよ
 私はイエスをこの手で葬ろう
 なぜなら彼はこれから私の中で
 いつまでも甘い安らぎの時を過ごし続けるのだから。
 世よ、出て行け、イエスを迎え入れさせよ!

このアリアは、心の穏やかさというのか、人類への愛というのか、壮絶な受難の物語がクライマックスを終えたあとにふっと訪れる、救いのような曲です。

1957年のステレオ録音なのですが、音質はクリアで申し分ないレベルです。数年前に、デジタルリマスタリング版が発売されましたが、個人的にはそれほど音質向上されていない(元が良いから)という印象です。


2.カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1979年録音)



カール・リヒターの再録音版です。58年版があまりに強烈だったため、20年以上経ってリリースされたこの新盤も注目を集めました。

批評家をはじめ多くのリスナーの共通した意見としては、残念なことに新盤は旧盤に遥かに及ばないということのようです。

個人的にもこの新盤には最初からあまり感動することができませんでした。

旧盤と比べるとテンポはゆっくりめ。そして、通奏低音がオルガンからチェンバロに代わっています。全体を通して旧盤の劇的な緊張感は後退し、受難の物語をルバートのようなアゴーギクを積極的に導入してロマンティックに語るようなイメージです。それはリヒターが年を重ねて円熟の境地に達したとも解釈することができますが、旧盤があまりに強烈だったのでどうしても聴く側としては過大な期待を抱いてしまうということがあったと思います。

ソリストには前作と同様ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウがバリトンで参加していますが、第68曲「わが心よ、おのれを浄めよ」は、マッティ・サルミネンというバスが歌っているようです。前作よりもゆったりしたテンポで大船に乗ったような安心感のある歌い方で、これはこれで良いのではないでしょうか。

これはあくまで個人的な嗜好ですが、この新盤は通常よりややボリュームを大きくして聴くと新盤ならではのゆったりした雰囲気を楽しめるような気がします。

また、不思議なことに、この新盤では、後半に向かうほどに緊張感とスケールが大きくなり、最後の4曲では圧倒的な盛り上がりを見せることです。冒頭の合唱や途中のアリアで興味を失ってしまったら、ぜひ終盤を聴いてみてください。

この録音の2年後に、リヒターは心臓麻痺で55歳で早世しています。再録音が不評に終わり、失意のうちに世を去ったのでは。。。と思うと胸が痛みます。

話は逸れますが、似たような新旧録音ということでは、やはりバッハのゴルドベルグ変奏曲があります。ピアニストはグレン・グールド。旧盤の凄まじさと対比するかのような新盤の斬新な表現で、この新旧は甲乙つけ難いほどの最高の評価を得ています。


3.カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1969年録音)



残念ながら現在廃盤となっている1969年のリヒター東京公演のライブ盤です。

1969年の録音なので、旧盤(1958年)と新盤(1979年)のほぼ中間の時期です。演奏のスタイルも両者のほぼ中間的な性格です。旧盤の緊張感と、新盤のゆったりとしたテンポを兼ね備えている感じで、個人的には好みです。

このライブは東京文化会館での来日公演をNHKがテープ収録したものからマスターを起こしています。発売元はアルヒーフなので、しっかりと企画されてCD化されたものであると思います。

私がこのCDを気に入っている理由は、ライブならではの緊迫感がひしひしと伝わってくるからです。しかも観客の声や咳払いなど余計なノイズはしっかりと消去されているので、聴いていて安心感があります。録音もダイナミックレンジが広く良好です。

ソリストは、テノールがエルンスト・ヘフリガー、バスがキート・エンゲンと旧盤と同じです。エルンスト・ヘフリガーの福音史家が再び聴けるとは素晴らしいことです。

「わが心よ、おのれを浄めよ」は、ペーター・ファン・デア・ビルトという人が歌っています。録音のせいか、ややレベルが低くオーケストラ伴奏にかき消されがちですが、なかなか聴かせます。旧盤の雰囲気に似ています。

このCDには、ライナーノーツ(吉田秀和執筆)でカールリヒター来日時の興味深いエピソードが載っています。

「リヒターは飛行機の乗ってから今まで何も食べてないのです。スチュワーデスが食事を持ってきても楽譜を手から放さず追っ払ってしまうものですから」

「飛行機では電話もかからず、いやな客も来ないから楽譜をゆっくり見ていられて、こんな楽しいことはない」

カール・リヒターの妥協を許さない生真面目な性格が良く表れていると思います。

4.カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(DVD、1971年録音)



リヒターの4枚目は、DVD盤です。以前からVHSで販売され、NHKのBSでも放映されたこともあります。巨大な十字架が天井から吊り下げられた大がかりなセットで録画されたものです。

カール・リヒターの指揮する映像を観ることができるだけでもスゴイことなのですが、このDVDはおまけに画質がかなり良好で観ていて飽きません。スタジオのセットも豪華なのですが、やはりソリスト含めて参加者全員が一体になっている真摯な姿を見ていると、このような芸術作品が創出されるということは大変な奇跡なのだということがわかります。

リヒターの指揮は淡々かつカッチリとしていて、如何にも演奏の内容にふさわしいものですが、指揮について無知な私には詳しいことはわかりません。。。

演奏スタイルは、こちらも東京公演盤と同じく旧盤と新盤の中間でしょうか。。。旧盤の緊迫感はこのDVDの演奏でも踏襲されています。ただしDVDミュージックの特性なのか、ダイナミックレンジが狭いと感じました(例えばソプラノとアルトのデュエットの第33曲など)。

また、スタジオ収録につきものの継ぎ接ぎ的な演出がやや目立ちます。曲の流れをストップさせるようなシーンの切り替え(特にレチタティーボからコラールへの切り替え)はセットや視点が変わるので少し違和感があります。

ソプラノのヘレン・ドーナト(DVDにはドナートと表記されていますが、ドーナトの間違いです)は、その感情移入の程度が評判が良くないようですが、個人的には問題ありません。美形ソプラノだし。。。

ソリストのなかでは、バスのヴァルター・ベリーが特筆すべき名唱だと思います。大きなフチのメガネが印象的で、映画「ミュンヘン」に出てきそうな典型的なユダヤ人風なのですが、オーストリア人です、が、ひょっとしたらユダヤ系オーストリア人なのかもしれません。

ちなみにそのヴァルター・ベリーが歌う第65曲「わが心よ、おのれを浄めよ」はYouTubeでも観ることができます。この素晴らしいアリアを是非下の画像をクリックして聴いてみてください。

「わが心よ、おのれを浄めよ」(YouTubeへリンク)


このDVDは画面のアスペクト比は4:3、音声がSTEREO PCMと5.1ch DTSから選べます。また日本語字幕もついているので、マタイ受難曲のストーリーを追って鑑賞することができて非常に便利です。DTSのサラウンド音声に関してはあまり効果が見られず、ステレオ音声と大差ありません。

以上、カール・リヒターの4種類のマタイ受難曲を聴き比べてみた結果です。こうして通して4種類を聴くことで新しい発見もありました。

58年の旧盤がベストチョイスであることに変わりはないのですが、リヒターが4種のマタイをリリースすることで聴衆に伝えたかったものは何か。。。演奏スタイルの変遷とどう関係があるのか、個別の演奏を独立に評価するだけでは見えてこない何かがあるような気がします。

リヒターはマタイ受難曲を指揮することを、神への信仰の行為として捉えていたのでしょうか。。。もしくは、演奏を普及させることとは、布教活動のようなものだったのでしょうか。新盤を録音するにあたってアルヒーフがリヒターとどのような議論をしていたのか、当時の資料や証言を是非聞いてみたいと思います。

これは勝手な憶測ですが、ひょっとしてリヒターは再録音時に自分に死期が近づきつつあることを悟っていたのではないか。。。再録音は、リヒターがこれまでバッハの宗教音楽を通して信仰してきた信念の表れではないか、ということです。

時代はアーノンクールに代表されるピリオド奏法のような新しい自由な流れが生まれるなかで、リヒターは自らが構築したその偉大な評価と地位に逆に押し潰されるようなプレッシャーを感じていたのではないか、だからこそ新盤の過剰と思えるほどのロマン主義を前面に打ち出した演奏スタイルで、過去の栄光からの訣別を試みたのではないか、とそんな想像をしてしまいます。

だから、ソリストもディートリヒ・フィッシャー・ディースカウを唯一の例外として旧盤から刷新して新しい布陣で挑んだのだと。。。そのディースカウも過去の栄光の重荷という点ではリヒターと同じく意を共にしていた。。。というのはやや考え過ぎでしょうか。

そんなことに思いを馳せながら新盤を聴くと、旧盤とはまた違った人生の苦悩や矛盾というテーマが心に突き刺さってくるのです。


しかしマタイ受難曲は気楽に聴ける作品ではありません。。。今回全曲を通して何度も聴いて精神的に疲れてしまいました。。。

これは蛇足ですが、学生時代の私は、マタイ受難曲の次は当然ヨハネ受難曲を聴くことになるのですが、なぜかヨハネ受難曲にはサッパリ感動することができず、それは今日まで続いています。。。理由はわからないのですが、大抵のバッハの楽曲は好きにもかかわらず、ヨハネ受難曲だけは一体どこがどう良いのかわかりません。。。人の音楽の嗜好というのは不思議なものです。

また機会を改めて今度は他の指揮者のマタイ受難曲(クレンペラー、ガーディナー、シュライアー、レオンハルト、クイケン、ヘレヴェッヘ、マクリーシュ、アーノンクール、ショルティ、鈴木雅明など約10種類)の聴き比べをしてみようと思います。。。

(2015/04/16 追記)

他の指揮者のマタイ受難曲の聴き比べを追記しました。こちらになります。

(2015/04/16 追記)

アルヒーフの新盤録音をする背景について詳しく書かれている文献がありました。

カール・リヒター論 野中裕 (http://www.amazon.co.jp/dp/4393937864)

この文献はカールリヒターの生涯にわたる音楽活動について非常に詳しくかつ鋭く分析されています。

著者によると、新盤録音は、アルヒーフに「カンタータ選集」完成、リヒターは50歳を迎え、ミュンヘン・バッハ合唱団は設立25周年を祝うという「ご祝儀録音」という側面を持っていたようです。したがって、アルヒーフ側はリヒターに制作上の注文をほとんどつけず、リヒターの「やりたいようにやらせた」可能性があるということです。

また、69年の来日公演時のリヒターの「技術的な衰え」や、71年に発症した心筋梗塞と視力の著しい低下が、晩年の演奏に与えた影響について詳しく分析しています。

追い打ちをかけるような、ピリオド演奏への時代の移行や、アーノンクールをはじめとする新興勢力との確執などが、リヒターをますます追い詰めたことも容易に想像できます。

新録音の不評の背景には、過去の栄光からの訣別としてのリヒターの挑戦というよりは、伝統的なバッハ解釈への回帰を目指すあまり、ロマンティックな表現に過剰に支配されてしまった、というのが妥当な解釈でしょうか。。。

(2015/06/11 追記)

「ヨハネ受難曲にはサッパリ感動することができず。。。」

このコメントを撤回します!

リヒター盤のヨハネ受難曲を初めて聴いてみました。。。導入の合唱曲から有り得ない緊張感が漂っており、ドラマティックな展開に文字通り手に汗握ることに。。。

ヨハネ受難曲
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団

その後何十回となく聴き返すことになりました。録音状態も極めて良好で、リヒターの指揮とドラマチックな演奏が火を噴くような凄まじい名演奏です。

なかでもヘフリガーの福音史家は奇跡とも思える程、魂が憑りつかれているかのような名唱で圧倒されます。その歌唱は、13曲目のアリア「ああ、わが念いよ」(Ach, mein Sinn)で頂点に達します。

アリア「ああ、わが念いよ」

Nr.13 Arie - Tenor 第 13 曲 アリア(テノール)
Ach, mein Sinn,
ああ、わが悩める心よ、
Wo willt du endlich hin,
どこへ逃れ、
Wo soll ich mich erquicken?
安らぎを得ようとするのか?
Bleib ich hier,
ここに留まるべきか、
Oder wünsch ich mir
自ら願うべきか?
Berg und Hügel auf den Rücken?
それとも、山と丘とを背負うことを
Bei der Welt ist gar kein Rat,
この世には聞くべき助言はなく、
Und im Herzen
心には、
Stehn die Schmerzen
わが罪の痛みがある。
Meiner Missetat, Weil der Knecht
それは、主の僕であるわたしが、
Den Herrn verleugnet hat.
主を否定したからである。


その後に続くコラールや、20曲目のテノールアリア(2枚組1枚目の最後の曲)、第2部に入ってもその迫力とキリストの受難物語の悲痛さは増すばかり。。。

22曲目、26曲目、28曲目のコラールの荘厳な響きとこの世とは思えない天空から響き下りてくるような合唱、どれもあまりに美しく悲しく胸が張り裂けそうになり正直聴いているのに精神的に辛いものがありますが、それだけ劇的・感動的であります。

最終曲の前の39曲目 「やすらかに眠れ、聖なる骸」は、以前からこの曲だけは気にっていました。静けさの漂う美しい名曲です。

全編を通して(おそらくリヒター自身が演奏している)通奏低音のオルガンの存在感が強く、受難曲の悲劇性をドラマティックに演出しています。

いやはや。。。こんな素晴らしい名曲をどうして今までスルーしていたのでしょうか。。。あまりの素晴らしさに、他の演奏家の盤も聴いてみたくなりました。

マタイ受難曲とひけをとらないばかりか、個人的にはマタイ受難曲と双璧をなすバッハの最高傑作と言って過言ではないと思います。

しかしリヒターは改めて偉大な芸術家ですね。。。結局このヨハネ受難曲も、マタイ受難曲と同様リヒター盤が私の一生のリファレンス盤となるのは間違いないと思います。

(おわり)




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