所沢ウルトラナイト、タイムアウトで100km届きませんでした

第4回所沢ウルトラナイト100km、制限時間(12時間)を迎えて90kmで力尽きました。。。

50kmの折り返しで15分に減った貯金も次の10kmで使い果たし万事休す。レース結果は12時間耐久走扱いですが、気持ち的にはリタイア。。。悔しいですがこれが今の実力、勢いだけで完走できるほどウルトラマラソンは甘くありませんでした。


以下はその出走記です(直前までの準備編はこちらです)。

大会当日、なんと中高の同級生が応援に来てくれました!本当は会社の後輩の応援の予定だったそうですが、都合で出場できなくなったそうです。にも関わらず応援のために駆け付けてくれて感謝です。本当にありがとう!!!

1.スタート(0km~6km)

コースは所沢航空記念公園内に設置された1周2.5kmを40周します。本部が設置されているテントの前にエイドがあります。同じ場所に周回ごとに腕につけた計測チップをタッチする装置もあり、ここで周回タイムを記録する仕組みです。

コース図

競技種目は100kmウルトラマラソンのほかにも12時間ウォーク、12時間きずなウォーク、12時間きずな駅伝、ハーフマラソンなどいろいろです(なかには親子参加のペアも)。すべての種目ほぼ同時にスタートです。

午後7時ちょうどにスタートの合図。

午後7時にスタート

最後尾にいた私は、なぜか駅伝の選手たちに交じっていたため、1分ほどスタートに出遅れてしまいました。いきなりタイムロスです。。。

急いで集団に追い付き、その後は計画通り、キロ7分くらいのゆっくりとしたペースの集団のなかで走ります。

その集団のなかに、実にゆったりとしたフォームで走る50代くらいのランナーを見つけました。

以前、近所の公園を走っていたときに、ウルトラマラソンの完走Tシャツを着た50代くらいのランナーを見かけたことがありますが、そのランナーと走るフォームが似ています。

いわゆる省エネスタイルのウルトラ向きの理想的なフォームです。

他の選手がフルマラソンのような身体をダイナミックに動かすフォームとは対照的な、両手の振りを最小限に抑え、脚の送り方も最小限のスタイルです。

ピンと来ました。

この人に付いていこう、この人なら間違いない、と。

そしてランニングフォームを見習って同じように省エネスタイルを徹底します。



すっかり日が暮れて、コースは真っ暗闇のなかに、赤いパイロンと公園内の街灯だけを頼りに走ります。

右腕につけたAppleWatchで心拍の管理をしますが、懸念していたとおり、心拍がかなり高いです。だいたい160くらい。試走のときには最初の10kmはこのより速いペースでも140を越えることはありませんでした。

やはり風邪気味の体調不良が影響しているのか。。。

0-20kmのラップ

1周目(2.5km)を終えて本部前に戻ってきました。計測器の前で腕のチップをタッチすると「ヒョンヒョン!」という電子音が盛大に鳴って記録されたことを知らせてくれます。

大会本部前

計測器の少し先にエイドがあり、スポーツドリンクと水、そしてさらにその先に個人が予め補給食などを置いたコーナーがあります。私はそこに介護食やゼリー、おにぎり、麦茶、湿布、エアーサロンパスなどを保冷バックに入れて置いておきました。

2周目(5km)で、予定通りエイドに置いたゼリーを取りました。開封しておいたのですが、立ち止まって中身をすべて飲み込んでから近くのゴミ箱へ。あっという間に時間が過ぎていきます。立ち止まって飲んでいては時間が勿体なかったです。

やがて、5kmを過ぎたあたりで付いていったランナーのペースが速くなりました。

6kmの周回ラップは6分12秒とレースを通して最速となってしまいました。明らかにオーバーペースです。

キロ7分で前半を抑えて走ることを心掛けていたので、仕方なくそのランナーを見送ることにしました。

その後はゴールまでずっと一人で走ることに。

というか、100kmの参加者71名は、ほとんど全員が一人で走ることになります。

夜になっていくぶん涼しくなりましたが、走っているとかなりの汗をかき、ウェアは既に汗でびっしょりです。ランニングウェアにすれば良かったです。

エイドの水分補給は、毎周回スポーツドリンクを2杯摂取することにしました。

2.堅調な序盤(7km~20km)

4周目(10km)で、予定通りエイドに置いた介護食のおかずのパックを取りました。たまたま取り出した最初のおかずは、「しらす雑炊」でした。パックを取り出して開封に慣れないこともあってあっという間に時間が過ぎていきます。

走りながら中身を摂取。

パックを握りながら走りますが、トイレに行きたくなってしまいました。そこで、公園入り口のトイレに駆け込みました。

しかし。。。

時間がどんどん経過します。。。走っているときにいきなり立ち止まってもすぐには出るものも出ません。 (´д`)

6周目(15km)では、立ち止まらずにゼリー(りはタイム)を走りながら摂取したので、時間的なロスはほとんどありませんでした。それでもラップは7分26秒と遅れます。

周回で大会本部前を通ると、友人が応援してくれます。これは本当に心強かったです。まだ序盤なので、笑顔で応える余裕もありました。

暗闇のなかを走ります

公園内はまだ一般の人もちらほら、親御さんと一緒の子供たちも

「がんばってください!」

と応援してくれるので、そのたびに

「ありがとう!」

と返事をして元気をもらいました。

やがてスタートして1時間30分が経過。

アイアンマンレースではようやくスイムが終わるかという時間帯です。なぜかそれを思い出しました。



8周目(20km)では、介護食のおかずを再び摂取。今度は「やわらかビーフのデミグラスシチュー」でした。ラップは再び7分20秒と遅いタイムに。

20kmを走り終えた段階では、心配していた内足広筋の痛みは出ておらず、ハムストリングも大腿筋も順調です。

まだまだ序盤ですが、久しぶりのランなので、楽しみながら走ることができています。もちろん、この後に地獄が待っているのは百も承知なのですが。。。

フォームを意識して走るように心掛けます。

いろいろな形を試してみたり、まるでこの間のアイアンマンジャパンのスイム中にいろいろ泳ぐフォームを試しているかのごとくです。

マンツーマンレッスンで教えてもらったフォーム矯正。

腕の振りを抑えて走ること。

腰のポイントを基軸に後ろから押されるような感覚で進むこと。

そして

臀部の筋肉を使って内足広筋は極力使うのを控えること。

この3つのポイントを「腕、腰、おしり」と心の中で唱えながら走ります。

下り坂では腕をブラブラにして走ります。

街灯が落とす自分の影を見て、フォームを確認することもしました。

とにかく先ほどのおじさんが走っているかのような、徹底した省エネスタイルのフォームを目指して。

ここまでラップは6分30秒から7分ちょうどくらいでいい感じでペースを維持できています。100kmを走るにはイーブンペースが7分12秒なので、少しずつ着実に貯金が増えていきました。

この時点では平均が6分48秒くらいだったと思います。

3.粘りの前半(21km~42.2km)

スタートから21kmを越えてフルマラソンでは折り返しから後半が始まる距離に入りました。ペースは相変わらず6分30秒から7分ちょうどくらいを維持できています。

21-40kmのラップ

しかし、脚のほうは20kmを過ぎてから少しずつ疲れが出始めました。

まず、右足くるぶしに違和感が発生。この部位に痛みが出ることはこれまでなかったのですが、どうしたのでしょうか。

そして、不必要な腕振りのせいか、両手の上腕が痛み出しました。

脚のほうは、意外にも内足広筋は大丈夫なのですが、左膝が痛くなってきました。

20km地点でロキソニンを1錠摂取。そして早めの対処ということで、エイドで立ち止まってエアーサロンパスを両脚に噴射します。

22kmでは、痛くなってきた膝の負担を減らすため、スタスタ走法(ほとんど競歩のような走り方)を試してみました。すると、キロ6分13秒とかなり速いスピードでいけることがわかりました。ただし、臀部や大腿筋への負担はかなりあります。

走りながら、大きな休憩を入れるのを何km地点にするべきか考えます。

フルマラソンの距離の42.5kmや折り返しの50km地点も考えましたが、それでは後半の距離が残り過ぎてしんどいと思い、残りの距離がフルマラソンの距離となる57.5km地点で大きな休憩を入れよう、それまでは頑張って立ち止まることなく走ろうと決心しました。

30kmを過ぎてもペースを落とすことなく走れることは少し意外でした。この頃になると、両脚に疲れが出て来て脚が重いですが、トイレに行ったりエイドで時間を取られない限りはキロ6分台を維持できています。

日頃のトレーニングの効果なのか、ブルべや耐久系レースをやってきた成果なのか。。。

30km地点を通過したのがスタートしてから3時間27分が経過したときでした。

10kmから20kmと、20kmから30kmはなんというか、あっという間に達したという感覚でした。

その感覚が自信に繋がりました。

5年前につくばフルでサブフォー達成したときは、30km地点を2時間40分で通過しています。その時と比べたら47分も遅いのですが、すでにかなり脚が痛いです。。。

5年前の自分を心底尊敬してしまいました。。。

やはりここ数年の脚力の低下(というかスピード感の喪失)はかなりのものでした。

左膝の痛みはいよいよ強くなってきたので、エイドに到着したところで、あらかじめ準備しておいた湿布とそれを支える保護ネットを左脚にセットしました。

走り出してみると、湿布の効果に加えて、保護ネットが左脚の膝をしっかりと保護してくれて、今までよりずっと走りやすくなりました!保護ネットがサポーターの役割を果たしてくれていたのだと思います。

この区間、Garminの平均速度はずっとキロ6分48秒を表示していたのを良く覚えています。これより速くなることも遅くなることもありませんでした。

40km地点でエイドで梅おにぎりを取りました。走りながら食べますが、どうしてもスピードが落ちてしまいます。梅おにぎりは美味しいのですが、やはり流動食と違い食べるのに時間がかかります。

そういえばコンビニで買っておいたひとくちこしあん大福とナッツタルトは食べやすく大活躍でした。

スタートから4時間50分が経過して、フルマラソンの距離の42.5km地点を通過しました。

いよいよここからは未知の距離を走ることになります。。。

4.分岐点(42.2km~50km)

いよいよキツくなってきました。

しかし自分でも意外なほどペースは落ち込みません。

41-60kmのラップ

ハンガーノックか、激痛か、嗚咽か、何らかの壁が訪れるだろうと覚悟していましたが、それも大丈夫なようです。

40km地点でロキソニンを再び1錠摂取。しかし鎮痛効果があったかどうかよくわかりません。。。

走りながらふと空を見上げると満点の星空、オリオン座や冬の大三角形もハッキリとわかります。

さきほどまで地平線近くに出ていた月はすっかり天空に移動しています。

幻想的な夜でした。。。

今から思い出せば、この時点で100km完走が見えてきたとさえ思いました。

少なくともここまではほとんどのラップで貯金を作って来れたんだ。

脚は重くなってしまったけど、30km以降もペースを大きく落とすことなく走れている。

これはいけるんでは。。。!!

しかし、脚の重さは相当なもので、45kmを過ぎたあたりからキロ8分台が頻発するようになってしまいました。

このままではまずい。。。気持ちが焦り始めます。

そうだ、初心に戻ってフォームを意識して走ろう。

「腕、腰、おしり!」

「腕、腰、おしり!」

心の中で唱えながら走ります。他の邪念は一切排除してそのことだけに集中します。

すると。。。

49kmのラップはキロ6分40秒と久しぶりに6分台を回復することができました!

これは嬉しかったです。

しかし、6分台のラップで走れたのはこれが事実上最後でした。その後はキロ7分から8分を維持するのがやっと。

時計の平均速度表示もついに6分48秒を越えて6分50秒代に突入。

そして。。。

いよいよ50kmの折り返しが近づいてきたところで、後半の貯金となる時間を計算します。

しかしここで大きな誤算を。。。

実は、走りながら、大きな計算ミスをしていたのです。(( ;゚Д゚))

前半の貯金があるから、キロ7分で走ると5キロごとに1分の貯金。つまり100kmでは20分の貯金。

そして、キロ6分50秒で表示されている現在では、それに加えて1キロごとに10秒の貯金、つまり50kmでは500秒=約8分の貯金。

20分+8分=28分の貯金があるはず、と。

30分近く貯金があって、後半キロ7分12秒でいけば30分も早くゴールできる、と。。。

実際は、まだ50kmしか走っていないので、

10分+8分=18分の貯金

が正しい計算なのです。

50kmの折り返しが近づいてきたときに、スタートからの経過時間を時計で確認すると。。。

5時間43分

愕然としました。

なんで。。。!?

30分どころか、20分も残ってない!!

このときに受けた精神的なダメージは計り知れないものがありました。

5.100km完走を断念(51km~60km)

ここから地獄の始まり。(T ^ T)

貯金20分しかないなかで、どうやって後半50kmを走り切れるのか??

そもそもアイアンマンの最後10kmだって、キロ7分で走るのがやっとだったのに。。。

20分の貯金を後半に分配してキロ8分を続けられる距離を計算すると。。。約30km。

ということは、折り返しの休憩を諦めて、さらに、後半70kmまではキロ7分12秒を維持して走って、さらに残り20kmはキロ8分を維持しなければ100kmに届かない計算。。。

残り20kmはアイアンマンとはおそらく比べ物にならないほど脚は疲れている状況のなかで、どうやってキロ8分で走れるのか。。。

考えれば考えるほどその過酷さが突き付けらることに。。。

こういうモードに入ると、モチベーションダウンに伴いスピードも当然ガクンと落ちていきます。

あんなに楽しみにしていた途中休憩がなくなった。。。

途中休憩なしでも100km行けるかどうか全くわからなくなってしまった。。。

そうしてペースがみるみる落ちてゆきます。53km以降のラップは

53km 8'59"
54km 8'35"
55km 8'41"
56km 8'06"
57km 8'03"

とキロ8分さえ切れません。。。

脚が重く、どんなに頑張ってもスピードが上げられません。

息も上がってきました。

平均速度はみるみる下がり猛烈な勢いで貴重な貯金が食い潰されていきます。

そして。。。57km地点で遂に貯金ゼロのキロ7分12秒のイーブンペースにまで落ち込んでしまいました。。。

。。。終わった。。。

これでもう100km完走できる可能性は確実になくなってしまった。。。

100km完走の夢はここで潰えてしまいました。

スタートから57.5km、ちょうど残りの距離がフルマラソンと同じ42.5kmでした。当初、大きな休憩を入れようと計画していた地点です。

本当ならここでゆっくりと休んで後半に控えるはずだったのに。。。

うどんやおにぎりをしっかりと摂取して、ストレッチ運動をして、後半に向けてエネルギー充電するはずだったのに。。。

これ以上続けて頑張って走る気力が音を立てて崩れ、心がバッキリと折れてしまいました。

ここまでスタートから一度たりとも歩かずにずっと走り続けてきたけれど、もはやその努力が報われることは無くなってしまいました。

とにかく今の脚の状態ではどんどんスピードが遅くなるばかり。何とか抜本的に対策をしなければ。。。

そこで、エイドに辿り着いてからその場でストレッチをすることに。

汗だくになったウェアも着替えました。

ロキソニンも再び1錠摂取。

介護食のおかず「とり雑炊」も摂取。

時間が経過してゆきますが、もはや100kmが夢に終わった今となってはあまり気にしません。実際58kmのラップは11'22"と絶望的に遅くなりました。

それより、普段のストレッチと同じプログラムで足腰と上半身の筋肉を緩めます。

当然ながら身体の節々は相当な痛みで、ストレッチの効果はてきめんでした。

ストレッチを終えて走り出したときには、以前のキロ6分台のスピードでラクに走れるようにまで回復していました。

実際、

59km 6'23"
60km 7'06"

とこれまでのスローペースが嘘のようにペースが回復しました。こんなことならもっと早めにストレッチをしておけば良かったと一瞬思いましたが、ストレッチに要した58kmのラップは11'22"もあることを考えると、3kmの平均は8分程度、トータルではどのみちあまり変わらなかったと思います。

6.ひたすら辛抱(61km~80km)

100km完走の目標を失い、何のモチベーションもなくなってしまった今となっては、疲れ果てた脚で走る続けるのは拷問のような苦しみです。

早々とリタイヤしてしまっても良かったのですが、折角ここまで走ったんだ、どこまで行けるか自分の力を試してみようと思いました。

とは言っても、走り続けるのは辛いので、どうしても途中で意志が挫折してしまうのは無理もありません。

脳から運動を停止させる信号が発せられているのか、何度もトイレに行きたくなり、そのたびに脚を停めて休むということを繰り返しました。

また、60kmを越えてからはついに、走り続けることを諦めて、途中で歩き出してしまいました。

時折12時間きずな駅伝の選手たちが猛烈な勢いで駆けてきて、あっという間に追い抜かされますが、それ以外はほとんど単独走が続きます。。。

ここからは2.5km毎に、「あともう1周したら○○km」とモチベーションをなんとか維持しようとしますが長続きしません。

61-90kmのラップ

70kmを過ぎて明け方が近づき、気温が落ち込んで冷えてきました。走るペースが落ちたせいか、肌寒くなってきました。

暗闇に包まれた公園内は、本部テント前に近づくと、計測の「ヒョンヒョン!」という電子音だけが響き渡る以外は静寂に包まれています。

夜中過ぎまで駐車場で集まってコーラスを練習していたグループももう帰ったようです。

もはや脚を残す理由もないことから、74km時点で思い切って1kmだけフルスピードを出してみました。フルスピードで走ると汗がしたたり落ちます。

すると、キロ6分28秒と本当に久しぶりにキロ6分台で走ることができました。

しかし、このあたりから右脚の指に突き刺すような痛みが。。。指先が何かに当たって擦れているような痛み。エイドで靴下を脱いでバンドエイドを貼ることも考えましたが、あまりに時間がかかってしまいます。我慢してそのままで走っていたらやがて痛みは引きました。

このころになると、走ったり歩いたりを繰り返していて、走っている最中も常に歩く誘惑と格闘しながらという状況が延々と続きました。。。

おにぎりを摂取しましたが、走りながら食べるのに苦労することを口実に歩きにしてしまったり、情けない状況が続きます。

そもそも最初に決めたカロリー摂取ペースである2周(5km)ごとにゼリー1袋もしくは介護食のおかず1袋というのもいい加減になってきました。ハンガーノックになっても構わないと半ばヤケになっていたせいだと思います。

精神的にも参ってしまいます。。。

唯一残されたモチベーションは、果たして制限時間内に何km走るかです。

頭で計算をしてみます。。。

すると、90kmから95kmくらいだろうと推測できました。

95km(38周)は時間的にかなり厳しいが、92.5km(37周)なら今のペースで何とか間に合いそうだ、と。

少なくとも90km(36周)はクリアしようと決心しました。

そんなこともあり、77.5km時点で意を決して1周歩かず走ってみました。本当にキツかったですが、6分54秒、7分44秒と久し振りにハイペースで走ることができました。

これでちょうど80kmを走り切りました。

もちろんそのハイペースを維持することができるわけもなく、次のラップは13分台まで落ち込みました。

80kmを走る頃(たぶん5時過ぎくらいでしょうか)には、空が白々と明けてきました。これまでは暗闇で見えなかったコースの状況も良く見えるようになってきました。



線路沿いを走る列車が運行を始めて、公園にもパラパラと人が集まってきます。

青空が広がってきて、今日は良い天気になりそうです。^_^

6.ようやくゴール(81km~90km)

80kmを越えた時点で、92.5kmを走るにはキロ9分で大丈夫なところまで来ました。70km以降、力走した区間などのおかげもあり、予想外に余裕が生まれました。

キロ9分なら何とか行けそうだ。。。

そう考えた瞬間、心に隙が生まれてしまいました。

ここまでほとんど休まず来たんだ、少し休んでもバチは当たらないだろう、と。

心の奥では、悪魔が囁きます。

どうせ100km完走できないんだから、90kmだろうが92.5kmだろうが何も変わらないじゃないか。。。

ラクなほうを選ぼうよ。。。

そんな囁きに打ち負けてしまい、80kmからの1周をノロノロと歩いたりした結果、このレース最長の13分38秒もかけてしまったのです。。。。

この頃になると、一度歩いてしまうと、再び走り出すときに両脚に大きな痛みを伴います。歩いたり走ったりを繰り返すのはむしろ身体に負担になってしまいます。

82.5kmを越えたところで、残り10kmで目標の92.5km、ところが残り時間が1時間20分しか残っていません。。。キロ8分で巡航する必要がありますがそれは拷問に等しいハイペース。

キロ8分なんて、力走した区間の例外を除けば、60km以降一度も走れていないハイペースです。

ここで目標を90kmに下げました。

悪魔の囁きに負けてしまった。。。

1時間20分で7.5kmならもちろん全然余裕です。

レースも大詰めを迎えて、脚をびっこをひきながらそれでも前に進んでいる選手、テント内で寝て休んでいる選手、相変わらず堅調なペースで力走している選手もいました。

私の方は、目標を90kmに下げたおかげで、ラスト3周は苦しさも軽減、最後は余裕を持って走り切ることができました。

そんななか。。。

猛烈なスピードで後方から走ってくる選手が。。。(( ;゚Д゚))

なんと、レースの序盤で後に付いて行ったあのランナーの方です!

そういえば序盤で先を越されてからずっとレース中行き違うことがありませんでした。おそらく私と1周しか違わないはずです。

100km完走を目指してラストスパートをかけているのかもしれません。

しばらくすると、さらに驚くべきことに。。。

その同じランナーに再び後方から追い抜かされました。。。!!

この終盤であれほどのペースで走れるというのは超人としか思えません (´д`)

そして私のほうはいよいよ最終コーナーを回って、待ちに待ったゴールに向かって走ります。

スタッフの方々や応援の方々の拍手に迎えられてゴール。

記録は90kmでしたが、なんとか無事にゴールできました。

ゴール地点の様子

やっと終わった。。。

目標の100kmには届かなかったけれど、これまで最長距離だったフルマラソンの42.195kmの2倍以上をなんとか走り終えることができた。。。

ゴール直後の身体の疲弊度は、恐れていたほど壮絶ではありませんでしたが、当然ながら足腰は猛烈な筋肉痛で、椅子に座るのも一苦労です。

レース中は食べている暇がなかった田中うどんをいただきます。冷えた身体に染み入る美味しいうどんでした。

田中うどん

うどんを食べている席に、先ほどのランナーの方もいらしたので声をかけました。

「一体どうしてあんなにラストスパートかけられるんですか??」

その方は答えました。

「ああ、アイポッドだよ」

???

どうやらムチャクチャ元気の出る曲をしたためていて、これぞという時にイヤホンで聴いているのだそうです。

いやはや、それであれだけのパワーが出るとは。。。恐れ入りました。

またどこかのレースでお会いしましょうということで別れました。


こうして私の100km挑戦は未達で終わりを迎えました。

暗闇のなか夜を徹して走った90kmはまさにエクストリームな非日常世界でしたが、今年の3大目標のひとつだったウルトラマラソン完走は達成できませんでした。

また、Onのシューズを推薦してくれた友人、介護食を推薦してくれた友人、マンツーマンレッスンをしてくれたTrack Tokyoの小田さん、そしてウルトラマラソン完走の秘訣を教えてくれた先輩の応援にも拘わらず、それを果たせなかったことが何より悔しいです。

そして心底思い知らされたのは、今の自分の脚力のなさです。

今は再チャレンジは全く考えられませんが、100km未達で終わったレースでしたが、このレースに挑戦して良かった、貴重な経験ができたと感じています。

レース会場の所沢航空記念公園

長距離ブルべでバイクの距離感覚を失いましたが、このウルトラ挑戦でランの距離感覚も喪失してしまいました。。。

そして、大会のリザルトを見て驚きました。。。出走71名で100km完走者はたったの9人。私のタイムはなんと総合15位でした。。。!


さらにビックリは、45-54歳のエイジ19人中1位でした。。100km完走できていないにも関わらずエイジグループ優勝。。。大会終了時に主催者が「今年は100km完走率低かったです」と言っていましたがまさかここまでとは。。。

ちなみにレース後の身体へのダメージは想像通りの有様で、階段上り下りが大変なのと、椅子に腰かけた状態で立ち上がるのに苦労します。レース中に痛みが走った足の指先は、両脚とも血豆で膨れ上がっており、おそらく爪も死んでいるようです。両腕もヒドイ筋肉痛。。。

ウルトラ走ったあとのダメージ

レースの過酷度で言うとブルベ400とブルベ600の中間くらいでしょうか。。。ただし100km完走したわけではないのであくまで個人的な目安です。

90kmを走ってわかったのは、身体の痛みに耐えて何時間も走ることは意外に可能だということでした。苦痛の度合いがリニアに上昇するのは30kmくらいまでで、そのあとは、非常にゆっくりと苦痛度合いが上昇するということです。

また、運が良かったのか、出走前に心配していたハンガーノックや、ぎっくり腰再発、脱水症状、内足広筋の耐えがたい痛みなどはありませんでした。逆に持病の頸椎症性神経根症が再発、左腕の神経痛がひどくなってしまいました。

レースの苦しさもフルマラソンや10kmのショートスプリントと全く違い、心拍が上がって息苦しいことはなく、とにかく両脚が石のように重たくなり筋肉痛で前に運べなくなる辛さと、歩きたくなる誘惑への無限に続くかと思えるほどの抵抗に苦しめられました。

リベンジは脚力をしっかりつけてからですね。。。今は束の間の休息期間をゆっくり楽しみたいと思います。


(おわり)

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Garminの記録

距離ごとの速度(時間/km)


大会結果

http://www.earthrunclub.net/tokorozawa/img/tokorozawa_run_04_result.pdf

摂取した補給食

おにぎり 2個
介護食おかず 4袋
ゼリー 6袋
ひとくちこしあん大福
ナッツタルト
TrailBar 1本
春巻き 1本






コメント

  1. モニオ先輩、100キロマラソン大変お疲れ様でした。

    今回も臨場感溢れる大会レポをアップいただき、ありがとうございました。
    とても参考になるお話ばかりで、夢中で拝見いたしました!


    それにしても、なんとも残念な結果でしたが大事なのは結果ではありません。
    参加しようと決めたガッツ、それに向けた日々の鍛錬、完走出来ないと悟りながら
    粘り抜いた大会での執念、どれも頭が下がるものばかりです。

    それにしても12時間という制限時間がメチャクチャ厳しいと思います。
    今回のレポを拝見したのをきっかけに、他の100キロマラソンの大会を調べて
    みたのですが、

    サロマ湖:13時間
    オホーツク:14時間
    秋田:13時間
    えちご:13時間半

    と、どれも、もっと制限時間が長いです(汗)。

    ちなみに、秋田の大会は結果も見てみたのですが、完走662人中、12時間を
    クリアしているのは、たったの305人でした(汗)。つまり完走者の半分以上が
    12時間から制限時間の13時間の間のたった1時間に集中しているという、
    驚愕の結果でした(滝汗)

    恐らくモニオ先輩も制限時間が13時間だったら、見事完走されていたことと
    思います。別の大会にご参加なさればよかったのに!と思わずにはいられません・・・。



    ともあれ、まずはゆっくり体を休めて、また新たなる挑戦に英気を養ってください。


    本当に、本当にお疲れ様でした!!
    取り急ぎ、レポの御礼まで・・・。


    返信削除
    返信
    1. Seiさん、ブログ訪問ありがとうございます、そして暖かい激励のメッセージ、感謝します。

      Seiさんがお調べになったウルトラマラソンの統計データには、私もビックリです。今回のウルトラが制限時間が短いことは認識していたのですが、ほかの大会の多くが13時間から14時間ということは正直知りませんでした。貴重なデータ有難うございます。

      ウルトラに出るのに何故そんなことも調べていないのか、と声が聞こえてきそうですが(苦笑)

      思い起こせば、春に走ったブルべ400kmや600kmもほとんど予備知識なしで出走したせいで、大変な目に遭いました。

      ろくに下調べもせずにレースに出るのは悪い癖ですね。。。

      そもそもフルマラソン過去2回しか出場経験なく、それも5年以上前、年間走行距離も1,000km程度では、いきなりウルトラに、それも12時間制限に挑戦するのが無謀だったのかもしれません。

      やはり長年の経験や日頃のトレーニング量は嘘つきませんね(笑)

      サロマやオホーツクは公道を走るので、アップダウンも多いでしょうし、今回の夜間走行と違って日中の暑さ対策なども必要になると思います。

      100km完走はできませんでしたが、結果的には出てよかったと思っています。あの「おじさん」も言っていたのですが、オールナイト12時間走るという幻想的な体験は、日中走るマラソンでは味わえない醍醐味がありました。

      Seiさんもトライアスロン挑戦に向けて準備はいかがでしょうか?新しいことに挑戦するときのワクワク感(と不安感)は一度限り、お互いに存分に楽しみましょう。

      では。。。

      削除

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